私がダイビングインストラクターになるまで【最終回】
日本に帰国後、私はある島と出会う。
それが3年住んだ与論島だ。
きっかけは出国前から働いていた居酒屋のアルバイト。
帰国してからも少しの間働かせてもらっていたが、その時のお客さんが与論島出身だった。
居酒屋によくある店員さんが付けている手書きの名札に「ダイビングが好きです!」と書いていたところ、「海がめちゃくちゃ綺麗だよ。毎年ホテルでスタッフ募集していると思う」と教えてくれた(その時与論島を知らなっかった私は休憩中にすぐ検索し、募集ページを保存した)。
ちなみにその年、そのお客さんたちが帰省しているときに与論でたまたま一緒に飲んだ。最初は初対面の体で話が進んでいたのだが、東京在住といいうところから話が繋がり、私を覚えていてくれて感動した。
そうして住むことになった与論島だが、最初配属されたのはなんとレストラン部門。
「仕方ないけど、休日に潜らせてもらって少しずつダイビングの仕事を教えてもらおう」と思っていたところ、ダイブマスターまで持っているということを知ったダイビング部門のチーフが私を異動させてくれた(レストランも人が足らないと最初は渋られたが、飲みの場で支配人に泣きついてお願いした私は、やはり若かかった)。
本気でこの仕事をしていこう、と思うようになる始まりだった。
ただ、ダイブマスター資格では出来ることが限られる。
ひと夏働かせてもらい一度与論を出て、訪れた先はスキー場のホテル。稼ぎ時のシーズンでお金を貯め、そのお金をインストラクターコースのための資金にした。
与論島やパラオ、沖縄本島でガイド業をしてきたが、実はインストラクターになったのは、静岡は伊豆の海。クローズ時期の下田に2週間ほど滞在しコースを受け、インストラクター試験へ。
初めてのドライスーツと寒い海に最初は苦戦しながらも、試験自体は割と余裕だった記憶がある(ここでエジプトでの講習三昧の生活が活きた)。
そして与論に戻り、ガイドをすること計3年。
正直ちょっと頼りないチーフであまり教えてもらえる機会がなく・・自分で考えて行動する、自分の力で調べて身に付ける、ということを嫌でも鍛えさせられた。
島を出て沖縄本島に来てからは今年で6年目。
ショップで4年勤め、旦那さんと自営になってから2年。
エジプトで初めてガイドをしてから数えると、この仕事も10年目に突入した。
つい最近まで新米のぴよぴよだったはずが、気づけば後輩に教える機会が増えてきた(でも業界ではまだまだ若手なので、初めてなこととも出会うし、分からないことは素直に聞き続けてている)。
ちなみに・・
大好きな島、大好きな海を出て、沖縄へ来ることになったのにもなかなかな理由があって、これも伝えてみたいことなので、また改めて書くことにする。
「私の好きは中途半端だ」と言われてから、今日まで。
今は胸張って、ダイビングが、この仕事が好きだと言える。自分を誇れる。
きっとこの先の人生で何が起こっても、潜ることはやめられない。
インストラクターの仕事にも終わりがなくて、何度潜っても失敗することはあるし、目指したいものが出てくる。
そして、同じ水中は2度となくて、いつでも楽しい瞬間が生まれてくる。
間違いなく言えるのは、「いつでも≪今≫が1番楽しい」。
天職ともいえる仕事と出会えた私は、最高に幸せ者だ。
備忘録も兼ねて、私の経歴を振り返ってみました。
次回からもダイビングインストラクター目線でいろいろ書いていこうと思うので、不定期更新ですがよろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?