宇宙の蝶とドーナツと生命の花
表現者としての自分はなにがどうなってもずっとあり続けるのだと思っていた。
絵を描くことでも、歌を歌うことでも。
詩や文章を書くことでも、写真でも。
それ以外の洋裁や小物づくり、インテリアの選択でもなんだって。
すべてが自分という表現になると思って、情熱を注いできた。
最終的に自分の生きた道がアートになっていれば最高だと
そんな風にも思ってきた。
でも。
個性的なことを誇りに生きて「変わり者」と呼ばれながらも
あまりに凡庸な自分自身に
果てしなく絶望した。
わたしが表現したものを皆がわたしらしいと口を揃えて言う、そんな時すらも、自分がわからなくなって「自分探し」をして。
生きていてもいい自分を探して。
価値のある自分を探して。
彷徨って、彷徨って
自分を探すために自分が惹かれた世界をただただ辿り歩いて
気が付いてみたらあまり「自分」というものにこだわらなくなっていた
ようやく「じぶん」を掴みかけたひかりの中で見つけたのは「自分」を超えた世界だった。
そこには色んな表現が溢れている。
生き残りも競争もなく。
優劣もなく。
外にあると思っていたものは内側からあふれ出たもので、本当は外側も内側もなかった。
すべては繋がりあっていたのだから。
わたしの選ばなかった表現をある人が、また別のある人がそれぞれ生きてくれている。
わたしのパラレルは「いつか」の「どこか」ではない「いま」の「この次元」にも展開している。
「だれか」の色は「誰かの色」だ。
RGB
でも「誰かの色」がそうして表現されていること自体が喜びだ
RGB
すべてのスペクトル
「わたしが」でも
「わたしも」でもなく
ただ「ありがとう」って思う
その表現に
皆が作りあげているこの世界という表現に
この世界は
時に痛い。
時に辛い。
涙が止まらない。
それでも。
それ以上に。
すべてがあってすべてだから。
壮大で繊細で涙が出るほど美しい
この宇宙に
ありがとう
ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!