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【恋愛小説】 恋しい彼の忘れ方④【創作大賞2024・応募作】

「恋しい彼の忘れ方」 第4話 -光明-


有紀先生のセッション当日。
私の胸の中は薄曇りであった。

自分の中の、ずっと見ないようにしてきたものに、目を向ける瞬間の抵抗。
例えるなら、ザラザラな#70の紙やすりに、手指の腹を当てて、ゆっくり押し付けながら伝わせるような鈍い痛み。
もう皮膚はぼろぼろなのに、削り続けて、それでもハンドクリームを塗って、見た目をごまかし続けていた。それが、もう、血がにじんで、他の人まで汚しちゃうよ、血を止めてよ、本当の原因を見てよ……そうやって、この場に、私を向かわせた何かの存在を感じる。

私は、これから、【否定されるのが怖い】という、自分の中の叫びに向き合う。

この決意の発端は、先日の、1月20日に受けた子育て講座。 
心理学的に、ネガティブな反応には、「感情」と「出来事」が附随していることを知った。ただの出来事を、感情という鎖が縛り付けていて、大概の人は、その感情ごと蓋をしてしまっているため、『感情』と『出来事(行動)』が連鎖しているのだ、と。

私が、その時に思い出したことは、『家族に否定された過去』だった。
幼少期のエピソードとしては、2つ。
1つ目は、『自分の夢を語った時』。
家族に、「お前に出来るわけない」と否定された。私は、心の中で、「もう、誰にも夢なんて語るものか。思いがあっても黙っていよう、自分で大切にしまっておこう。」と誓ったのだった。

2つ目は、『ワクワクを否定された時』。
幼少期、今は亡きおじいちゃんと、「ヒヨコを飼う」計画を立て、ワクワクしながら、ダンボールでヒヨコの家を作り、さぁ、ヒヨコを買ってこよう! としたときの、祖母の一喝。

「そんなもん、汚ねーし、くせーから、やめろ!」
幼い頃の私は、ワクワク楽しみにしていたことを否定され、ガクンと気分が落ちたのを覚えている。
どちらの事実を語る際にも、まるで昨日のことのように、私の怒りと悲しみが感じられた。


この経験から、《他者からの否定》ー《ショック》(怒り、悲しみ)が結びつき、「否定される」と、「怒り、悲しみ」という負の燃料を創出したり、感情に蓋をするようになっていった。

これは、仕事でもプライベートでもそう。否定されたくなくて、私は幼少期からよく「ごまかし」てきた。立場が悪くなると、口をつぐんで、本当のことが言えなかった。
そしてまた、「黙ってればいいと思っているのか」と否定される。お母さんに、「貴方の気持ちはどう?」なんて優しく聞かれたことは……全く記憶にない。

仕事では、「良いこと」は報告するけれど、「悪いこと」は、報告できなかった。
ある日、職場のラミネーターを壊してしまったときも、自分で直そうとして分解してみたが、結局直らず、自腹で代替機を買った。誰にも相談せずに。その時に、「言ってくれればよかったのに(職場のお金で買うのに)」と言って貰ったが、「無理だ、絶対言えない……。」と思っていた。 

家族は、私のことを「できないやつ」と思っている。

家族は、私のやりたいことを、やらせてくれない。

本心・正直なことを言ったら、否定される。

もう、そんな悲しく、悔しい思いは懲り懲りだ。

そう思い込んで、約30年──。

私にとって、すごく大きな大きなモノが、

「向き合う時」だよ、と顔をのぞかせてきた。

それが、胸のザラつき。
ネガティブな心の引っかかり。

これが、"サイン"だった。


 しかし、それがわかったはいいものの…

私の頭に、ハッキリと、響いてくる言葉があった。

「お前は、それを許せるのか?」

「あのひどい言葉を言われた"事実は変わらない"ぞ」

これが、"自我の声"というものらしい。
しかし、それは最もであった。

よく、《書き換わる》というけれど、

これは、できるのか?

事実を変えられるのか?

許せるのか?

書き換わるのか?どうやって??


