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できる人は辛いよ 頼られ続けたその先に 地方公務員の出世(前編)

 できる後輩が辞めるそうだ。僕が同じ職場だった頃は本当に頼りにしていて、彼ばかりに尋ねて負担を集中させないように、注意するようにはしていた。
 が、やっぱり他の方からも頼りにされていた。業務も大変な部署ばかりに異動させられ、これでは資格試験ができないと、本腰を入れるためであった。
 「原田ちゃん、笑顔だよ。笑顔でいればなんとかできるよ」と僕を励ましてくれた先輩も途中で辞めた。一緒に働いていたときはスポーツで締まった身体が、むくんでいて、何かあったのだなと思い胸が痛くなった。何かにつけ優しく支えてくださったので、涙が出た。

 頼られる人ほど、町民、同僚、上司から何かにつけてお呼びがかかる。
 まず、町民からはお問い合わせ窓口というワンクッションもなく、カウンターからいきなり質問をぶつけられる。
 できると認識されると、本当の担当を紹介しても名指しで頼られる。大体そういうお客は自分の問題がどうなってるかも理解しておらず、案件もこんがらかってしまっており、解きほぐすのにものすごい時間がかかるが、窓口業務の課以外は仕事のうちにカウントされない。業務は残って仕上げることとなる。こうしてできる人の「顧客」は地味に増えていくのである。
 
 同僚は何かできないことがあれば、頼って電話してくる。当たり前ながらそれも経験が必要で難易度が高い。上司からも同様である。他の人には聞かないのだ。ツボをしっかり抑えられるやつというのは貴重で、しかも皆が認識できる能力なのである。
 そして、自分1人分(普通の人でも適宜残業しないと完了しない仕事量である。部署によっては恒常的に残業だ)に加えて、ポンコツがいればお世話ないしはその人の仕事の分を持たされる。本当のポンコツは、手取り足取り教わっても、むしろ悪化させて仕事を製造するので、実質2.4倍に膨れ上がった仕事を孤独にコツコツ終わらせる。
 
 できない人は少ない仕事を与えられて、フォローを受けてすぐ帰り、できる人は多く仕事を当てられ、他の仕事も請け負わされる。階級が同じなら、給料額の差は残業代だけである。
 子泣きじじいを背負っているような重荷に卑屈にならず、いつもにこやかに対応する鋼のメンタルと知識を備えていったとしよう。係長、課長補佐、課長と階段は進んでいく。ここまでで、数十分の1の選良である。

 課長には大きく分けて、2タイプいると僕は思う。
 1つ目の切れ者タイプは、人事や財務の、絶対バカに任せてはいけない部署で、さらに、さらに難しい難題を処理し続ける。高い山に登るが如く、空気は薄くなり苦しくなるのに、生き残っていく。田舎の知性である。
 その知性は、国の無茶振りと、お偉いさんのドリームプランと、現実の狭間を調整していくことに捧げられる。

 2つ目のタフで人当たりがいいタイプは、長として、常に誰か来て判断を求められたり、難客の相手をする。あまり年次休暇も取らずに、常に在籍しているのが特徴だ。常連のハードクレーマーのお相手、各課との調整がいつ降ってくるかわからないからか、そもそも休みたいという気持ちが沸き起こってこないのか。

 皆さんはずっと会社にいるやつなんて馬鹿だと思うだろうか?今は、この人種はネット上の冷たい視線にさらされている気がするが、常に上司がいて判断を仰げる環境というのは、部下としてやっぱりありがたいと思う。
 皆が、サクサク仕事をして、さっさと帰ってしまうようになれば、「先輩の時代はそういう上司がいてくれて幸せでしたよねー(イヤミ)」となる気がしている。そのポジションに自分がなろうとは思えないのがミソである。

 うちの課長は毎朝8時前には出勤している。7時台なのか、僕は知らない…。雨の日も雪の日も地震の日も、時間通りに出勤する。
 20代、もしかしたら10代から云十年。気力・体力と本人の努力。その3つを兼ね備えていないと途中で挫折する強さであろう。
 課長となったとき、彼らは何処を見るのだろうか?
 長くなったので、後編に続く!
 
 
  
 

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