海の怖さを胸に刻む日。
6年前の今日、同僚を海で亡くした。
原因は素潜り中のブラックアウト。
毎年彼の命日は、「海は怖い」を改めて胸に刻む日。
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彼と私は職場への入社はほぼ同じ時期、歳は1個上だったけど同期のような存在。
水陸問わず生き物が大好き、写真を撮ることや絵を描くことが大好き。
休みの日には1人で森の中に生き物探しに出かけたり、酔っぱらってカミキリムシと会話してたり、水中のプランクトンを採取して顕微鏡で観察&撮影していたり、アーティスティックで不思議な子だった。
(彼が店で飼っていたオカヤドカリ)
海は大好きだけど仕事はあまり出来なくて、「おいおい、ちゃんとしてくれよ」と思ったこともしばしば。その都度注意しても「分かった分かった」と気の抜けた返事が返ってくる。
仕事仲間としては全く頼りないけどなんだか憎めず、みんなから好かれていた。ふわふわしているけど、好きなものに対しての情熱は人一倍。職場の中で唯一水中生物の話で気が合う子だったから、今日はアレがいた、あの生き物見てみたい、といろんな話で盛り上がった。
そんな彼は6年前、素潜りをすることにハマっていた。プロのフリーダイバーに憧れ、休みの日にはダイビング船に乗ってきて遊んでいた。
彼の目標は、水深30mにあるアーチを素潜りで潜り抜けることだった。
2015年8月14日。
あの日確か彼は午後からメニュー担当で、午前中空いていた時間で船に乗っていた。
ダイビングチームは2グループ、船にいたのはゲスト以外に、私とチーフ、研修生の女の子。
1人で素潜りをしてアーチに挑戦するという彼。今でこそ、それがどんなに危険か止める知識もあるけれど、あの頃の私は無茶するなあくらいにしか思っていなくて。「気を付けてねー」と言うだけだった。
彼を最後に見たのは、私たちダイビングチームが水中のアーチに向かって降りていく時。私たちが潜り始めて10分後ほど、水深15mくらいにいる時に彼が潜ってきてこちらに手を振り1度水面に上がっていった。
その後私たちは40分のダイビングを終えて船に戻った。もう1チームは先に上がっており、全員そろってから彼がいないことに気づいた。
水面は完全に穏やかというわけではなかったし、流されて戻れなくなっているのかなと思い周りを見渡すもいない。近くには違うお店の船も止まっていたが、間違ってそちらに戻っているということもなさそうだった。
船を係留していたアンカーを上げ、走らせながら探すも見当たらない。
緊張感が少し高まる中、それでもまだどこかで遊んでいるだろうという期待感はあった。だけど見つからない。すでに私たちが船に戻ってから10分以上が経つ。
まさかなという思いも抱きつつ、さっきまで潜っていたポイントに戻り私が1度潜ってみることになった。
彼がいるかもしれない水中に1人で探しに潜ること。
今思うと、かなりの無茶だった。今の私だったら絶対2人で行くべきことなのを知っている。
探している間に私のエアがなくなったら?最大深度40mのそのポイントの、もし1番深い所にいたら?ダイビング直後の再潜水、何かトラブルがあったら?いくらでもリスクを上げられる。
でもあの時はそんなこと何も考えられなかった。船上にいるのは船長をしているチーフと、2週間目の研修生。私が行くしかない状況だった。
良いのか悪いのか。彼はすぐ見つかった。
アーチの入口すぐ近く、水深17m付近。
両手両足を浮かせ、仰向けの状態で沈んでいた。
レスキュー講習で学んだスキルなんてすっぽ抜け。彼が付けていた重りもそのまま、無我夢中で水面に浮上し、ゲストの力も借りて船に引き上げる。
心臓マッサージを続けながら港に戻り、救急車に引き継ぐ。
急いで病院に搬送され、私たちも駆け付けたけど、すでに彼は帰らぬ人となっていた。
