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村から罪人を出さずに、村の金庫にお金が戻った。めでたし、めでたしで、一件落着???

しかし、事件はここでうやむやになったわけではなかった。8人で「聖水」を飲んだ日から約5日後、思いがけない、ある「事実」が発覚した。
その事実というのは、、、Mのダンナには賭け事でつくった借金があった。ある村人の話によれば、長い間、返済の滞っていたMのダンナの借金(村の互助組合から借りていた)が全額、返済されたというのだ。Mのダンナの借金は村人の間でも有名で、村の集会で何度も返済を催促されていた。ところが、なかなか返せないでいたその借金が、うちでお金が失くなったのと、ちょうど同じ時期に、完済されたというである。
ということは、、、Mのダンナが借金を返えすのに使ったお金の出所は、うち、、、ということか? だとしたら、うちから消えたお金の行き先は、村の互助組合の金庫??? そうに違いない。。。
ああ、ショック!!!
ダンナと私が結果報告に行った時、村長さんがニッと笑ったのは、そのためだったかもしれない。(おそらく、私たちがお金の盗難に気づいた時には、すでに時遅しで、うちのお金は村の金庫に収まっていた、、、
村長さんにしたら、村から罪人を出さずに、村の金庫にお金が返ってきたのだから、めでたし、めでたしで、一件落着というわけである。
(だけど、うちは落着したとは思ってないからね、村長さん。返して~ 私のお金。。。)

バリでお金が失くなった時、よく言われるのが、、、そのお金は本来そこにあるべきではなかった。だから、失くなったんだと。でも、そうは言われても、簡単に「はい、そうですか」と、すんなり納得するわけにはいかないよな~ あ~ あのお金があったらなあ~ と、ぼやかずにはいられない。

では、人(うち)から盗んだお金で自分の借金を返済したMのダンナというのは、どんな人間なのか。この男は、私がいつもバイクで通る村道脇のワルン(コーヒーを飲んだり、簡単な食事もできる村の雑貨屋)に昼間から座って、よくタバコをふかしている。髪を5分刈りにして、片耳に金のピアスをつけた、やせて目つきの悪い男だ。昼間から、そうやって座っているところを見ると、働いてはいないのだろう。
私がバイクでそのワルンの前を通り過ぎる時、この男は私をちらっと見る。私はこの男の視線をはじき返すように、一瞬だが、目に力をこめてぐっと見返す。そして、こう念じる。「どうか、この男にバチが当たりますように。。。」(本当にバチが当たらなくてはいけないのは、この男なのだ)
なぜ、私がそんなことをするかというと、自分の方から「念?」を発して自分をガードするようにしないと、向こうが発する悪い「気」のようなものに、気おされ、弱みをつかれそうな感じがするからだ。(考えすぎかもしれないが、無防備な状態では、一瞬といえども、この男に接近するのが怖かったのである。)

こうした私の強い「念」が通じたのか、「事件」の約10年後、ちょっとした偶然が起こり、私を驚かせた。うちの息子とMの娘が、同じ中学に入って、同じクラスになったのだ。Mに娘がいることは知っていたが、学年が同じだとは知らなかった(息子とは小学校が違っていた)ので、まさかこんなことが起ころうとは思ってもみなかった。
うちの息子とMの娘、この2人が同じ中学の同じクラスになる確率は、きわめて低い。うちの周辺には進学可能な中学が4つあり、2人が入った中学は1学年7クラス。ということは、2人が同じ中学の同じクラスになる確率は、4分の1×7分の1=28分の1、、、この数字がほほ~ と言えるほどすごい(?)ものかどうかはわからないが、これは偶然以上の何かがあるな、というのが私の感触だった。

しかし、この偶然のいたずらに、どういう意味があるのか、はじめ私はわからなかった。どちらかといえば、このことは、私を暗い気持ちに陥らせた。どうして今頃になって(10年も経って)、こういう形(Mが私の生活圏内に再び現れるような)で、何年も前に起こった苦々しい事件の記憶(風化しかけている)を、呼び起こさなくてはならないのか。記憶から自然消滅的に失くなってしまえばいいと思ってることと、なに故、こうしてまた向き合わなければならないのか。これは、何か自分がしたことへの罰なのだろうか? と自問したりもした。
でも、これが私への罰でないことが、その後、まもなく判明する。。。

次回(part11)に続く。私は運命のいたずらの意味を理解した。



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