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両親に対する尊敬の念

こんにちは。橋下ハルカです。

私は両親のことをとても尊敬しています。

今回は、両親との思い出とどんな所が尊敬できるかについて考えてみました。


父との思い出と父に対する尊敬

私の父は大手企業で会社員をしています。

私が小学生の頃、父は毎晩22時頃に帰宅していたので、平日はあまり遊んだ記憶はありません。

しかし、休日は私の少年サッカーの試合に毎回応援に来てくれて、送り迎えもしてくれました。
サッカーの試合がない時の休日は、父が運転する車で家族で買い物に行ったり、家で一緒にプレイステーションのゲームで対戦したりしたことを覚えています。

父が運転する車はとても居心地がよくて、何より安心して乗っていました。
車内ではよくコブクロやmihimaru GT、いきものがかりのCDが流れていて、彼らの曲を聴くとあの頃を思い出します。

私が中学に進学してサッカー部に入ると部活や塾で忙しくなり、多感な時期で父ともよく喧嘩をしました。喧嘩といっても殴り合いの喧嘩ではなく、私が一方的に口を利かなくなる形です。

小学生の頃からずっと応援に来ていたサッカーの試合も、試合中に私がチームのふがいないプレーに萎えてしまい適当にプレーしたことが原因で、それ以来応援に来てくれなくなってしまいました。

それでも、塾の宿題で分からない問題がある時に父に聞くと、嫌な顔一つせずに教えてくれて、私が理解した時には嬉しそうな顔をしてくれました。

当時は特に気にしていませんでしたが、塾の宿題は毎回、平日の日付が変わる時間帯に行っていたため、仕事を終えて疲れて帰ってきてすぐにでも寝たい時間であるというのに、私の勉強に時間を割いてくれたことが今でも本当に感謝しています。

父の性格は真面目でとても穏やかです。
読書が趣味で実家にはたくさんの書籍がおいてあります。

普段は物静かで基本的には無口な人という印象ですが、いざという時はとても頼りになる存在だと子供の時から思っていました。

2004年の秋、当時私が小学2年生の頃、超大型の台風が関東地方を襲撃しました。
その日は土曜日で、父が仕事が休みで家にいてくれたことが本当に心強かったです。
家が水浸しになる寸前で最悪の事態は免れたものの、この時の父の存在は幼い私にとって本当に安心できるものでした。

実は、父の職場は知っていても、父が実際に働いている姿は見たことがありません。
親が会社員の人はみんなそうなのかもしれませんが、普段は無口な父が人に指示を出したり、会議で喋っている姿はあんまり想像できないです。(笑)

父は家で自分から仕事のことを話すことはないので、仕事内容などはあまり詳しくは知りませんでしたが、私が大学2年生の時に当時未成年で賃貸物件に引っ越すことになり保護者の年収を記載する書類を書いてもらった時、父の年収を見て驚愕しました。

世の中の男性の平均年収を大きく上回る数字に驚きながらも、同時に改めて父に対する尊敬の念が生まれました。

理由としては、まず、私が就職してもこれだけの年収を稼ぐ大人になれないと思ったから、そして会社員でこれだけ稼ぐ大人が日々の仕事で疲れながらも休日は家族サービスをして、その家族サービス中に、少なくとも私の前では文句を言わなかったからです。

大学に入って就職を意識するようになり、同時に一人暮らしを始めた私は、大人が一日中働いて、休日も家族のために文句も言わずに家族サービスをすることがどれだけ大変なことかを思うと、父に対して本当に尊敬するようになりました。それは、27歳になった私が適応障害やら社交不安障害を診断されて将来が不安定な今においてもひしひしと感じています。

最後に、私はファンキーモンキーベイビーズの「ヒーロー」という曲が好きなのですが、社会人になって電車の中でこの曲を聴くと、主に小学生の時の父との思い出が蘇ります。
私自身は子供はいないしこの先欲しいかと言われると欲しくない派ですが、子供を育てながら日々の仕事を頑張る世の中の父親は本当にカッコイイと思います。

