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教育や子育てってなんだ?①

大学でのゼミに参加した時の問題意識


とらしま先生こと「とらさん」、前々回の投稿で僕やゆこさんに対してとてもありがたい、そしてとても勇気づける言葉をくれました。僕もいろいろ面白くなるぞーって思っています。
それで、今回はその話を受けて、僕たちが大事にしたいことを浮かび上がらせたいと考えています。

とらさんとの関係が始まったのはおそらく7年か8年前。
そこからほぼ毎年、とらさんが教鞭をとっていた教育系の大学のゼミや授業でゲスト講師に招かれることになりました。そこにいるのは、主に体育の教員を目指す学生たちです。

とらさんの学生に対する眼差しはちょっと厳しい、でも、ものすごく暖かい。そしてゼミの学生たちの人生にちゃんとコミットします。ただの知識の伝達者じゃない。
そんなとらさん、教員を目指す大学生に対して、もしくは大学のカリキュラムに対して、おそらく、こんな問題意識を持っていました。

「この学生たちを、このまま学校現場に送っていいのだろうか?」

この問題意識は、実はチームE×W= に根底に流れるテーマなので、今日はそんな話をお書きします。学校の先生や先生を目指している学生だけでなく、学校教育や子育てに問題意識を持っているみなさんに読んでいただけると幸いです。

発達障害のある子供たちが「体育嫌い」になってしまうのは?


学生たちは、幼少期からスポーツをみっちりやってきて、実績を残してきました。そして、国立大学を受験し合格。そこでもスポーツを続け実績を残す。そして体育の先生を目指す学生たちです。
健康的な身体を持ち「子供たちのために!」っていう志や想いをもっています。そして教員を目指しているのもあり「学校は良いもの!」って思ってることも多いです。
それはとても良いことです。関わってみるほど素直で優しく逞しい!君たちいいヤツだなッ!って思います。良い先生になってほしい!って心から思います。でも、だからこそ懸念が、、、。

僕は発達障害のある子供の育ちをサポートしています。多くが「体育嫌い」って言うんですね。彼らは発達性協調運動障害ってことも多い、そうでなくても動きがなんとなくぎこちなかったり、集団での協調性を求められる球技が苦手だったり。そこできっと「体育嫌い」ってなっていくんでしょう。

でも、、、その子たちは、もともとは運動大好きなんです。子どもって体動かすの大好きなんです。じゃあなんで「体育嫌い」ってなるのか?もしかするとそれは上記のような「いいヤツ」な教員となった時に、生み出してしまう可能性があるのでは?

スポーツが生み出してしまう「教育観」のリスク

スポーツは、指示命令に従って、努力をして、成果を出して、、、っていうのが文化として根強いです。スポーツで成功してきた人は、ここに適応してきているんです。それは凄いことです。

一方で、この適応への努力は、安易な根性論・精神論、成果主義的な思考に結びつきやすい。気づかないうちに状況に対して過剰に適応してきた、それを内面化している可能性があります。

これが教員としての教育観・指導観になっていくと発達障害のある子どもたちにはマッチしない可能性が出てくる。あるいは学校での傷つき体験を作ってしまう可能性があります。たとえ、その教員が「運動は楽しい!」「運動の素晴らしさを知ってほしい!」と思っていたとしても、です。

そんな根性論・精神論を是にしてしまう、大学の文化や学生たちに対して、おそらくとらさんは問題意識を持っていました。発達障害のある子どもたちをたくさん支援してきた僕としても同じ問題意識なのでした。

だからこそ、「そもそも」から考えたい

そして、これは発達障害だけの問題ではないです。体育の教育学部の学生だけの問題でもないです。学校や教育産業などの教育現場、そして子育て福祉の現場においても同様の問題が根強く残っています。

そんな学生たちに伝えたい、考えてほしいこと、そして僕が一番大事にしていることは、そもそも「教育の目的ってなんだ??」ってことです。
自分の「教育観」を内省的に見つめて、磨いて更新してほしいのです。上位の目的を探求することは、教員を目指す人に(子育てをするみなさんにも)必要なことなのではないか?と思うのです。

次回は、この「教育の目的」についてちょっと考えてみたいと思います。ちょっと抽象的で理念的なお話が続いていますが、いずれ不登校や発達障害、思春期の子どもたちの育ちのサポートについて、具体的実践的なお話をしていきます。

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