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振り返り日記~自宅サロンを開業するという道

今日はなんということはない自分との対話です。
とりとめなく綴っています。

* * *

いままで契約していたお店を辞めて、自宅サロンだけで収入を得ていくことになった。そのあたりの経緯と意識の変化は以前の「転換」と題したシリーズの記事にも書いている。

収入という面では正確には主に夜、契約先からの依頼があった時だけ吉良温泉のホテルまで出張でマッサージに行っている。
法的には「マッサージ」って言えないんだけれど、関係者がマッサージと呼ぶのでね。合わせてる感じです。

いまコロナ禍になってから旅館関係は打撃が大きかったようで、旅行者が戻っても余分に人と会うことになるサービスは控えめなようで・・・なかなかです。

そんな中収入の柱を失うなんて・・・貯金はなく借金やローンはガッツリある。正直足がガクガク来るような不安。明らかに心拍上がってるし。
なのにどうしてこうわたしといえば傍から見たら平然とした様子にしか見えないんだろう。

そんなことはさておき。

辞めてみれば嘘みたいに快適な生活が待っていたのはわたしがHSPでもあるからだと思う。時間を計る目安にしていた朝の情報バラエティもテレビつけなくなったらこんなに快適かと驚くほどだった。
情報という得るものより音や思考のかけらのような様々なノイズによって損なわれる心の健康、その弊害の方が大きい。

会う人間が減ったのは寂しいし刺激もなくなるけれど、やっぱりその分平安がある。
内向型HSPは無駄な刺激を減らすに限る、ということを改めて痛烈に実感した。

とはいえ。
開業届けさえ出せばうまくいくこともないわけで。
看板を出せば客が入るなんてこと、完全予約制の田舎のサロンでは皆無なわけで。

覚悟は決めていた。
なんでもやってやると。

だって、いまある借金だって自己投資の結果だ。
学校と学校とそれにまつわる出費。

いっぱい出資しているのに「自信がない」「うまくいくわけない」とか言い訳して動いてないのはこのわたしだ。
他ならぬ自分が自分を裏切ってきたから今こうなっている。

持っているものが価値があろうがなかろうが全部使って、諦める前に思いついたこと全部やるしか道がなかった。
夏休みの最後の1日のように、どうにも手がなくなって開き直ったのに似ているかもしれない。まさにわたしは後回しが大好きな人間だから。

SNSとかもってのほかだったのに。
周囲に触発されて始めては見るけれど、初めて見る名前を含めたくさんの名前を目にするようになると息が詰まってきて逃げ出したくなる。
すぐに更新しなくなる。
知っている人も顔が見えないと、情報が読み切れないとアクセスが怖い。
いまでもそうだ。

だけど、いまLINEにFacebookにInstagramにTwitterまでアカウント開設してしまった。note以外は毎日じゃないけれど更新もしている。
Facebookなどは現に友だちが繋がっているから、正直いつも眩暈を起こしそうな気分だ。とてもじゃないけれど慣れるまではインスタグラムと連動なんて1ミリも考えられない。

おかしいな、覚悟を決めた話だった。

そう、そんなわたしだけれどYouTubeまで開設しようとしている。お客さまに商品を安心して購入してもらうための説明動画とか、そんな必要性を感じだからだ。

覚悟。

HSPの人は割にクリエイティブな人が多いという。
そしてその浮かんだアイデアを全て現実のものにするために頑張りすぎてしまうらしい。

https://tomooo.com/hsp#HSP-4

敏感さ以外にそんな特徴もHSPゆえだったと感心したけれど、当然のごとく覚悟の名のもとにぶっ続けでPCに向かっていたわたしの両目は重い鉛の玉のようで、周辺の筋肉が鉛中毒になったんじゃないかってほど頭痛に見舞われたのはまぁ人間まるごとは変わらないってことで。

リンク先の記事はいままで読んだどのHSP関連の文章よりも興味深い内容で面白かったです。
HSPの方におすすめします。

で話を戻すと。

立ち止まっているタイムリミットが来て。
なにがなんでもなにかしらやらなければいけなくなって。でも外に働きに出る選択肢があり得なくて。

前に進むしか、資金もなくて自分にしてきた自己投資を形にするしか方法がなくて。

外に向けて自分を発信するとかありえない選択だったけれど、存在するとも知らない店に人が来るわけもなく自ら自分の店に人を案内しなければいけなくなって。

というのもわたしの興味も才能も人間に直接向き合うところに一部あるから・・・HSPだけれど人が嫌いなわけじゃないのですよ。大きい括りで好きなのです。刺激過多に陥りやすいだけです。

そんな経緯で開き直った私はいままでじゃ考えられない行動を始めた。
覚悟の名のもとに。
逃げたくても逃げる道を無くした。
やると決めたらどんどんアイデアは湧くから、ビジョンのはっきりしているものから次々行動していった。

そんなわたしがふと思ったのは、今の自分はなにかになってないかな?ということ。
なにかのペルソナになっているんじゃないかな?

先ほどのサイトではHSPにはペルソナが必要だ、と書いてあった。
勿論、どんな人でもある程度役割を生きることは求められていて、実際それをやっている。

でも必要ないところでも自分自身を生きることを忘れてしまったかのように誰でもない自分を生きている人がいる。

誰かのようになりたかったのかもしれない。
でも当たり前だけどなれなくて、目の前の要求に答えながら平和主義者の名のもとに無難に波風立てず自分を殺し続けている人がいる。
周りのものを感じすぎて、本当の自分自身を見失って生きている人がいる。

わたしは「うまくやる」ために「なにか」になろうとしていないかな?

そんな問いかけを久しぶりにした。
気ままに好きに生きてきて、以前に比べ自分の意見を言うようになっているわたしが、珍しく昔のように頑張りすぎているから。

楽しくもあるから頑張れてしまうのだけれど、身体が悲鳴をあげているのに突き進もうとしているのはバランスが悪いサインだ。
だから問いかける。

自分を変えようとしていないかな?
誰かのようになろうとしていないかな?
目的が最初に意図したことと矛盾したりすり替わったりしていないかな?

結果がついてくると嬉しくなる。
でも結果をもとに未来への線を伸ばしていこうとすると自分が置き去りになる。

立ち止まることも必要。
一息つくことも必要。

わたしが他でもない、たった一人の自分自身を生きるために。

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