疑問と、戸惑いしか浮かばない。

私が出会う人に対しては、「大丈夫、いい未来が見えてくる」と思えていたのに、自分に対しては、疑問しかでてこない……。
あの時の家族の言葉がこんなにも許せないんだ……。
私の心の抵抗に、怖気づいた。

有紀先生に、「セッションしましょうか」と言われ、正直なところ、怖かった。

でも、きっと、向き合ったら、未来が変わる。

私は、間をおいてから……
「お願いします」と伝えた。



セッションに入り、まず、私の現状を見つめた。目をつむり、イメージの世界に身を委ねる。


否定されると、《心にシャッターを下ろす》自分。

これからは、その《シャッター》を、もう、おろしたくない。
いつでも開放的で、風通しがいい窓にしたい。
そもそも、シャッターはなかったのかもしれない。
心の窓があいていると、とても心地がいい。陽の光が差し込み、温かく、風もとおり、小鳥もやってくる。

有紀さんに誘導していただきながら、そんなイメージをした。

そして、私の幼少期、悲しい思いをした、あの小さな「葵ちゃん」に会いに行った。

葵ちゃんは、おじいちゃんと一緒に、ヒヨコを飼う計画を立てていた。目の前には、ダンボールのお家。

でも、おばあちゃんに、「やめろ!」と言われて、しょんぼりうなだれる。
おじいちゃんも、かける言葉がなく、背中に手を当ててくれている感じ。
ダンボールを蹴って、拗ねている葵ちゃん。

「なんで、せっかくやろうとしてたのに!やりたかったのに!できると思って、ワクワクしてたのに!」

怒りを現していた。

葵ちゃんに気持ちを聞くと、

「どうして、やりたかったのか、気持ちを聞いてくれたらよかったのに…。それから、理由を言ってくれたら、葵だってわかるのに……。」

悲しかった、と泣いていた。
私は、「そうだよね、そうだよね。」と声をかけた。


そして、そんな気持ちを共有したあと、私と、葵ちゃんとの話は、おじいちゃんのことに。

「おじいちゃん、いつも優しかったね」

「いつも、そばにいてくれたね」

「学校帰りのお迎えで、お菓子とかココアとか買ってくれて。高学年のとき食べすぎて太ってたよね(笑)」

2人で、クスリと笑い合った。

そう、おじいちゃんは《無償の愛》の人。
もちろん、私自身のことも認め、やりたいことを応援し、愛してくれていた。それが伝わってきた。 

近所の方へも、自分のつくったネギやそら豆などをいつもおすそ分けしていて、「あれば、与える」「困ったときには手を差し伸べる」優しい人だった。

そして、信心深く、毎日、家の氏神様に手を合わせて、家族の無事を祈りる、とてもきれいな心の人だった。

そんな優しいおじいちゃんに、小さな私は、ちょっとワガママを言ったり、言うことを聞かないときもあった。

それは、基本的に厳しい母や祖母には甘えられなかったから。

(あぁ、私がクラス担任をもったとき、ちょっと悪ふざけする男子生徒がいて困ったけれど、こんな気持ちだったのね。ただ、甘えてただけだったんだ……。)


自分が、教員として、全くうまくいかなかった、と思っていたのは自覚していたが、それが、自分が「安心」の雰囲気を出せていたからだ、とはじめて気づくことができた。


(できていたことも、あったんだ……。)
少しホッとした気持ちを抱いた。

いつもそばで見守って、応援してくれていたおじいちゃんがいた。

そして、次に出てきたのは、暖かな縁側で、おばあちゃんと一緒に、「お地蔵様にあげるマフラー」を編んでいる場面。
おばあちゃんは私に、ワクワクをくれていた。

(おばあちゃん、今も私、手芸が大好きだよ。)

2人とも、ありがとう。


そう感じた時、
今まで曇って、白黒だった景色が、急に黄色に明るく見えた。

小さな葵ちゃんは、元気に手を振りながら、

「これからも、できる!って思ってやっていってね!」

と私にメッセージをくれた。


現実の世界に意識を戻すと、

(あれ? 何に悩んでいたんだっけ……?)

とわからなくなっていた。
本当に面白い。

そこには、もう、「否定される」ことにフォーカスしていない、新しい自分が生まれた。


《もらっていた、受け取っていた》

《すでに、ある》

ものに、焦点が合った結果だと感じた。


「許す」か「許さないか」

そんなことは、もうどうでもよく、

光に霞むくらいになっていた。


今まで、自分が「事実」として捉え、

《本当のこと》として思い込んでいたのは、

ほんのほんの、ちっぽけな一部。


それを、小さな頃の自分と感情をシェアし、

「ある」こと、「与えられていたこと」に気づき、事実を捉え直すことで、

《思い込み・行動パターン》が解きほぐされ、新たな世界が見えてきた。




次の日のリビングにて──。
また仲間とテレビ電話をする機会があった。
私が「今から、2階で話してくるね。」と賢人に伝えると、
「はいよ〜。」と、別人かと思うほどの柔らかな声。

