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完結編:清廉潔白、正直で働き者の日本人妻による復讐が始まる。。。

最後に、これらの経験から私が学んだ教訓とは何か。
それは「うちに現金を置かない。(頑丈な金庫でもあれば話は別だが)」ということ。なあ~んだ、すごく当たり前のことじゃん、と思われるかもしれない。でも、お金が失くなるまではわからなかった。失くなってみてはじめて、その当たり前を痛感したのである。
「あ~、今、あのお金(円)があれば、、、」

そう。。。残念なのは、「円」が失くなったことだった。私がバリに住み始めた当初(1990年代半ば)は、1万円=20万ルピアだった。しかし、その数年後に、アジアの通貨危機が起こり、1万円=120万ルピアになった。(2023年5月現在は1万円≒107万ルピアで円安傾向ではあるが)
ということは、3人の育ち盛りの子供を抱えた時期に、120万ルピア稼がないと1万円稼いだことにはならなかったのである。ルピアが主な収入源の私には、「円」は手の届かない存在になっていた。
なんて、もったいないことをしてしまったんだろう、、、うちのお金が底をつくたび、失くなったあのお金のことが思い出された。

しかし、いつまでもクヨクヨしてても仕方がない。
だい~じな「へそくり=聖徳太子」を隠したつもりになって(しかもカギのかからないところに)、家を空けていたのはどこの誰だ? と問われれば、それは「私」以外の誰でもないのだ。そもそも、悪いのは私なのだ。バカは私なのだ。そのことは素直に認めよう。認めて、それを教訓として前に進むしかないのである。

では、もうひとりの「バカ(=ダンナ)」は、どうしているかというと、相も変わらずバカ。信じられないことに、あれほど悔しい思いを味わった事件から、あのバカは何の教訓も得てない。というのは、ダンナの「へそくり」は相変わらず、カギのかからないところに仕まわれているからだ。
本人はうまく隠したつもりかもしれないが、私の千里眼(?)にかかれば、簡単に見透せる場所に「それ」はある。何年も前からお手伝いさんを使ってないので、もう外部の誰かに盗られる心配はないと思っているのだろう。しかし、それは甘い。甘すぎる。
そこから、お金を抜き取っている人間(トゥユールではなく)がいることに、ダンナはまったく気づいていない。外部の誰かにではなく、内部の誰かに盗られるかもしれないと、考えたことはないのだろうか。無防備もいいところだ。(笑)
では、いったい誰がそこからお金を抜き取っているのかといえば、、、じゃじゃ~ん、それは他の誰でもない、この私である。
どうして、そんなことするのかといえば、ダンナに面と向かって、「生活費ちょうだい」と言うと、ご機嫌が悪くなって、面倒だからだ。私はそれまで、お金があればあるだけ家族のために吐き出してきた。でも、ダンナはそれを当たり前のこと、日本人の奥さん(=私)の財布にはいつもお札がびっしり詰まっている(日本人はお金を持っている。日本人はお金を稼ぐのが好きなので、自分でなんとかするだろう)と思っているのだ。でも、そうじゃない。私は家計を支えるために(自分を含めた一家5人を養うために)、稼がなくてはならないから稼いできたのだ。
そういう不満(冗談ではなく、マジで腹が立つ)が、私をそういう行動(ダンナのへそくりをちょっとずつ抜き取る)へと、走らせるのである。

ちなみに、この頃、ダンナは何をしていたかというと、、、絵描きになっていた。「賢者の聖水」事件のあと、ダンナは絞り染めづくりを辞め、おみやげ用の絵を売る店をウブドで開いた。(ウブドは芸術の村ともいわれ、絵の店、ギャラリーが数多くある)はじめは人の描いた絵を売っていたが、そのうち自分でも描き出すようになった。
生まれて40年、絵を描くこととは無縁だった人間(ダンナ)が、見よう見まねでキャンバスに油絵の具で絵を描き始めたのだ。ダンナにがんばって働いてもらって家計を支えてもらおう、という私の望みは絶たれた。。。私は辛抱強く待つしかなかった。

「絵がぜんぜん売れなくて、、、」という話はよく聞かされた。「まあ、当然であろう」とは思ったが、好きなことをさせておいた方が、面倒が少ないのでほっておいた。
でも、たまにダンナの機嫌のいい日があって、そういう日は、帰ってくると、2階にあるダンナ専用のお祈りスペース(イスラムの)へ入って、がさごそしている様子だった。私は、「もしや」と思った。
ある日、私はダンナのへそくりの隠し場所を見つけ出した。そこには、10万ルピア札(円にすると1000円程度だが、インドネシアでいちばん高額な紙幣)が数十枚(少なく見積もっても50枚くらい。日本人の感覚でいうと万札が50枚?)保管されていた。。。「絵が売れない」と言っておきながら、こんなところにこんなにため込んで。。。(怒)

というわけで、ここ数年の間、ダンナのいない時を見計らって、私は「そこ」から少しずつ、ルピアを頂戴している。正直にいえば、盗みを働いている、という意識がないわけではない。だが、本来、そのお金は「そこ」にあるべきではないのだ。そのお金は、家族のために配分されなければならないのだ。なので「罪の意識なんて感じなくていいんだ」と、私は自分に言い聞かせる。高校生になった下の娘も、私が「そこ」からお金を盗っていることを知っていて、「もらっちゃえばいいよ、お母さん」と言ってくれる。娘も少し大人になって、私の苦渋を理解できるようになったらしい。

不思議なことに、今まで一度もバレたことがない。どうやら、ダンナはいちいち金額のチェックをしていないらしい。ときどき「補充」している様子もあるので、お札の1枚や2枚減っても、気づかないのだろう。
まさか、清廉潔白で正直者(?)のイメージのある、日本人の奥さん(=私)に、お金を盗られているとは、夢にも思ってないに違いない。そこが、やはりマヌケなのだ。
これまでに2度、へそくりの置き場所が変わって、慌てたことがあった。ついにバレたかと思って覚悟もしたが、バレてはいなかった。ちょっと置き場所を変えてみただけ、だったようだ。私はダンナの行動パターンから千里眼(想像力)を働かせて、新しい隠し場所を突きとめた。そして、その後も「そこ」からちょくちょく頂戴している。
まあ、もし、本当にバレることがあったら、知らぬ存ぜぬを通して、トゥユールのせいにでもすればいい。
バリでは、お金は本来あるべきところ(うちの場合は家族)へと流れるのである。(完)

*バリで私がこの文章を書いていたのは、2015年頃。諸事情により、2016年に日本に帰国。現在はスーパーのパートタイマーとして時給1000円で「円」を稼ぐ。またまた苦難の日々(?)





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