母との思い出と母に対する尊敬

私の母はパートで医療従事者です。

私が小学生になるまでは家庭に専念し、小学生になってからはパートとして仕事に復帰して家計を支えてくれました。

小学生の頃に私がブランコから落ちて大けがをした時や体調不良になった時、問題を起こして教員に呼ばれた時には仕事を切り上げて学校に迎えに来てくれました。
小学生の頃の私はとにかく母に迷惑をかけまくっていましたが、そんな私を母は見捨てず、優しく育ててくれました。

中学に進学すると、給食の代わりに毎日お弁当を作る必要があり、朝に早起きして作ってくれました。
私は一人暮らしを始めて、初めてお弁当を毎日作ることがどれだけ大変かを知りました。
にもかかわらず、当時の私はお弁当にクレームをつけ、母に悲しい思いをさせてしまいました。

冷凍食品だとか、バリエーションとか、そんなことで母に悲しい思いをさせてしまったことが今でも申し訳ないと思っています。
当時の話なんて照れくさくて今更できませんが、今ではきっと笑い飛ばしてくれると思います。
高校卒業までの6年間もの長い間、毎日早く起きてお弁当を作ってくれたことが本当に嬉しかったです。

母はとても明るい性格です。
父がとても無口であるため、例えるならば「あたしンち」の両親のような感じです。

家族の食卓では基本的に母が話題を振っていたので、母が不在の日には家が静かすぎて母の存在の大きさを感じました。

私は、両親に相談事がある場合はまず母に相談をします。
背中を押してくれる母は寡黙な父よりも相談しやすく、親身になって話を聞いてくれます。

父も親身になって話を聞いてくれるけど、母は自分から状況を聞いてくれたり話題を振ってきたり、私のことを気にかけてくれていることが行動から伝わってきます。

私が就職活動から逃げてしまったことを報告できないままでいると、それを察知して父と共に実家から直接会いに来て励ましてくれました。

就職した会社を適応障害と診断されて退職し、その報告をした後もずっと気にかけてくれて、自暴自棄になっていた私に温かい言葉をかけ続けてくれました。

人と関わることをあまり好まず、周りに壁を作り、相談や悩み事を吐き出せない私にとって、親であるとはいえこうして支えてくれる存在は本当に大きいものです。

最後に、私の母は明るい性格ではあるものの、私からみてもあまり社交的なタイプではありません。
にもかかわらず、少年サッカー、サッカー部の保護者による活動に毎年参加してくれて、抽選で決まった小学校のクラスの保護者代表としての活動もやり切ってくれました。
私の友人の親同士の交流も、当時子供だった私にはよくわからないストレスや悩み事もたくさんあったと思いますが、私の前で不満を言ったことは一度もありませんでした。

さいごに

父も母も、共通して尊敬する部分は「子供の前でストレスを見せなかったこと」です。
子供は非常に繊細で、いっぱいいっぱいになってしまった親の姿を見て気を遣うことがありますが、両親はそのようなことを私にさせませんでした。

きっと、辛かったり投げ出したい、手のかかる子供に手をかけたいと思ったこともあると思いますが、ここまで愛情をもって育ててくれたことに本当に感謝しています。

サッカーという費用のかかるスポーツをさせてくれたこと、学習塾をはじめとした大学受験にかかる莫大な費用、大学の学費を出してくれたこと、そして、やりたい・欲しいと伝えたことについて基本的には受け入れてくれたことに本当に感謝しています。

両親は私が精神疾患を抱えていることは知っていますが、温かい言葉をかけてくれています。
そんな心から尊敬する両親に対して面と向かって感謝の言葉や当時の思い出話をするなんて照れくさくて到底できませんが、いつかはお酒を飲みながら楽しく思い出話をしてみたいですね。

最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

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