あれ?賢人くん、めっちゃ優しい人やんっ!!と、思わず口から飛び出てきそうになった。胸が高鳴った。

これまでは、賢人に、「今から、2階で話してくるね。」というのだけでも怖かった。
「は?他にやることあんだろ?」と言われると無意識に思い込んでいた。いや、頭ではこんなこと言わない人、ってわかってたはずだったけれど。無駄に先読みして「否定されるに決まってる」と思い込んでいたのだった。 だから、いつも報告・連絡が後回し……。そして、余計事態を悪化させる、がお決まりのパターン。

それが、今日は違った──。全くの別景色。
相手が変わったのか──?ちがう。きっと。
私が、だ。

相手を悪者に仕立て上げていたのは──
自分のフィルターだった。

今まで、脳内でつくり出してる幻想のせいで、いろんな人との関わりを無下にしてきたのかもしれない。
けれど、これからは──。うん、もう出来てる。
賢人や他の人達との関わりが、心の底から楽しみになった。


 
テレビ電話を始め、今日の出来事をシェアした。
賢人の豹変っぷりと、そのタネについて。女子会のノリで、キャーキャーはしゃぐ私。
話し切ると、仲間の陽子さんから、「経験から得たもの」について問われた。

──なんだろう?「否定された過去」はあった、だけど、やはりその頃から、【言葉】を大切にしてきた自分がいる。

そして、3年前位から、「感性が素敵」「どうしてそんな文章が書けるの!」と言われることも増えたことを思い出した。自分では全然自覚がなかったため、忘れていた。


改めて、自分の中に、言葉があること。
今まで、温かな言葉を受けてきたこと。
「言葉」は、人間の美しさの表現の1つであること。
大切なメッセージを、私は人に伝えられること。
私の感性は唯一無二のものであり、「曇りなき眼をいつまでも研ぎ澄まそう」。

そう思うにいたった。受け入れよう。もうできている。

私が私らしく生きていく中に、言葉による表現がある。それを心の糧に、進める人がいることを。

なんだか、気恥ずかしさはあるよ。

何もやってないのに、役に立ってるの?という焦燥感もあった。

でも、周りの方が言ってくださっていることを、素直に受け取って、私が、私だからできて、やりたい未来を描くことが大切だと感じた。

私は、いままで、笑顔で伝え続けてくれた皆へ、「ありがとう」を伝えた。



この日の夜、ガシャガシャと食器を洗いながら、まだ遊んでいて寝る気配のない子どもたちに言った。

「早く寝な!明日叩き起こすぞ!」

口から自然に出た言葉に、唖然とし、私の動きが止まった──。

ん?なんだこれは?
この言葉は、私が、お母さんから言われていた言葉だった。今まで1回も我が子に言ったことなかったのに、可笑しい。可笑しいことが起きた。

目を見開いて、こちらを凝視する子どもたちを他所に、私は一人でゲタゲタと笑いながら、子どもたちに「ごめんね」と、軽く言葉を渡した。


なぜ、あんな言葉が出たのだろう。
布団に入り、子どもたちに挟まれて身動きが取れない中、頭を動かした。

左隣に、スースー寝息をたてる誠くん。
君は、言葉を大切にしている。人を傷つける言葉を言わない。まさに発電機のように明るく元気になる言葉を自然に使っている。
愛ちゃんにたいする「できるよ!」「すごいね!」が、本当に心が込もっていて、とっても優しい響き。おしり星人を真似て、おばかな言葉も発出できている。

右隣に、横向きで寝ている歯ぎしりマニアの愛ちゃん。園への送迎の車の中で、いつも歌を歌って和ませてくれる。自分の気持ちを、適当なリズムでミュージカル風に伝えてくれる。園の先生方や、家族の言った言葉をよく聞いている。ずっと覚えていて、「センセイがこういってたよ」「ママ、○○っていってくれてたよね」と表現する。
今日は、お風呂の中で、「アイちゃん、おなかのあかちゃんのおかあさんになりたい」と、目をキラキラさせて伝えてくれた。

子どもたちの内側、魂のキラキラが、美しく煌めいている。

私が、『言葉』を大切にしているから。

そして、その大切にしている『言葉』を、子どもたちも大切にしてくれている。

子どもたち自身から溢れ出る、オリジナルの『言葉』もある。私自身が、その『言葉』に勇気づけられたり、癒やされたりする。

そして私がまた、子どもたちに『言葉』を手向ける。

その、全てが輝いている。

私は、二人の温かなにおいをスゥーッと吸い込んで、ふぅーっと放った。
「ありがとう。」
私は、穏やかな微睡みを楽しみ、心の学校へと向かった──。


第5話 廻想
https://note.com/haru_s2/n/n128d7e1c4a38?sub_rt=share_b

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