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選択するという事の大切さと覚悟

久しぶりのブログ

体調がそんなに良くない中でもなんとか頑張っていた自分だったのですが、急な肌荒れ、ストレス性なのか胸の動悸と痛さ、そして激しい無気力感に負けてしまい、今日は朝から何も用意できずに薬をのんで寝たままです。自分でも嫌気がさします

今日はタイトルにもある様に"選択"ということに焦点を当てて書いていきたいと思います。

人生は生まれてくる事は自分では選択はできません
それは親が選択し、親の都合で生まれてきてしまうからです。

しかし、生まれてきた後の自分自身の人生についてはもうこの世に生まれ落ちた瞬間から始まっているのではないか?
そう感じてしまいました

私の簡単な経歴としては
ごく普通の家庭に育ち、平凡な人間として初めは生きていたということ。しかしそれからは両親が共働きということもあり、私は母方の家で預けられる日々が多かったということ。
そして私には少し世間で言う普通とは外れていることがあり、それが仇となり
保育園には行っていませんでしたが、小学生から中学校まで壮絶ないじめにあっていたということ
高校、大学はなんとか乗り越えたものの
ごく普通の社会人になると短期間でドロップアウトしてしまい、
それから心療内科へ心理テストと共に通院

自分には他にも問題というか抱えているものはありますが、今回はそれは控えて
ASD、発達障害だと診断をうけました
今はそれにつれて自律神経失調症とパニック障害を抱えています。

ながくなりましたが私のざっとした書き出した経歴はこんなもの

さてここからは本題。

生きていくこと、人生って自分の理想通りになんて完璧になんてできません
私も好きでこんな風になったわけではない

でも冒頭の方で書いた通り
人生って色んなものの選択です。小さい頃から
だんだんとその選択の重みも違ってきます

例えば私の親は幼い頃はとても教育熱心でした
叔父と叔母や祖父祖母もそうでした

そしていく高校までもが生まれた時からきめていたようです。
しかし、私は一点集中型で、自分の興味のある事には凄くのめり込んでしまうのですが、自分の興味のない事にはなかなか手が動きません

しかし両親が怖い一心に
私は親の言う事は絶対という心もあり

全ての感情をできるだけ抑える努力をして
親の言う通りにしました。
しかし、私はいくら努力しても元の頭が
母親の様に良くありません

たとえば母親は一、ニ時間で理解できる事を、私は1日、2日はかけないと理解できないのです
なんともお恥ずかしい話ではあるのですが

だからこそ私は勉学に関しては本当にトップクラスと言っては傲慢で烏滸がましいですが、
そのグループにすこしでも踏み込むためには

大量の努力と場数をこなす必要がありました

しかしタイミングの悪い事に家の中でもその様な状況下の中、学校ではもの凄く悲惨でした
今でもハッキリ
カラーの写真、映像に焼き付けた様にあの地獄のような日々は忘れられません。

その中でもなんとかやってこれたのは
母親の存在等もありましたが、
母方の祖母の言葉でした。

どんな事があっても決して負けてはならない
努力して信念を貫けと

幼い私にはあまりハッキリと覚えてはいない言葉ですが、その時の私にはこの状況から逃げずに戦えと言う事だと思っていました。

もちろん父親も怖かったので、
どんな理由があろうと学校を休んだり、行かないなんて事は認めない
行かない様なものなら
首根っこを道路を引きずってでもつれていく

とくぎを刺されていたのでわたしは
悪い意味で覚悟を決めていたのだとおもいます。

自分はこの境地から逃げる事はできないなら
受け止めて刺されてなんとか真っ当しなくては

そんな日々が十数年続いたのです、、

私は本当に取り柄がない、昔からなかったのです

勉強もどれだけ努力しても母親のように上手くできない、結果を出せない
友もまともに作れない
いじめに遭う
特技も何もない

できた事は多少なりとも微かにあれだけの時間を費やしてきたわりにの、ほんの少し良い成績を取ると言う事だけ

英国、マザーグースの童話の笛吹きのトムかそれよりも何もできない
正に人間の出来損ないでした。

しかし、ここで話は戻り、
もっと幼くとも選択すべきだったのです

私は母方の祖母、祖父の影響もあり
美しいものが大好きなのです

自分もできるだけ、醜くても
ほんの少しでも美しくありたい、強くありたい
そして映画も大好きだったので俳優や歌手等
芸能界やエンターテイナーに凄く憧れていたのです。

