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私がダイビングインストラクターになるまで【2】

1ヵ国目は一人旅の定番、タイ。

日本からの移動距離でひとまずの航空券が安いこと、その後の行先(特にアフリカ)で必要な予防接種を格安で打てる、という理由からだった。

黄熱病と髄膜炎を受けた覚えがある。

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こちらも定番なインドが2ヵ国目。ここでの目的はなんと語学留学。

海が近く、ポルトガル植民地だった名残が色濃く残る、ゴアという過ごしやすい町。日本人のいない学校で、1ヵ月間なかなか濃い時間を過ごした。

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そして、3ヵ国目に運命の国と出会う。

ここまでのタイ、インドは出国前から確定していた行先だ。

ざっくりと行きたい国、行く時期は考えていたけど、その都度航空券を取るスタイルだったので、インドの先のチケットはまだ持っていなかった。

留学中にいろいろ調べる中で、元々遺跡に興味があったので行きたかったのと、「どうやら安くダイビングの資格が取れそうだぞ」ということで、行先はエジプトに決まった。

まず辿り着いた先は『王家の谷』で有名なルクソール。

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そこからバスで移動し足を踏み入れてしまったのが、バックパッカーの間では『恋するダハブ』と言われ有名だった、海沿いにある小さなダハブという町だ。

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とにかく安かった覚えがある。

確かオープンウォーターとアドバンスのPADI資格、どちらも取得ができて400ドルほど。しかも、講習中の宿代フリー、取得後のファンダイビング1本つき、おまけにショップTシャツ1枚プレゼント(あの頃確か1ドル80円以下のときで、日本円にして3万ちょっとだったから本当に安い)。

ダイビングの経験はなかったものの、ずっと水泳をやっていて、小さい頃の夢がアリエルになることだった私。海も大好きで、水や泳ぐことに抵抗なく、当然水中世界に憧れていたので迷わず取得を決意した。


約5日間、同じときに到着した日本人たちと一緒に講習を行う(人数が集まらないと少しスタートが遅れる)。

ダイビング講習を通して朝から晩まで5日間ずっと一緒にいると、よほど変なやつさえいなければ大抵チームは仲良くなるわけで。それがたまたま男女一緒のチームだったりすると一線を越えることもあるようで、そこが『恋するダハブ』と言われる所以だ。

良くも悪くも?私のチームは仲が良かった。どちらかというと体育会系のノリ。講習もなかなか厳しかったので、変な雰囲気には一切ならず、しっかり協力し、支えあっていた記憶がある。

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マスククリア(水中マスクから水を抜くこと)が怖くてなかなか出来ない子には、みんなで声をかけて励ました。私は潜行が苦手で、バディに頭を押してもらっていた(初めは息をするのもドキドキしていたのに、今ではインストラクターになっているとは、人生どうなるか分からない)。

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講習終了後も予定より長く滞在し、沈没船に行ったり、ショートトリップをしたり、潜れるポイントほとんどへ連れて行ってもらった。

青い海のうしろは乾いた砂山、というのが不思議な景色だ。

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水中で息が出来るってすごい!

無重力を感じながら泳ぐの楽しい!

とにかく楽しい!

と、すっかりダイビングにハマった私。「楽しい」って最強だった。


後ろ髪を引かれながらダハブを後にし、憧れていたピラミッドも見てきたが、気持ちは常にダイビングにあった。

そこからダイブマスターを目指すために再度エジプトへ戻るのは、4ヵ月後の話。


【3】へ続く。

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