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OSAKA 橋と物語 跳ねる指 6/6 at 筑前橋

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会社付近に到着したことを同僚に伝えるとかずしはLINEで店を指定された。今まで訪れたことのないバルスタイルのイタリアン居酒屋だった。店に入るとすでに同僚の矢崎は席に着いていて、手を振りかずしを手招きした。矢崎の正面の席には見知らぬ女性が掛けていて、かずしに軽く会釈した。連れがいるとは聞いていなかった。

「丸富物産の坂木小実さん」

紹介を受け彼女はまた頭を下げ、お互いに自己紹介を済ませると、矢崎が勝手に追加のビールを注文した。ものの一分で届いたグラスをぶつけ三人で乾杯を終えると

「どうだった?」

と矢崎が訊いた。

「さっきまで、お前の恋の再会話について坂木さんに話してたんや。今日、大田さんとこに行ってたんやろ? また、名も知らぬ彼女とあの橋でばったり?」

筑前橋の先にある大田製紙加工所が営業先だ。総務部の矢崎がかずしのスケジュールを把握しているということは、わざわざ営業部の外回りスケジュールボードを確認したということだ。そして、先着した居酒屋でかずしを待つ間、再会話を酒の肴にしていた。

「ぜひ、聞かせてください」

答えを渋るかずしに、坂木さんの目に好奇の色は浮かんでおらず、恋愛話を楽しみたいという様子はなく、落ち着いた口調で尋ねられた。勿体ぶるような話でもなく、失敗話の方が酒の席では好まれると経験から得ていたので、かずしは今日の再再会について話した。話途中、いくつか坂木さんから質問があったのは、矢崎が詳細を端折って話していたためで、かずしは彼女との出会いから今日の落胆までを仔細に話すことになった。

「その彼女はなんて印刷会社に勤めていたんですか?」

「いや、尼崎の辺りだったのは憶えているんですが」

かずしは彼女については鮮やかに記憶していたが、自分の働いた会社名は忘れていた。

「演奏を聴いたお店の名前は?」

「何だったかな」

坂木さんの質問攻めにことごとく答えたれない。見かねたのか矢崎がスマホで大田製紙加工所付近の地図を表示させた。かずしは筑前橋南の店を探し当てた。

「ピアノバーサンセット」

矢崎が店名を読み上げると、坂木さんは自分のスマホで検索をかけた。矢崎が地図からサイトへのリンクをクリックすると殺風景なページが表示された。営業時間とインフォメーションのみでドリンクや食事メニューの記載すらない。インフォメーションのところに、日付と演奏者の時間が羅列されている。最上部に女性の名前「サクラ」とあり、続いて3名の演奏者名は全て男性名だった。

「サクラ」

坂木さんは口の中で噛みしめるように呟いた。

「名前すら知れなかったか」

矢崎がため息をついた。坂木さんが何か言いかけたとき、遅くなりましたーと甲高い声が聞こえた。坂木さんが遅れて現れた女性を紹介した。かずしはそっと矢崎の耳元で訊いた。これは何の集まりだ? 矢崎は合コンだと答えた。

坂木さんの友人と矢崎は本町駅へ向かい、かずしは坂木さんと堺筋本町へ向かった。自宅の方角が同じで居酒屋で盛り上がった海外ドラマの話題を続けているうちに、かずしの降車駅名がアナウンスされた。「今日はお話できて楽しかったです」と無難な言葉を残し混雑した車内を縫い電車を降りた。

振り返り車内の坂木さんを見送ろうとすると、扉が閉まる寸前、坂木さんもホームへ降りてきた。坂木さんは満員電車の人波を抜け髪が乱れていた。それを落ち着きなく直しながら、降りた電車が去っていく音を背中で聞いていた。

「言うべきか迷ったんですけど、どうしても言いたくて」

すっかりホームを流れる人々が階段へと消えていった後、坂木さんが切り出した。

「サンセットのサクラ、たぶん。私、知ってます」

かずしは一瞬、何の話をしているのか解らなかった。固有名詞を吟味し、あの再再会した彼女のことだと思い至った。

「私、尼崎の大日印刷で派遣で働いていたことがあって。そのとき、同じ派遣でよく一緒にお昼を食べてた子が、佐倉て名字だったんです。その子、ピアノやってて怪我で弾けなくなったことがあったけど、北岡病院で手術して弾けるようになったんです。気になってた人って佐倉さんのことだと思うんです。私が派遣辞めてからは疎遠になったけど、連絡先はスマホに残ってるから」

「ありがとうございます。でも、もういいんです」

かずしは清々しい思いだった。

「薬指の指輪って、どんなでした? 結婚指輪じゃないかもしれないし」

とっくに諦めたかずしに、坂木さんは食い下がる。

「僕が彼女に紹介したの。確かに北岡病院です。坂木さん、よく憶えてましたね」

「佐倉さんに病院を紹介された話を聞いたとき、紹介してくれた人、いい人だなぁって思って記憶に残ってたんです。変ですよね。私が病院紹介されたわけどもないのに」

坂木さんは言ってから、自分の言葉を肯定したいのか何度も頷いた。褒められたのに、かずしは素直に喜べなかった。純粋な善意ではなく彼女との接点を作りたいという下心があったから、格好のいいものではない。

けれど、佐倉という名前の彼女の記憶には残らなかったくとも坂木さんが間接的にだが、憶えていたことにあの当時の想いに意義を与えてくれた。この予想できない恣意的な出来事に、かずしは過去に問いかけた。あの印刷会社の食堂で佐倉さんと向かい合いお昼をとっていた女性の背中は坂木さんの背中だったのだろうか。

電車到着のアナウンスの後に地下鉄道を抜ける突風がホームに吹き荒れた。せっかく整えた坂木さんの髪が吹き上がった。坂木さんは慌て髪を抑える。その彼女の手の薬指は跳ね上がることなくたたまれていた。

END


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