私がダイビングインストラクターになるまで【1】
21歳になる春、私は大学を辞めた。
そして240日間のバックパッカー旅行に出た。
きっかけは大学1年生のとき。
夏休みに1ヵ月間カンボジアでボランティア活動を行った(大学生あるあるパターンだが、ここに至るまでも遡ると、中学生の出来事まで戻ることになるのでいつか書くタイミングがあれば)。
もちろん良い経験になったのだが、規則正しい決められた生活、自由に出歩けないことにもどかしさを覚えた。
「もっと自分の足で歩いていろいろな世界が見たい」
ボランティアによる充実感よりも、その気持ちが大きく芽生えてしまった私は、同じ1年の春休みに初めて海外1人旅に出ることに。
ベトナム・ラオス・カンボジアで1ヵ月間。
帰国して思うことは当然、
「もっともっと広い世界を見に行きたい」。
大学2年の私は今思うと、かなり無茶苦茶だった。
外での活動や旅行資金のためのアルバイトに明け暮れ、ほとんど大学に行かない生活。勉強することといえば、海外を回るための移動方法や、行きたい国の情報収集など。大事なゼミの出席日数が足らず、通い続けてても留年は確定していた。
高い入学金と学費を払ってもらっていることもあり、さすがに親不孝者だよな・・と辞めることには抵抗があったのは事実。
だが、「海外を旅したい」という理由では休学の許可がおりず、結果『退学』という形をとることになってしまった(休学費用と、退学後数年以内であれば再入学ができる費用が同じだったので、戻りたかったら復学すればいいやと考えたのもある)。
あの頃私が1番興味があったのは、アフリカ。
ざっくり『アフリカ』というだけで、どの国が・・などはこだわりなかったのだが、とにかく行って自分の目で見たくて仕方なかった。
大学を辞めること、海外に行くこと、それを伝えると親は反対はしなかったものの、母は涙。大事な娘がアフリカなんて所へ行く・・という、とにかく心配からだった。
以前の東南アジア旅行のときは1人でもそこまで心配されなかったが、「よく分からないけどアフリカ=危なそう」というイメージがやはり強かったようだ(行ったら行ったで、私が各国から送るポストカードをロフトで買った世界地図に貼って楽しそうにしていたし、カンボジアが東南アジアにあることも知らなかった母親が帰国するころには国の位置関係に詳しくなっていたが)。
とにかく、親なら当然のそんな心配をよそに
2012年の6月、8ヵ月間計240日の世界旅行へ出発した。
【2】へ続く。
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