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220.『流浪の月』メタファーに溢れた映像作品
『流浪の月』という映画を鑑賞しました。
原作は凪良ゆうさんの小説で、5月13日に映画が公開されました。
松坂桃李さん演じる佐伯文と、広瀬すずさん演じる家内更紗の二人が織りなす物語は、とてつもなく歪で、脆くて、冷たい、ただ小さな優しさだけは漂っている、そんなお話でした。
事実と真実の間に揺れる、世間の暴力性のようなものも感じましたし、一方で自分も世間側だったらそう見るだろうなという、視点の不安定さも感じました。
映画の感想だけでなく、各所に散りばめられた表現や秘められた想い、強烈に感じたメタファーについて書こうと思います。
※ここからネタバレも含みます!
物語の単なる感想
『流浪の月』というタイトルは、最後でなんとなくわかります。
二人は流浪なんだなと。
月は二人のことを表しているんだなと。
誰にも理解されない真実を抱えながら、二人は(正確に言うと三人)は流浪の旅を続けるんだ、と思いました。
三人目は、安西梨花ちゃんです。
幼い彼女だけが、本当の二人を知っています。
事実と真実は、まるで地球と月ほど乖離しているのかもしれません。
それは当たり前にある月のように、この世の中にも当たり前に転がっているのかもしれません。
どう頑張って見ても、それは誘拐事件でしかなくて。
その内情を、どうして第三者が知り得るのでしょうか。
見方によってはあんなにも愛に溢れていることに、どうやって気付くことができるのでしょうか。
分かち合うだけでは、知るだけでは、きっと理解はされないと思います。
「人は見たいようにしか見てくれない。」
更紗はこう言っていました。
真実は、結局それぞれの人間の中にしか存在していないのです。
こうした乖離が、無意識のうちに自分の中に起こっていないかと、考えさせられる一連の物語でした。
150分の中に溢れかえっているメタファー
さて、劇中では印象的な場面が多数出てきました。
僕は物語を創る側、小説を書く人間で、そういった表現や演出、意図、意味など考えを巡らせることが好きです。
例えば、月、とか。
雨、とか。
そういったメタファー(隠喩、暗喩)に、150分間溢れかえっていたように思いました。
月
随所にたくさん出てきました。
青白い空に浮かぶ朧げな月。
夜の満ちている月。
欠けている月。
雲間に見え隠れする月。
何が満ちて、何が欠けていたのでしょう。
何も誰にも知られず、バレていなくて、安寧とした日々を表していたのでしょうか。
雲間に隠れたり。
欠けていたり。
生活の状況を、それに付随する心の動きを表していたのかもしれません。
月、と幼い頃の更紗は青白い空に浮かぶ昼間の月を指差します。
この時間帯では本来見ることのない月。
でも確かに存在して、それはどこか神秘的で。
まさに、二人の関係性と似ているな、と感じました。
雨
最初のシーンで、雨が降ってきます。
劇中では、雨や水が物語の転換、重要点で必ず登場しました。
最初のシーンは雨。
二人が離れ離れになるのは池。
月を見つけるのも、文が叫ぶのも、水に浮かんでいる状態。
恋人に殴られて家を飛び出し、座り込む更紗に声をかけた文。
そのシーンでは、雨が降っていないのに少しだけ、回想を終えても雨の音が続いていたように思います。(気のせいだったでしょうか?)
更紗が最初に文を家まで追いかけるシーンも雨。
足漕ぎボートに乗っている二人も池にいます。
最後のシーンも水辺。
水が象徴的でした。
後半、隣同士の部屋で新生活が始まってからは晴れが多かったのは、どこかそれまでの暗い世界とは対照的に映りました。
三角座り
家出をした幼い更紗が寝ている姿を、三角座りをした文が見つめています。
文と更紗の夕食のシーンでは、更紗が椅子の上に三角座りしています。
大人になった更紗は、恋人に殴られた後文に見つかるシーンで路上で座り込んでいました。
横浜流星さん演じる更紗の恋人役の亮は、更紗を突き飛ばした後に三角座りをしていました。
幼児退行のような行為だなと、個人的には感じました。
文も更紗も、子どもの頃の体験がトラウマとなって強烈に残っています。
その頃の自分を忘れられない、誰にでもあるこの子どものような感情を、座り方で表現していたようにも感じたのです。
白鳥玉季さん
こんな表情ができる子どもがいるのかと、めちゃくちゃ衝撃を受けました。
横浜流星さんの演技も渾身迫真で凄まじかったですが、僕としてはこの白鳥玉季さん(家内更紗の子ども時代)の演技が、本当に凄かった。
大人時代を演じる広瀬すずさんとのバランスも素晴らしい。
「いてもいいよ」という文に対して、ニヤリとして、すぐ表情を戻して、「ほんとに?」と言う。
あれができる12歳(白鳥玉季さんの年齢)がいるのかと、本当に驚きました。
声が思ったより低くて、それもまた妖艶。
表情、所作、すごい子どもがいるもんだ、と30歳を目前に控えた僕は心から感心していました。
彼女は化ける。
これからさらに進化する。
そんな可能性を秘めた素晴らしいキャスティングだったと思います。
セリフ
「更紗は更紗だけのものだ、誰にも好きにさせちゃいけない。」
このセリフが、この物語の中核をなしているように感じました。
あまりにそのままの言葉すぎて、解説も意見も以上、といった感じですが。
結果的に誰の好きにもならなかった彼女の強さは、幼い頃に聴いたこの言葉によるものだったのかもしれません。
最後に
邦画を映画館で観たのは久しぶりでした。
基本的には名探偵コナンとジブリを始め、アニメ映画しか観ない僕です。
(アニメ映画はオススメ結構あります。)
物語以上に、あちこち注目して鑑賞するのもまた楽しみ方の一つだなと感じました。
映画館だから感じることはあると思います。
その感性を磨く、捉える力を身につけるためにも、こうした作品には都度触れていこうと思います。
『流浪の月』、まだの方はぜひ。
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