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古ペットボトルに入った聖水。気になるお値段、なんと、たったの200円?

村長さんとダンナが賢者のところに出かけて行って、聖水をもらってきた。賢者の家は、サヌールというウブドから車で40分くらいの海辺の町にあった。聖水は1リットル入りのミネラルウォーターの古ペットボトルに入っていて、よく見ると、水のように透明というわけではなく、少し白く濁っていた。私は「これが聖水かあ」と光に透かしてみたりした。
それから、近くにいたダンナをつかまえて
「ねぇねぇ、それで賢者っていうのは、どんな人だったの? やっぱり、年取った人だったの?」と聞いた。これはぜひとも聞いてみたい質問だった。ダンナはちょっと考えてこう言った。
「いやぁ、ふつうの人だったよ。年寄りでもなかったし、、、」
「じゃあ、若い人だったの?」
「若くもなかった。まあ、40代半ばってとこかな、、、」
「へえ? そうなの? それでなんか、人とは違う雰囲気を持っているとか、変わった感じはなかったの?」
私はダンナの返答に物足りなさを感じて、ちょっといらついた。もう少し踏み込んだ答えを期待しているのに、ただ「ふつうの人」って、それだけ? この人には観察力とか表現力がないのだろうか。そんな私の不満を察してか、ダンナはこう言った。
「いや、ほんとにふつうだったんだ。家だってふつうだったし、着てるものもふつうだった。ふつうのシャツとズボンで、そのへんを歩いている人みたいな、、、だけど、村長さんが言うには、賢者のことならオレに聞いてくれっていう賢者通(?)の知り合いが一押しする、力のある賢者なんだそうだ。だから、いけるんじゃないか、その賢者、、、」
「・・・そう、まあ、村長さんがそう言うんなら、いけるかも、、、」
それでも私の不満はぬぐい切れなかった。私の中には「賢者といわれる人には、ふつうの人とは違うすごい何かがあるはず、、、」という思い込みがあった。だから、ダンナの語る賢者像が、それとあまりにもかけ離れていたことに不満を覚えたのだ。でも、私の思い込みの方が間違っているのだろう。。。きっと、一見、ふつうに見える方が、反ってすごい力があるのかもしれない、、、としぶしぶ納得することにした。

あとで聞いてわかったことなのだが、じつはこの賢者はバリ人ではなくジャワ人だった。村長さんが知ってて連れてってくれるのなら、バリ人賢者のところだろうと勝手に思い込んでいたので、ジャワ人だと知った時には、ちょっとがっかりした。考えてみると、それは村長さんがうちがヒンドゥー教徒ではないこと(うちはダンナがスマトラ島出身なのでイスラムであること)を、考慮してくれたためだったらしい。(ジャワ島は基本イスラム)
しかし、賢者通といわれる村長さんの友人のバリ人が知っていたように、このジャワ人賢者は、バリ人の間でも密かに知られた存在だった。

賢者の人とナリは、まあいいとして、、、
「これが聖水かあ」と言って、私はもう一度、聖水を見つめた。
で、気になる聖水のお値段は、、、なんと2万ルピア(約200円)。といっても、こういうもの(聖水)にはっきりした値段があるわけではないので、ほんの気持ちという感じで、持参したお供え物の間にお金をはさんで、さりげなく渡すというのが、正しいお礼の仕方だそうだ。(このへんはやっぱりバリ式になっている)もっと高い値段を想像していた私には、たった、それだけ?(200円?)、というような金額だった。これでもし、本当に失くなったものが見つかるとすれば、驚きの安さだ。
では、なぜこれほど安いのかというと、こういう特殊な能力を持った賢者が、自分の能力を使って大儲けをしようなどと欲を出すと、賢者としての能力は失われる、といわれている。なので、賢者といわれる人は、意外と身なりも生活も質素で、一見、ふつうの人のように見えるらしい。私たちが想像する賢者(特殊な能力を持っていて、異様なオーラを発していて、ただ者じゃない感じ、、、)とは、やはりイメージが違うようである。

次号(part7)へ続く。いよいよ聖水が8つのコップに注がれる。。。


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