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飲むと、自らの犯した罪を告白したくなるという「賢者の聖水」の効果やいかに? バリ式の犯人捜しが始まる。。。

「賢者」からもらった「聖水」を8つのコップにそそぎ、「いち、にの、さん」で、8人で同時に飲み干す。すると、そのうちの1人が「私はやってない」「私は何も盗ってない」「お金なんて盗ってない」と騒ぎ出す。他の7人は無言である。
これはどういう場面かというと、、、以前、うちに置いてあったお金が失くなったことがあって(円とドルとルピア、合わせて10万円くらい)、それを盗った犯人が誰かをつきとめるため、バリ式の犯人捜しを実行したときの一場面である。


我が家でこの「事件」が起こったのは、私がバリ島に住み始めて6年目くらい。結婚して、3人の子供(5歳、2歳、1歳)を抱えながら、生活費を稼ぐため、自宅を仕事場にして絞り染めづくりに奮闘している時期(2000年頃)だった。(ちなみに私の結婚相手は、スマトラ島出身のインドネシア人。以降、ダンナと呼ぶ)
当時、私が住んでいたのは、ウブド(内陸にある観光地)のはずれの村の借地に建てた1LDKの家(裏に小さな庭があり、庭も仕事場になっていた)。そんなところに、毎日数人の地元スタッフ(職人さん、お手伝いさん、子守りの人)が出入りしていたので、小さな我が家は、つねに人と物であふれ、どうしようもなくごった返していた。(こっちには山と積まれた染物用の布、あっちには散らかった子供のおもちゃ、ダンナの脱ぎ捨てた服、、、といった状態、、、)

こうした混乱と喧騒のなか、日々、無我夢中で目の前にあるものと格闘を続ける、、、というのが、「事件」の起こった当時の私の日常だった。(この場合、目の前にあるものとは、絞り染めの注文、ぐずる子供、機嫌の悪いダンナ、、、)

結婚当時ダンナは、リゾート地として有名なヌサ・ドゥアのホテルで働いていた。が、3人目の子供が生まれたのを機に、ホテル勤務を辞めた。ダンナがホテルを辞めたのは、30代半ばで2人目、3人目を続けて産んで体力的に限界にきていた私が、ダンナにうちいて、いっしょに子育てと絞り染めづくりをしてくれるよう頼んだからだった。ダンナの方も、時間の自由がきいて、働いたぶんだけ実入りのある自営業への転向を考えていたようで、ホテルを辞めることに異存はなかった。

というのも、ちょうどその頃、アジアの通貨危機の影響でルピアの価値が下落し、ダンナがホテル勤務でもらう月給は円に換算すると、1万円をきるくらいになっていた。ここまできたらもう、通勤に時間(車で往復2時間)をかけ、給料の3分の1をガソリン代に使ってまでして、ホテル勤めを続ける理由はなかった。ダンナがうちで絞り染めづくりに加わることになったのは、こういう理由からである。

ところが、ダンナがじっさいうちで仕事を始めてみると、、、絞り染めづくりを中心になって進めるのは奥さん(私)なので、形勢的に「奥さんの下」で働くようになってしまう。それが、負けず嫌いな性格のダンナには不満だったようで、何かにつけて私と「対立姿勢」をとらなくては気がすまない、という態度をとっていた時期でもあった。

・・・その後、ダンナは絵描きに転身する。。。しかし、この時期、奥さんとの「上下関係」に不満を感じながらも、絞り染めづくりをして物づくりを経験したことが、絵描きとしての素地になったことは間違いない、と私は考える。
(ここまでダンナの話題が多いのは、この物語=実話において、ダンナの存在が重要な役割=意味を持つからである。)

次号(part2)に続く。次号では「事件」のあらましが明らかになる。


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