見出し画像

意識の層~「わたし」の正体

昔唐突に父親が訊ねてきたことがあります。
「自分はどれ?とか自分はどこ?って言われたらどこを指す?」

皆さんはどうされますか?
ちょっとやってみてください。

父に言わせると、大抵の人は胸の辺りを指さすのだという。
後日妹が同じ質問を受けてやはり胸の辺りを指していました。

わたしは・・・当時のわたしは自分の外側を幾重にもなぞって「こんな風に大きく拡がってる」と答えました。

いまは少し違うと感じています。
大きな拡がりの中に自分の肉体がある、という感じです。
主体的な感覚というか視点みたいなものが移動した感じです。

またしばらくしたら変わっているかもしれません。

そして、そういう「大きな拡がりの中の自分の肉体」という拡大した自己の感覚を知りながらも、大抵は肉体からちょっとはみ出ているぐらいの自分として自分を認識している時間が殆どで日常を過ごしています。

つまり自分が伸び縮みしているわけです。

「拡大した自己の視点」という表現を使ったり、怖いことなどがあった時に「身の縮む想いをした」などと表したりしますが、それは本当に起きていることだと思います。
皆さんご自分のエーテル体などをちゃんと感じ取っているわけです。

じゃあじゃあです。

ある行動、決断、発言をしようとしているとき、自分の状態を意識したことはありますか?
もっと突っ込んだ言い方をすると、自分の中の何がそれをしようとしているか感じたり考えてみたりしたことはありますか?

よく「気が大きくなって」ということばを使います。

積極的で普段の自分なら怖気づくようなことができたり、ポジティブに考えられたりします。
それは文字通り意識が拡大している状態、拡大した自己を生きている状態なのですね。

じゃあお酒を飲んでいれば万々歳と思わないでくださいね。大きければ穴が空いていても荒れてても何でもいいっていう考えが横暴なのと同じですから。

逆に消極的でネガティブな思考の轍にはまってしまうような状態。胃を掴まれたようにギュッとなって、オーラなんてガタガタな形で肉体部分に張り付いてしまっているんじゃないかという感覚がします。

これは答えを書いているようなものですが、ネガティブな思考の核、つまり怖れが主導権を握っている状態なのです。
そして重要なことは「恐れ」というものは「いま・現在・ここ」にはないものなのです。

目の前にあるように感じるのに、実際には自分では取り払えない。
だって「いま・現在・ここ」という自分が影響を及ぼせるエリアにはないのですから。

そうして人はこの幻想を前に縮こまってしまうのです。

いまご自分を小さく無力に感じている方は、なにが自分をそう感じさせているのか一度洗いだしてみることをお勧めします。
大抵の方は過去の出来事を幾多とあげて、それによって今があると論理だった秩序として自分がこうなっているかのように仰ると思います。

でも。

過去の出来事は確かに事実として存在するけれど。

それに対する意味づけは変わりうるものである意味幻想的なものであることに注意してください。
あなたはあなたの「ストーリー」によっていまの自分を描き出しているのだということを知っていてください。

自分がどう感じているかに関わらず、人という存在は叡智と叡智が出会ってできた広大で奇跡的な存在です。
それ自体に個人による差はありません。

あなたという存在が本来の輝きを取り戻すために、自分が今この瞬間をどの意識の層で生きているのか、意識して感じてみる時間をとってください。
少しづつで構いません。

自分が本当はなにをしようとしているのか、問いかける時間を持ってください。
頭とこころと身体がバラバラな状態ではなく、調和して望みを叶えることができるように。

今日も素晴らしい一日をありがとうございます。 

(今日はわたしのお世話になっている大好きなトミーさんの画像をお借りしました。「意識」で検索したらたくさん出会ってしまった♪その中から拝借いたしました。トミーさんいつもありがとうございます。)


ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!