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あれから10年、これが死ぬまで逃れられない聖水パワーの威力か???

それは、Mのダンナの「ある行動」によって明らかになった。その注目すべき「ある行動」とは、、、私が息子の中学の保護者会に参加して、顔見知りの父兄(となり村のバリ人)と立ち話をしている時、やはり保護者会に参加していたMのダンナが、私の存在に気づいたとたん、逃げるようにこそこそと姿を消すという、、、おかしな動きをしたのである。
このとき、私は運命のいたずらの意味を理解した。Mのダンナにとって、この状況(私が父兄のひとりと親しげに言葉を交わしている)は、逃げ出さずにはいられないほど気まずくて、やば~いものなのだ。
なぜなら、私の口からその父兄に「前にあの人に、お金を盗られたことがあるのよ。あの人は泥棒なのよ」と、告げられる可能性があるからだ。バリの人はうわさ好きなので、その手のうわさはあっという間に広まる。「あの娘のお父さんとお母さんは、泥棒なんだって、、」という、悪いうわさが娘の学校で広まるようなことがあったら、娘がどんな目にあうか、わからない。
だから、Mのダンナはその場にいることが恐ろしくなって、逃げ出した。そう、この状況で罰を受けているのは、私ではなく、Mのダンナの方なのだ。

私は足早に逃げ去るMのダンナの姿を目で追った。そして、滑稽ともいえるその姿が消えるのを目にした瞬間、確信した。
「この勝負、勝ったのは、私!!!」と。(もちろん、これは勝った負けたで言い表せるでは問題ではなかったが、、、)
あの強面(こわもて)で悪人づらをしたMのダンナが、私を見るや、慌ててこそこそ逃げ出したのだ。私はにんまりした。にやにやが止まらなかった。できることなら、声に出して笑いたかった。でも、保護者会の最中に、ひとり関係ないことで笑い出すわけにもいかないので、それを抑えた分、体の中で、笑いが反響した。(うふ、うふ、うふふ~ 体が震えた、、、 )

私は嬉々としてうちに帰って、ダンナに状況報告をした。
ダンナは「だから、バカなんだよ、あいつらは、、、」というコメントを出し、満足そうだった。
それでは、自分の娘と私の息子が同じクラスだと知った時の、MとMのダンナは胸の内はどうなのだろう。「ドキリ」「ギクリ」としたに違いない。彼らにしても、10年も前のことで、とっくの昔に逃げ切ったと思っていたことに、まさか、こういう形で向き合わされるとは、思ってもみなかっただろう。「あの娘のお父さんとお母さんは泥棒、、、」という、悪いうわさが娘の中学で流れるのは、もちろん怖い。けれども、もっと怖いのは、これが聖水の課した罰(死ぬまで逃れられない)かもしれない、、、と肌身で感じたことではないだろうか。

じっさい、ダンナも私も、MやMのダンナの悪いうわさを、息子の中学で流すような意地悪はしなかった。Mの娘をみるかぎり、彼女は自分の親たちがしたことを何も知らない。娘には罪はないのだ。悔しい気持ちはあったが、私はそこまでねちねちいやらしい人間ではない。
それでも、私が「いい気味だ」と思ったのは、、、息子の中学は3年間クラス替えがない。ということは、MとMのダンナは、娘が中学に通う間ずうっと、不安の影におびえなくてはならないのだ。
そう考えると、長年の心の憂さがさあ~っと晴れて、私はこう言わずにはいられなかった。
「ほらね、悪いことするから、こうなるんだよ。ざまあ見やがれ、盗っ人野郎!!!」(これが偽らざる私の本音である。)

そんなこんなで、はっきりとした決着をみたわけではなかったが、「賢者の聖水」作戦は収束した。残念ながら、うちで起こった事件の場合は、犯人を名乗り出させるまでには至らなかった。けれども、約10年の時を経た後、不思議な運命の巡り合わせが起こり、「もしや、これが、、、」聖水の効果かも??? と、ほくそ笑みたくなる展開があった。もちろん、こんな巡り合わせは、たんなる偶然に過ぎないのでは、、、という思いもないではない。
しかし、これが賢者の聖水のパワーだと考えた方が、ストーリーとしては断然おもしろい。

次号(part 12/最終回)に続く。新たな盗難事件。その意外な犯人とは?


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