見出し画像

『海の向こうでこんなこと言われた』#9

「フロントページだよ!」

「盗んででも観よ」


いよいよ『テンペスト』初日。

朝、共演の嵐徳三郎さんと田中裕子ちゃんから、赤い石の指輪をプレゼントされた。僕のラッキーカラーが「赤」だから2人で用意してくれたのだ。

さて劇場。
チームの空気は重い。
実は僕は決めていた。

「失敗したら死のう」

2度とはないチャンスをモノに出来ないようでは生きていても甲斐はない。この大仕事を託してくれた演出家やプロデューサー、又共演の皆さんにも申し訳が立たない‥本気だった。

開演30分前、観客が雪崩れ込んで来る。既にヨーロッパで蜷川さんの名は高い。その期待が反映して6回公演(なんと18,000枚)は全て売り切れ。

開場して直ぐに、舞台上の「古びた能舞台」セットの前で鬼太鼓演奏、そして獅子舞が繰り広げられ、役者たちが三々五々普段着で客席から舞台へ。
客の前でメイク・着付けを始める。

僕は既に衣装を着てそこにいる。

ドキドキドキドキ‥

後部座席の客が舞台の際まで来て音を聴き舞を観ている。

開幕となり、大音量の船の沈没シーン。
そして裕子ちゃんの台詞。
その次が僕の第一声。
息を呑む客席から押し寄せる物凄い熱気圧‥能舞台で身を伏せて待つ僕は死にそうだ。

その時、不意に誰かが耳元で囁いた(ような気がした)。

「闘うな!羽を広げてこの気圧に乗れ。」

背中がビリッとした(ような気がした)。
そしてプロスペローの第一声。

「落ち着くのだ、もう恐れることはない!お前の優しい心に言ってやるがよい、何事もなかったのだと!」
(このタイミングでこの台詞!)

自分でも驚くほど物凄い声が出た。

え!と思う自分を置き去りにして「彼」の台詞は続いて行く。
殆ど無意識の僕を操るように「プロスペロー」は疾走する。
劇中の事は覚えていない。

いつの間にか最後のモノローグ。
シェイクスピアの断筆宣言と言われる有名な台詞を喋って3時間近い劇は終わった‥。

ラストモノローグを終えた僕が深々とお辞儀をする。

‥‥‥‥‥‥』

客席は静まりかえっている。

「失敗した!」

1秒で全身から脂汗‥頭が上げられない。

ほぼ10秒‥『パラ、パラ、パラ‥』と拍手の音‥

そして次の瞬間‥押し寄せる波のように大音量の拍手‥

目を上げると‥全ての観客が立っていた!

何?何?何?‥バウズ‥両袖のキャストを呼ぶ。
裕子ちゃんが下手から飛び出して来て5m(に見えた)手前から跳んでドンッと僕の胸へ。

カーテンコール!カーテンコール!

3度目に蜷川さんをコール。
裕子ちゃんと僕の間で繋いだその手がブルブルと震えていた。
舞台袖に入ると『生き残った生き残った!』と彼が呟いている。
(蜷川さん、僕もです‥)

10回程のカーテンコールで楽屋へ戻ろうとする。
だが拍手は鳴り止まない。

この日のカーテンコールは26分間続いた。

ホテルへ帰り、90歳の彼に成功を告げると、顔をクシャクシャにして僕を抱きしめ背中を撫でてくれた。

裕子ちゃんの部屋で乾杯をする。
そのあとは皆ソファーに身を預け、ただボンヤリしている。‥なんと幸福な沈黙‥

翌朝、川沿いのテラスでお茶を飲んでいると、給仕が近づいて来て

『フロントページだよ!』

と言いながら後ろ手に隠していた新聞の束を差し出した。

3種類の新聞の第1面は全て『テンペスト』だった。

写真はプロスペローのUP、劇中の祝典仮面劇、ミランダとファーディナンド、空飛ぶエアリエル等々。 
曰く「日本の『嵐』がスコットランドを席巻した!」「魔法のような舞台」etc、etc。

最も激烈な批評の最後にはこう書かれていた。

『残念ながらチケットは売り切れている。だが、誰かから盗んででもこの芝居を観よ!』


壤のプロスペロー
空を飛ぶエアリアル

※Amazon.co.jpアソシエイト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?