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私がダイビングインストラクターになるまで【3】

ダイビング三昧だったエジプトを後にし

ヨーロッパは唯一のイギリスへ。

実は小学生の頃からずっと憧れていた国。

ロンドンのみに2週間近く滞在し、

タイミングよくオリンピックと重なった。

合わせて行ったわけじゃないけど、これは超ラッキーだった。

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前の試合で母国が負けちゃったおばさんから

会場前でチケットを購入し女子バレーの日本戦を観戦(「NEED TICKET」という看板持ってたら譲ってくれたのだが、普通に何もチェックなく入れた)。

街全体もあちこちお祭りムード。

自国の国旗を身にまとって踊ったり

優勝国の人たちが広場に集まって国家歌ってたり。

すごく楽しかった。


その後、旅の目的であったアフリカ大陸へ(エジプトもアフリカだったのだけど)。

始まりはケニアから。

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1ヵ国の滞在期間は特に決めずに、

行きたいところや目的に合わせて

そのつど国や町を移動していく形で、

最終的に南アフリカを目指す縦断の旅がスタート。


※アフリカの旅を書こうとすると長くなるので

またいつか詳しく書く予定にしよう。


結果的に、ケニアのあと、タンザニア、マラウイ、モザンビーク、スワジランド(現エスワティニ王国)、南アフリカと、6ヵ国を陸路で移動した。

もちろん出来るところではダイビングも。

水中カメラはそのころ持っておらず

水中写真がないのが残念だが、

タンザニアは「ザンジバル島」という小さな島で。

チンアナゴやウミガメと出会った記憶がある・・

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マラウイではンカタベイという町にて

国の大部分に広がる「マラウイ湖」で潜った。

湖とは思えない透明度の中で、

800種も生息すると言われるシグリッドという魚を見た。

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モザンビークの「トーフ」ではにごにごの中マンタと出会った。

今思うとジャイアントマンタ(オニイトマキエイ)だった気がする。

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この町も含めアフリカのビーチリゾートには、

ヨーロッパやロシアからの観光客が多く集まる。

彼らが言うには日本人が東南アジアに行く感覚だそう。

自分たちは東南アジアまでは遠いけど、アフリカは手軽だと。

アフリカ=よく分からず怖いというイメージは

日本から見た基準なんだろうなと思った記憶がある。


ちなみに、このどこも日本人スタッフはおらず

私の拙い英語のみでよく潜れたなと思う。

しかも、前日ショップに飛び込みで予約なんて

普段自分が経営している中ではあまりされたくないことだ。

全て「なんとかなる」と思っていた

あの頃の無茶ぶりや

怖いもの知らずの21歳だった私が

少し懐かしく、切なくなる。


このアフリカ縦断の3ヵ月の中で、

予定していた南米大陸に行かずにエジプトへ戻り

ダイブマスターになることを決意するのだが、

それは次回のお話。


【4】に続く。


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