勉学に励む事は決して悪い事ではありませんが

自分はどうなのか
どこまでしたらもう自分はいいと思えるのか

私はどんなに厳しい怒りや罰を買おうと
両親に自分の本当になりたいものや、
あるいはしたい事について話をして
自分の少しでも得意な分野に力を注ぐという選択をすべきだったのです。

私にはその勇気も覚悟もなかったのです

でも今、こんな苦しい状態になるなら
もっと早くにそうした選択をとるべきでした。

就職活動もそう。
父親が色々言ってきても
自分の今の最善の居場所を死守して
そしてなんどでも
最終わかってくれなくても話をしてお願いをするべきだったのです

私は選択してきた人生では殆どなく
自分を取り巻く人間に対して強制されてきた人生であったのかもしれません
もちろん全てが悪かったと言うわけではありませんが

私は選択することの大切さを本当に理解していませんでした。

幼い頃から今までの積み重ねの結果がこの
現在だなんて

わたしを虐めて生き恥を晒されて不様な思いをしているなら、どれだけ殴られても父親に
今の学校にはもういきたくない
今の場所は嫌だ!

ハッキリと勇気を振り絞っていうべきでした

結局、自らの選択です。
子供の頃や幼い頃というのは世間も大人も

辛いとかわいそうにとか情けの声一つはかけてくれるかもしれません

でも大人になればだれも優しくなんてしてくれない
親から言われた事や環境だったとはいえ結局はお前が選んだ道だろ?お前の責任だ。いい年して甘えるな

こんな言葉が返ってくるだけ
もっとひどい言葉が返ってくる場合もあります

そのくらい世間、世界は
私達に優しくなく
残酷で

自分が生き残るため、自分がのし上がるために
他人を陥れたり、蹴落としたりする
そんな醜悪さをもつ

それが人間の本質です

そしてその穢らわしい血は私の中にも入っているのです

でも人間という世界で最も醜い人間社会に生まれてきたからこそ

人生の一つ一つ
幼い頃から、まだ寄力がある限り
選択しなくてはなりません

少しでも自分の為に

自分はどういう人間で何になりたいのか、何が欲しいのか、何がしたいのかそれを頭に子供も選択を自ら

しなくては

結局我慢や忍耐なんて言葉はもう今は古い
自分の夢のためや、本当に自分にとって大切なもののの忍耐はいいですが

そうでない我慢や忍耐など何にもなりません

結果今の私の様に
生きる価値のない廃人。世間や世界からは早く死んでくれないかと思われるようなお荷物な存在になる

これはどんな理由があれ
結局、結果は私の選んできた道

つまり私の行いの結果であり全ての責任は私にあるのですから
私の願いはこの苦痛を耐える力が日に日になくなってきています。

できることも殆どなくなりました。

苦しみは増えていくばかり

そうならないように
これを最後まで読んでくれた方に0.01ミリでも響くものであればそんなやりがいのある事はないのですが、
子供、若い方、大人の方も
健康というものは尊いもの。けっして当たり前にそこにあるものではありません。
こんな身体になったわたしだから少しでもわかります。

その健康と強さはどうかどうか大切にして下さい

そして選択する際は
自分に向き合い、自分に素直になり
少しでもご自身の納得できる道を選んでください

私のような人間になる前に。

皆さんどうか、ご自愛下さい
最後まで読んでいただいた方がいれば心から感謝します。それでは

ありがとうございました

                     ハル

p.s

Tom, he was a piper’s son.
笛吹の息子トムは
He learnt to play when he was young,
小さな頃に笛を習った
And all the tune that he could play,
唯一演奏できるのは
was “Over the hills and far away”.
「丘を越えて遠くへ」だ

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