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ケジメある経営が成功につながる

松下幸之助 一日一話
12月28日 ケジメをつける

お互い人間にとって、責任を明らかにするというか、ケジメをつけることの大切さは、昔からよく言われてきていることだが、これは今日でも変わらないと思う。もちろん、それぞれに会社の社風や仕事の内容が違うから、その会社の独自のやり方があるであろう。しかし、お互いに自分自身の成長のためにも、また自分の会社がさらに飛躍し、社会に貢献してゆくためにも、ケジメをつけるという断固としたものを、一面において持たなければならないと思う。

いま一度、それぞれの立場でわが身を振り返り、事をアイマイに過ごしていないかどうか、改めて確かめてみることが大事ではないだろうか。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

「ケジメ」という言葉に関して、昨今においては「ケジメをつける」と「責任を取る」という2つの行動が同じ1つの行動として使われることが多いですが、本来は「ケジメをつけて責任を取る」と使用するのが正しいと言えます。では「ケジメ」とはどういう意味なのでしょうか。「ケジメ」の語源をざっとながら調べてみますと、諸説ありながらも大別すると以下の3つにあるようです。囲碁用語の「けち(結・闕)」からとする説、「けちえん(掲焉)」の説、「わかちめ(分目)」の説。その中で最も有力なのが、最後の「わかちめ(分目)」の説のようです。

「わかちめ(分目)」が使用されている具体例としては、源氏物語の若菜(下)に「かなたこなた御几帳ばかりをけじめにて」の表現があり、「几帳だけを仕切りにして」という意味となり、几帳とは、室内に台付きの二本の柱を立てて上方に横木を渡し、そこから布を垂らした間仕切りのことをいうそうです。現代風にざっくりというならば「こちらとあちらをパーティションだけで区切って」となり、「区切り」がケジメということなのでしょう。

このケジメの意味を理解した上で、松下翁が別の場面でケジメという言葉を使用している、以下のお話を見てみましょう。

 何事においても反省検討の必要なことは、今さらいうまでもないが、商売においては、特にこれが大事である。

 焼芋屋のような簡単な商売でも、一日の商いが終われば、いくらの売上げがあったのか、やっぱりキチンと計算し、売れれば売れたでその成果を、売れなければなぜ売れないかを、いろいろと検討してみる。そして、仕入れを吟味し、焼き方をくふうし、サービスの欠陥を反省して、あすへの新しい意欲を盛り上げる。これが焼芋屋繁昌の秘訣というものであろう。

 まして、たくさんの商品を扱い、たくさんのお客に接する商売においては、こうした一日のケジメをおろそかにし、焼芋屋ででも行なわれるような毎日の反省と検討を怠って、どうしてきょうよりあすへの発展向上が望まれよう。

 何でもないことだが、この何でもないことが何でもなくやれるには、やはりかなりの修練が要るのである。

 平凡が非凡に通ずるというのも、この何でもないと思われることを、何でもなく平凡に積み重ねてゆくところから、生まれてくるのではなかろうか。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

松下翁が仰る一日のケジメとは、一日の商いの終わりに、売上げを計算し、売れた要因、売れなかった要因を検討し、仕入れを吟味し、焼き方を工夫し、サービスの欠陥を反省して、翌日への新しい意欲を盛り上げることであると理解出来ます。

つまりは、一日のケジメという区切りをつけるからこそ、反省ある日々を送ることとなり、その反省からどこに問題の要因なり誰に責任があったのかを明らかにし、明日改善すべき点について具体的に考え行動することで、新たな成長意欲へと繋げていくということでしょう。

またケジメがないとは、区切りをつけないので反省する機会をつくらないと解せますが、反省がないことで生じる弊害について、松下翁は著書「物の見方考え方」(1963)にて以下のように述べています。

…われわれ日常の仕事にしても、事志に反する場合が非常に多い。ではなぜ、事志と反する結果が生ずるのかということを考えてみると、多くは自己認識というか、自分を中心にした反省がたらないからだといえると思う

 会社でも商店でも、もっと発展したいと考える。そして一つの商品を売り出そうとして失敗することがある。失敗したということは事志に反したわけで、その原因は何かというと、これをこうしたい、ああしたい、こうするためにはこうすべきだという判定の基本をどこにおいているかということである。

 それは、そうすれば自分は金儲けができる、自分の地位が高まるということだけを考えている場合もあるだろう。あるいは、もう少し進んでそうすれば人が喜んでくれる、会社が喜んでくれるからする場合もある。それでもうまくいかないで、事志と反することがある。そのときにやはりその人の見方が甘かったのだと思う。…

「事志に反する」ということは、結局その出発において自己反省の足りないところに原因があると思う。これはわれわれの日常生活にも同じ考え方が随所にある。
(松下幸之助著「物の見方考え方」より)


翻って、「ケジメをつける」ことを経営において実践し、成功へ繋げている実例として稲盛和夫さんのアメーバ経営が挙げられます。具体的に、稲盛さんが構築されたアメーバ経営の手法における「ケジメ」をいくつか挙げるならば、先ず、組織をアメーバという小集団に区切り独立採算制にし、アメーバ単位で反省する機会をつくり出しています。更には、アメーバ単位で「時間当り採算制度」を実施し、労働時間を1時間あたりに区切って反省する機会をつくり出しています。加えて、月次の採算(ひと月ごとの数字)の動きで経営を行うために、「日々の採算をつくる」ことを実施し、月ごとや日ごとに反省する機会をつくり出しています。

稲盛さんは、経営において様々に形や単位を変えた「ケジメ」という区切りをつけたことで、人がおろそかにしがちな反省する機会を、日常の業務の中に違和感なく溶け込ませることとなり、本来ならば修練が必要になる非凡な行動を、平凡な行動の積み重ねから自然と非凡な行動へと繋げることを可能とし、それが成功への大きな要因になったのだと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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