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楽し過ぎて、さみしくなった

小学校3年生の娘が、帰りの駅のホームでママと二人になった時、
「さみしくなった。楽し過ぎたから。」と言いました。
とっても切なそうに、今日1日一緒に遊んだお友達兄妹を見送っていました。

この感じ、わかります。
私も小学校低学年の時、従姉妹が帰ってしまうのが悲しくて泣きました。


この日は、自然栽培の田んぼの草取りでした。
田んぼに仲間が集まるのは、5月の田植え、6月の草取り、10月の稲刈りと回数は多くありません。あとは少人数での草取り、稲こき、籾摺り作業など。

会うたびに子どもたちが成長しています。


去年は、すべて手刈りし、ハザがけにしました。
そのハザがけの最中に、あの大きな台風があり、再び干す作業などをしたりだったのでその後の工程が冬にずれ込み、新米を食べる会ができませんでした。
冬は寒いし、4月の春休みに春野草と一緒にお米を一緒に食べよう、お誕生会もしようとみんな楽しみにしていました。
でも、県を越えて集まるのはどうか。みんなで調理したり持ち寄りで食事するのはどうか。話し合い、緊急事態宣言前でしたが中止としました。

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緊急事態宣言明け1ヶ月たち、学校は始まって日常が戻ってきたけれど、きちきち授業で業間・昼休みが短かったり、ソーシャルディスタンスなどでまだお友達と思いっきり遊ぶことができず、子どもたちは子どもたちで疲れがたまり始めています。

そんな時、久しぶりに田んぼで再会し、空気のよい広い自然の中で思いっきり走って笑って遊びまくった。

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大人たちも、ここ数年一緒に作業し、一緒に美味しいものを食べ、共に子供達の成長を喜び、自分の子どもがいる人も、シングルの人も「親戚みたいに思えてきた」と言い合っています。

私は祖父母の家が都会だったので、夏休みに田舎のおじいちゃん、おばあちゃんちに行くがわかりませんでした。麦わら帽子で庭でスイカを食べるに憧れていました。
それが、叶っています。
新米を食べる会、タケノコ掘りや春野草を楽しむ会、夏休みキャンプなどなど。
それぞれ親戚の家のように遠慮なく過ごし、楽しんでいます。
余計な詮索をしたり、古い価値観や義務押し付ける親戚いないし、姻戚関係もないので、くつろいでいます。

私は、従姉妹従兄弟たちが大好きでした。
だから、娘にも従姉妹従兄弟たちがいたらなーと思っていました。

田んぼの友達とは初めて会った時も、そして久しぶりでもとっても仲がいい。
小学校のお友達といる時とは違う雰囲気です。
あー、大人たちが「親戚みたい」と言っていたら、子ども達も「従姉妹みたい」になっていたのだなー。
ありがたいなー。



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