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血と涙と餃子

 好きな店を聞かれて、いつも愕然とする。三十三年の人生で、今まで散々食べ歩いてきたくせに、どこも思い浮かばない。

 現在、住んでいる東京は『世界中の食を堪能できる街』と言われる。確かにイタリアン、フレンチ、中華、変わり種ではベトナム料理やブルガリア料理まで、何でもそろう。そんな東京での生活が十二年目を迎え、他に世界二十五か国も旅してきた。しかし、記憶に残る店がないのだ。

 これではnoteはおろかTwitterに投稿すれば済んでしまう。ChatGPTで「いい店について小説を書いて」「いい店についてミステリー小説を書いて」など遊んでいたら、もう一日が終わろうとしているではないか。必死にGoogleフォトを漁ったところ、見つかった。宇都宮にある餃子の名店、Mだ(※後述にセンシティブな個人情報を含むため、店名は伏せる)。

 あれは五年前、長男が一歳を迎えようとしていた冬の終わり。「人に迷惑をかけない」ことが最重視される東京で、子供の態度について指摘され続ける日々を送っていた。そんな生活にイライラした私は、ふと思いついて息子とともに東北新幹線に飛び乗ったのだった。まばらになっていく家やビルを車窓から眺めていると、うまくいかない育児と、くたびれた夫婦関係と、置いていかれたキャリアも、どこか遠い別の誰かの悩みのように過ぎて行った。

 宇都宮は、街全体が眠ってしまっているかのような、穏やかな静けさに包まれていた。やわらかい春の日差しが、早咲きの桜に降り注いでいる。本当は日光東照宮に行きたかったが、子連れで心臓破りの階段を上るのは難しそうなので、宇都宮二荒山神社でお参りを済ませた。氏神様に挨拶を済ませ、名物の餃子を食べることにした。
「せっかくだから、餃子で有名なMに行こう」と思い、足を運んだ。幸い宇都宮駅の近くだった。外観は「これが名店?」と思う程、良い意味でこじんまりしていた。昔ながらの木造で、「料理が得意なおばあちゃんの家にお邪魔しに来た」という感覚になれる。店内は清潔で、テーブルとテーブルの間は距離が保たれていて、居心地の良い空間が広がっていた。神社の階段で上り下り運動を楽しんだ息子は、ベビーカーの上で安らかに眠っている。私は餃子を堪能できる。そのはずだった。

 餃子が来ると同時に息子が目を覚まし、大きな声で泣き叫んだ。外へ出たいと訴えていて、こうなっては要求を聞かない限りどうしようもない。私は息子を抱きながら、横目で餃子を見た。大ぶりで、ほかほかと湯気が立っている。唾を飲み込んで、立ち上がると、店員さんに声をかけられた。
「ねえ、抱っこしようか?」
 私は驚いて目を上げた。凛とした声をした、ショートカットが似合う、四十過ぎの女性だった。四十過ぎらしい、かっこいいおばさんだった。
「子供がいると、ゆっくり食べれないでしょ。大丈夫よ。ほら、おいで」
 無言で息子を差し出すと、彼女は破顔一笑、私がこれまでやったことのないくらいの愛情で息子をあやした。息子は何が何だか分からないといった顔をしていたが、ひとまず泣き止んではいる。私は餃子をほおばった。ジューシーで、肉汁が口いっぱいに広がる。今まで冷凍餃子しか食べたことがなかったので、「これが餃子なのか」と感嘆するばかりだった。

 ふと横を見ると、店員さんが息子を外へ連れ出してくれていた。窓ガラスの向こう側から、二人で手を振っている。息子も笑っていて、陽だまりのような一角だった。
「あんな女性が母親なら、幸せだろうな」と私は思った。「私なんかが母親になるより……」と、いつもならネガティブ思考に陥るところだが、美味しい餃子とアツアツの白飯でお腹が満たされていたこともあり、思考は中断された。私は空になった皿を指さし、彼女は店に戻って来た。そして名残惜しそうに息子を渡しながら言った。
「かわいいわね。たまらないわ。もう、何もいらないわよね」
 二秒ほど、完全な沈黙が流れた。出口の見えない育児にうんざりしていたし、「何もいらない」なんて思えなかった。当時は二十八歳で、欲しいものが山ほどあった。行きたい場所へ一人で訪れる瞬間や、アツアツのご飯を一人で食べる時間など。
 私は礼を言って、お勘定を済ませた。彼女は泣いているように笑っていた。叫び出したいのを必死に堪えている類の人間が、時折このような表情をする。新幹線に乗り、東京のビル群が広がっても、どこか頭から離れなかった。

 あれから数年経ち、私は三児の母となった。「もうこれ以上、子供が生まれるのは勘弁」と思い、ミレーナ(避妊リング)を入れに婦人科を訪れた時のことだった。待合室でたまたま手に取ったフリーペーパーを読み、息を呑んだ。危うく手から滑り降りるところだった。あの店員さんが載っていたのだ。

 冊子の特集は、妊活だった。不妊治療の経験者たちが、各々の体験談を語っていた。それによると、店員さんは不妊治療を何度も挑戦したが、ついに授かることができなかったのだという。養子縁組も検討している、と努めて明るく語っていた。彼女らしい、前向きな締めくくり方だと思った。

「あぁ、そうか―――」私は思った。子供が欲しくても、授かることができない人もいる。それなのに私は息子にイライラしてばかりで、ないものばかり考えている。今あるものをもっと大事にしよう。大切にしよう。そう気付かせてくれたのが、Mという店だった。
 優しい中に芯の強さを備えていた、彼女の笑みを思い出す。近い将来、小さな命とともに、眠ったような街で過ごすのだろう。また、餃子を食べに行こうと思う。彼女の食事中に、赤ん坊を抱っこしていてあげるために。

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