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ピカソが燃え上がらせた、美術という炎

人はなぜ美術館に行くのだろう。金はかかるし、決して立地が良いところばかりではない。チケットを買うために会話せざるを得ない受付のお姉さんは半分くらいの確率で、旧ソ連を彷彿とさせるほど愛想が悪い。(注:ヨックモックミュージアムのお姉さんはとても優しく、ベビーフレンドリーでした)

それでも、人は美術館を訪れる。館内は撮影が禁止され、 SNS であげることもできない。ただ絵が並び、眺めるだけである。冷静に考えると、狂気の沙汰ではない。時間が有り余って仕方ない貴族ならまだしも、現代人は一週間のうち5日は1日8時間働き、たった2日しかない貴重な休日を使って美術館を訪れる。

勘違いされがちだが、人々は美術館で、絵を通じて知識を得たり、見解を深めるたりだとか、そんな高尚なことはしていない。ただ、ぼーっと絵を見つめるという行為に集中して、家族にすら語らない心の奥底にしまい込んだ物語や、もう戻ることのできない日々の懐かしさを想っている。その間は、友人から返ってこない LINE だとか、申請しなくてはならない書類だとか、生きているだけでべっとりとこびりついてくる粘土のような「日常」から、少しだけ顔を出して息をすることができる。そこは、呼吸のできる場所なのだ。

第二次世界大戦が終わり、人々の生活が豊かになっていくことを感じたピカソの関心は、自分の作品が売れることよりも、美術と言う概念を世界中の人に広げることに変わっていった。自らの作品は、オークションの末に手に入れる富豪、作者が没して値段が上がるまで隠しておく収集家のみではなく、大衆にも親しんでほしいと心から願っていた。そこで、彼は思わぬ行動に出る。

自作の創作方法を職人に伝えて、同じものを複製させたのだ。

この手法はエディションと呼ばれ、ピカソの指導のもと、受け継がれていった。作品が市場に出回れば値段がつき、時代の経過とともに値段が高騰していくことを嫌というほど分かっていた彼は、決して市場には流さず、美術館に作品を捧げることになる。口先だけで「もっと、みんなも美術を親しんでほしい」と宣(のたま)うのは簡単だ。彼の腹には、そんな一言で表すこともできないくらいの「覚悟」という名の燃料が投下され、青い炎が燃えていた。

ピカソは第二次世界大戦中にパリに身を置いていたが、やがて陶器で有名なイタリアのヴァローナへ移り住む。66歳でフランソワーズ・ジローとの間に第一子を、69歳で第2子を授かる。ジローと離婚後、72歳にしてヴァローナの工房で出会った26歳の恋人ジャックリーヌと結婚し、その結婚生活は91歳で没するまで続く。

死するまで、彼の炎は燃え続けた。時には恋愛であり、また戦争という愚かな行為への怒りであり、ある時は新しい自己表現への渇望だった。それは歳を重ねて、民衆と呼ばれる人たちにも美術に親しんでほしいという、穏やかな橙色の炎に変わっていった。

現在、ピカソの願いが叶えられたどうかは分からない。ただ、一人のピカソを生むには、何百万人もの無名な芸術家たちが絶対に必要である。彼らは世に名を残すことなく命を終え、そして焼かれて灰になる。数多の灰によって、ピカソのような、世界を照らすまでの炎を燃やすことができる芸術家が誕生するのだ。


【ヨックモックミュージアム】
住所:
〒107-0062
東京都港区南青山6丁目15-1
ヨックモックミュージアム
TEL:03-3486-8000
アクセス:
東京メトロ「表参道」駅B1出口から徒歩9分
渋谷駅東口より都営バス「新橋駅前」行乗車、
「青山学院中等部前」下車徒歩1分
※駐車場はございません
休館日:月曜日・年末年始・展示替期間
※ただし月曜日が祝日の場合、臨時開館。開館時間:10時〜17時
※入館は閉館の30分前まで
チケット代(税込):
一般:1,200円
大学生・高校生・中学生:800円
小学生以下:無料
※障がい者手帳をご提示の場合、ご本人と付き添いの方1名は無料。
※大学生、高校生、中学生の方は学生証等の年齢のわかるものをご提示ください


【おまけ】

南青山にあるヨックモックミュージアムで、ピカソと当時の恋人であるジローが海岸を歩くモノクロの映像が流れる。そこでおそらく9割くらいの方が抱く感想が、「意外と背、低いな・・・」だろう。彼が当時住んでいたフランスでは、男性の平均身長が165 CM であったのに対して、ピカソは157 CM。 これは、かなり小さい。こんなどうでもいい情報ではなくもっと芸術的に感化されたいものだが、こればかりは仕方がない。ピカソの写真を見てみると、彼の身長の低さが隠れるようなものが多いことに、どうしても注意がいってしまう。

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