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忍耐をもって時を待ち道をひらく

松下幸之助 一日一話
12月 2日 忍ぶべきを忍ぶ

誠心誠意いいものをすすめたけれども用いてくれないというので憤慨し、これは相手が暗愚だからしようがないとやけになって、結局うちこわしになってしまうということが、ままあるようです。

しかし、そういうことでは、私は大したことはできないだろうと思います。用いてくれなければ時をまとう。これだけ説明してもだめだというのは、これは時節がきていないのだ--そう考えてじっと忍耐していくところから、無言のうちに知らしめる、というような強い大きな誠意が生まれてきます。そしてそのうちに、相手がみずから悟ることにもなって、それが非常な成功に結びつくことにもなりましょう。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁は癇癪(かんしゃく)持ちであったことが知られていますが、その要因の一つとして、あくまでも推測の範囲ながら「自分には見えているものが周りには見えていない」、或いは、「学歴や立場のない自分がいくら正しい意見を言っても、周囲がなかなか素直に受け入れない」という状況に多く接してきたことにあったのではないでしょうか。そんな松下翁だからこそ、「忍ぶべきを忍ぶ」重要性を人一倍実感されていたのではないでしょうか。

実際に、松下翁は時代の数歩先を行く製品を自ら研究開発したことで、周囲から中々受け入れられないという経験もあったようです。例えば、1923年(大正12年)に考案した砲弾型電池ランプ( https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/konosuke-matsushita/030.html )。当時の自転車のランプはロウソクや灯油の使用で、長くても3時間の利用が限界だったことに加え、風で消えてしまったり故障も多かったそうです。そこで松下翁は、約10倍の30時間から40時間も点灯し続ける砲弾型電池ランプという画期的な製品をつくったものの、問屋からの理解が得られませんでした。その場はじっと辛抱し時を待ちつつ、どうすれば相手が自ら悟るのかを考え続け、それまでの売り方を画期的に変えることで、結果としてその後の松下電器が大きく飛躍するきっかけになりました。

上記の松下翁の行動は、中国古典にある次の3つの言葉を実践されたと言えます。

「君子は諸(こ)を己に求め、小人は諸を人に求む。」(論語)

君子は、何事も自分に求め、自分に責任を課す。小人は何でも人の責任にするという意味です。つまりは、画期的な製品を理解してくれない取引先や世間が悪いと考えるのではなく、自分の伝え方なり、時期尚早であった伝える時期に問題があるのではないかと考えるということです。

「人の己を知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患う」(論語)

人が自分を認めてくれないのを心配するより、自分が人を知らないことの方を心配せよ、という意味です。つまりは、取引先や世間が画期的な製品を理解してくれないのは、自分が取引先や世間を理解していないことに問題があったのだと考えるということです。自分が取引先や世間を理解すれば、伝え方も時期も変わることになります。

「窮(きゅう)すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」(易経)

物事が究極まで進行して行き詰ると、そこに新しい変化が生じてくる。 その変化が生じると、新しい道が開けてくる、という意味です。世の中のためになる画期的な製品を開発するために熱意を注ぎ時間をかけたが、いざ製品が完成した時には問屋が取り扱ってくれないという状況下で、自分の伝え方や売り方を大きく変えることで新しい道を開くことになったということです。


松下翁は、「忍ぶべきを忍ぶ」ことに関して、言葉を換え以下のようにも仰っています。

 何ごとにおいても辛抱強さというものが大事だが、近ごろはどうもこの忍耐の美徳というものがおろそかにされがちで、ちょっとした困難にもすぐ参って悲鳴をあげがちである。そして、事志とちがった時には、それをこらえてさらに精進をし、さらに力を蓄えるという気迫がまるで乏しくなり、そのことの責任はすべて他にありとして、もっぱら人をののしり、社会を責める。
 これは例えば、商売で品物が売れないのは、すべて世間が悪いからだと言うのと同じことで、これでは世間は誰も相手にしてくれないであろう。買うに足る品物であり、買って気持ちのよいサービスでなければ、人は誰も買わないのである。
 だから売れなければまずみずからを反省し、じっと辛抱をしてさらに精進努力をつづけ、人びとに喜んで買っていただけるだけの実力というものを、養わなければならないのである。
 車の心棒が弱ければ、すぐに折れてガタガタになる。人間も辛抱がなければ、すぐに悲鳴をあげてグラグラになる。
 おたがいに忍耐を一つの美徳として、辛抱強い働きをつづけてゆきたいものである。
(松下幸之助著「道をひらく」)

上記の松下翁の言葉は、中国古典の一つである「大学」にある以下の言葉に通ずるところがあります。

「君子は諸(こ)れを己(おの)れに有(ゆう)して、而(しか)る后(のち)に諸(こ)れを人に求む。」(大学)

君子は自ら徳を身につけてから、初めて他人にもそれを求める。他に求めるには先ず自分が実行することが必要であるという意味です。

辛抱強い働きを実践され忍耐という徳を身に付けた松下翁だからこそ、他者に対してもそれを求めることが出来るのであると私は考えます。昨今では、自らに有しない徳をあたかも有しているように偽り他者に求める人間が増えていますが、松下翁のように正しく求めることが出来る人間でありたいと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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