田島幸帆/沖縄のダイビングインストラクター

平成3年生まれ | 東京出身沖縄在住 | 大学を2年で中退し、海外バックパッカー中に海…

田島幸帆/沖縄のダイビングインストラクター

平成3年生まれ | 東京出身沖縄在住 | 大学を2年で中退し、海外バックパッカー中に海にハマり、ダイビングインストラクターの道へ | エジプト、与論、パラオで働いた後、沖縄本島に。気づけばガイド歴10年目 | ショップ退職後、現在は旦那様と「DS natura」を経営中

最近の記事

海の怖さを胸に刻む日。

6年前の今日、同僚を海で亡くした。 原因は素潜り中のブラックアウト。 毎年彼の命日は、「海は怖い」を改めて胸に刻む日。 ーーー 彼と私は職場への入社はほぼ同じ時期、歳は1個上だったけど同期のような存在。 水陸問わず生き物が大好き、写真を撮ることや絵を描くことが大好き。 休みの日には1人で森の中に生き物探しに出かけたり、酔っぱらってカミキリムシと会話してたり、水中のプランクトンを採取して顕微鏡で観察&撮影していたり、アーティスティックで不思議な子だった。 (彼が店

    • ダイビングインストラクターの妊活事情

      前回書いた「ダイビングインストラクターの生理事情」という記事。 少し生々しく触れにくい題材だったのもあり不安でしたが、共感の声をたくさんいただけました。 今回も『妊娠』『妊活』という普段なかなか話しにくい事について、書いていきます。 1.ダイビングインストラクターの妊娠妊娠が分かった瞬間に、周りに公表するしかなくて、今の仕事が一切出来なくなる職業ってあるでしょうか。 考えてもあまり思い浮かびません。 私たちダイビングインストラクターは妊娠が発覚した時点で、「水中に潜

      • ダイビングインストラクターと生理の話

        今回は女性インストラクターなら避けては通れないお話。 そう、「生理問題」です。 インストラクターとしての目線、お客様側の目線、一人の女性としての目線からそれぞれ書いていこうかなと思います。 多少生々しい話となってきますので、苦手な方はご遠慮ください。 1.インストラクターの生理事情まず、私はかなり出血量が多い方です。 これから書いていくことには当然個人差があるので、私は私の悩みがあってやり方があって、人によって違うことを踏まえたうえで読んでください。 生理中の女性

        • 私がダイビングインストラクターになるまで【最終回】

          日本に帰国後、私はある島と出会う。 それが3年住んだ与論島だ。 きっかけは出国前から働いていた居酒屋のアルバイト。 帰国してからも少しの間働かせてもらっていたが、その時のお客さんが与論島出身だった。 居酒屋によくある店員さんが付けている手書きの名札に「ダイビングが好きです!」と書いていたところ、「海がめちゃくちゃ綺麗だよ。毎年ホテルでスタッフ募集していると思う」と教えてくれた(その時与論島を知らなっかった私は休憩中にすぐ検索し、募集ページを保存した)。 ちなみにその

          私がダイビングインストラクターになるまで【6】

          結局、2度目のエジプト・ダハブでは3ヵ月過ごした。 目標にしていた「ダイブマスター」に合格後、そのまま滞在を続け、水中ガイドとして少し手伝わせてもらったりもした。写真はエジプトでのガイド風景。 1ダイブ、何人連れても貰えるのは10ドルだった。 ほんの僅かなお小遣い程度のお金だったが、最初の10ドルはいまだに使わず取ってある。 ちなみに、ダイブマスターからは前の記事記載の通りプロ資格。登録時のお金(今は更新料)や保険料の支払いで、私の旅の資金はすっかり尽きた。 ここで

          私がダイビングインストラクターになるまで【6】

          私がダイビングインストラクターになるまで【5】

          旅を途中で止めて、残りのお金をダイビングのために使うことに決めた私。ケニアから南アフリカまで縦断した後、3ヵ月半ぶりのエジプトに帰ってきた。 期間は未定。取得予定の資格を取り、満足するかお金が無くなるか、といったところだ。 ちなみに私が取得していたのは世界最大のダイビング機関である「PADI」のCカード。正式名称はCertification Card、 ダイビングの認定証のことをいう。以下の写真のように段階を踏んで、レベルアップしていく形となる(この辺りを解説していくと長

          私がダイビングインストラクターになるまで【5】

          私がダイビングインストラクターになるまで【4】

          アフリカでの3ヵ月の間、半分ほどの期間を一緒に旅した仲間がいる。 高校の同級生だという同じ学年の男の子たち4人組だ。 彼らのうち2人とは日本で知り合い、旅の期間が重なることもあって合流の計画をしていた(あとの2人はアフリカ集合だった)。 私も少し不安だったし、単独だと行きにくいところもあったりしたので、途中まで一緒に行動させてもらうことに。 サファリ回ったり、キリマンジャロ登ったり、ひたすら島でのんびりしたり、一言でいうと最高だった。 Wi-Fiどころか電気すら使え

          私がダイビングインストラクターになるまで【4】

          私がダイビングインストラクターになるまで【3】

          ダイビング三昧だったエジプトを後にし ヨーロッパは唯一のイギリスへ。 実は小学生の頃からずっと憧れていた国。 ロンドンのみに2週間近く滞在し、 タイミングよくオリンピックと重なった。 合わせて行ったわけじゃないけど、これは超ラッキーだった。 前の試合で母国が負けちゃったおばさんから 会場前でチケットを購入し女子バレーの日本戦を観戦(「NEED TICKET」という看板持ってたら譲ってくれたのだが、普通に何もチェックなく入れた)。 街全体もあちこちお祭りムード。

          私がダイビングインストラクターになるまで【3】

          私がダイビングインストラクターになるまで【2】

          1ヵ国目は一人旅の定番、タイ。 日本からの移動距離でひとまずの航空券が安いこと、その後の行先(特にアフリカ)で必要な予防接種を格安で打てる、という理由からだった。 黄熱病と髄膜炎を受けた覚えがある。 こちらも定番なインドが2ヵ国目。ここでの目的はなんと語学留学。 海が近く、ポルトガル植民地だった名残が色濃く残る、ゴアという過ごしやすい町。日本人のいない学校で、1ヵ月間なかなか濃い時間を過ごした。 そして、3ヵ国目に運命の国と出会う。 ここまでのタイ、インドは出国前

          私がダイビングインストラクターになるまで【2】

          私がダイビングインストラクターになるまで【1】

          21歳になる春、私は大学を辞めた。 そして240日間のバックパッカー旅行に出た。 きっかけは大学1年生のとき。 夏休みに1ヵ月間カンボジアでボランティア活動を行った(大学生あるあるパターンだが、ここに至るまでも遡ると、中学生の出来事まで戻ることになるのでいつか書くタイミングがあれば)。 もちろん良い経験になったのだが、規則正しい決められた生活、自由に出歩けないことにもどかしさを覚えた。 「もっと自分の足で歩いていろいろな世界が見たい」 ボランティアによる充実感より

          私がダイビングインストラクターになるまで【1】