彼の死因は素潜りでの息ごらえによるブラックアウト。
耳の鼓膜は破れていたそうで、おそらく浮上中に意識を失い、そこから沈んでいったのではないかということだった。
どのタイミングで事故が起きてたのかは分からない。
だけど、彼が手首に付けていた水中カメラの記録を見ると、3分程の潜水を数回繰り返していたことが分かり、最後の動画は私たちが浮上する20分も前だった。
あの頃の記憶は曖昧だ。
悲しむ暇もなく、海上保安庁がやってきて現場検証。事情聴取。
現実感がなく過ぎる時間の中、ようやく涙が出てきたのは、夜、病院のベッドに寝かされた彼と対面した時だった。
スタッフ同士慰めることも辛く、支えあうことも出来ず、それぞれが悲しみに浸るしかない日々。
いつもは飄々としていたチーフが壁に顔を向けて、声を出さずに泣いていた。若い研修生たちは眠れず、睡眠安定剤を処方してもらっていた。
私も、毎晩涙が止まらなかった。
潜るとしばしば過呼吸が出るようになった。
泳いで呼吸が浅くなった時、何かの拍子で心拍数が上がった時。苦しくて苦しくて、ゲストを置いてでも水面に上がりたいと思っては、なんとか自分を落ち着かせることを繰り返す。
彼を見つけたポイントに入ることも出来ない。どうしてもあの日見つけた彼の姿がフラッシュバックしてしまう。
大好きだった海に、潜るのが怖い。
自分や誰かが死ぬかもしれないのが、怖い。
ーこのまま海の仕事をやめて、この場所にとどまるか。
ー海の仕事を続けるために、一度この海から離れるか。
悩んだ結果後者を選び、沖縄本島に出てきて、気づけば6年も経った。
私は今でも潜る仕事を続けられている。
あの日1人で行く彼を止めていれば、事故は起きなかった。
せめてフロートを用意したり、ウエイトは外すといったアドバイスが出来ていれば、意識を失ったとしても浮かんでいることができ、もっと早くに気づけたかもしれない。
教わったはずの水中から溺者を引き上げるための手順やスキル、引き上げたあとの心肺蘇生は正しかったのか。もっと慣れた手つきでちゃんと出来ていれば、助けられた可能性はあるんじゃないか。
過去の出来事にたられば言っても、悲しい思い出に浸ってもきりがない。
あの時の私は、本当に無知で、無力だった。
失った命は戻らない、それが現実。
あの日から6年経ち経験を積んだ今、思うことはたくさんある。
何より学んだのは「海は怖い」ということ。
ガイド歴3年半。少し仕事に慣れてきて、海をなんとなく知ってきた頃。
ただ海の仕事が楽しくて、なんだか自分が誇らしくて、調子に乗り出していたあの時に、「海の怖さ」を身をもって経験できて良かったと今は思う。もしあのまま月日が経っていたら、今度は自分や自分のゲストが事故にあっていたかもしれない。
ガイドや講習をする時の言葉選びも変わったし、水中での意識も変わったし、「怖い、苦しい」と感じるゲストの気持ちへ寄り添えるようになった。
体力もつき水中で息が上がることも減った。誰かに何かあったとき助けられるようにとつけた筋力は、自信になっている。
人の命は簡単に失われる。
事故は予期せぬタイミングで起こる。
海は、ダイビングは、「楽しい」だけではない。
今日は、いつも以上にそのことを考える日。
この記事を目にする人にも、少しでも伝わってほしい。
簡単に出来ること、たくさん。
・体調が悪い日は無茶をしない
・風が強い日、波が高い日は、天候に関わらず海に入らない
・1人で海に入らない
・ダイバーはきちんと器材の管理をする
・シュノーケルで遊ぶ人は必ずライフジャケットを着る
・自分の能力を過信しない
楽しいはずの海で、人生を終わらせないために。
彼が死んだ翌日、家族が到着した時の泣き声を、私は絶対に忘れない。
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