191002_松下幸之助_1280_670

自分よし、会社よし、社会よしの三方よしとなる価値を考える

松下幸之助 一日一話
11月15日 自分の働きの価値は

皆さんは自分の働きの価値というものをどのように考えているでしょうか。かりに月給が10万円の人であれば、10万円の仕事をしたのでは会社には何も残らないことになります。私は自分が10万円もらっていれば、少なくとも30万円、できれば100万円ぐらいの仕事をしなくてはいけないと考えます。そうすれば会社に金が残ります。その金は会社だけでなく社会へ還元されるわけです。会社から10万円もらって8万円の仕事をしていたなら、会社は2万円損ですから、そういう人ばかりだと、その会社は潰れてしまいます。会社に働く者としては、そういうことを絶えず頭に置いておく必要があると思います。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

労働者の立場で考えた場合、「月に10万円の仕事をしたならば、10万円の月給が欲しい。一部譲歩して、15万円くらいの仕事までならばまあ納得がいく。」というのが多くの人の意見ではないでしょうか。特に経営に関する知識のない若い社員の人たちは、会社に残ったお金が社会へ還元されるという説明は、経営者側にとっての都合のいい言い訳のように聞こえるのではないでしょうか。

この「会社のお金が社会に還元される」とは具体的にどういうことなのかについて、松下翁は著書「物の見方考え方」にて以下のように述べています。

人間はパンのみに生きるのではないといわれている。また月給をたくさんもらうから働くという考え方もおかしなものである。もちろん待遇も必要ではあるが、場合によっては待遇如何にかかわらず、人間としての務めをつくすという強固な意志が働くところに、人間の尊さがあると思う。

したがって、会社でも百円で作ったものを百二十円で売り、二十円の利益を得るということは正しい要求であるが、ただ利益だけのために、事業を経営していくというのでは、意義がないと思う。もっと大きな生産の使命があるはずである。それは何かというと、いろいろの物をつくって社会の多くの人たちの経済生活を、日一日と向上させていくという生産の使命である。そのためには、会社は資金が必要である。その資金を利益の形で、社会に求めることが許されているわけである。

お互いの仕事を遂行するためには、会社も人間も健在でなければならないが、そのためにはいろいろのものが会社の経営に、人間の生活に必要である。その必要なものを生み出すものが利益であり、月給なのである。それ故に利益や月給が最高の目的ではないのである。人間食わずには生命を保つことができない。給料をもらわなければ、やっていけない。会社もそれと同
じで、社会に多くの利益を要求する。

しかし尊い使命を達成するための利益であるから、無意味に使うわけにはいかない。よりよき再生産のためにその資金を使っていく。一部は従業員の生活の向上に回す、一部は会社の設備に回す、一部は社会に還元して世の中のためにする、そうして人々の生活を、個人も会社もみな向上させていくために、それぞれの会社が大きな役割を受け持っているというふうに解釈していくべきだと思う。そういう考え方で経営すれば、給与でも会社の利益でも、世間からどんどん提供されてくるはずである。われわれの社会に対する貢献が大きければ大きいほど、その報酬も大きく利益として、還ってくる。

それに反して、利益を大いに上げようと思っても、その利益にふさわしくない仕事をしていれば、利益はだんだんと社会から還ってこなくなる。われわれの働きが社会から喜ばれなければ、社会からの報酬も期待しえない。このことはわれわれはつねに考えねばならぬ問題である。

こういう会社のあり方についての理解と自覚があってはじめて、われわれが一生懸命に働こうという意欲が生れ、能率があがるわけである。しかし、この半面、こういう会社の姿を、世の中が認識してくれなければ何にもならない。価値があっても、世の中が認めてくれなければまったく意味がない。世間が認識してくれてはじめて、われわれの感激が生れるものである。…
(松下幸之助著「物の見方考え方」より)

要約しますと、なぜ月給の3倍の働きをする必要があるのかというと、「1/3は自分の月給に回す、1/3は会社の設備に回す、1/3は社会に還元して世の中のために回す」ということであり、簡単には「自分よし、会社よし、社会よしの三方よし」とすることで、社会から継続した報酬を得ることが出来るようになるということです。

加えて、「自分の働きの価値」に関して、松下翁は著書「人生心得帖/社員心得帖」にて以下のように述べています。

…もちろんどの程度の働きが妥当であり、望ましいかということはいちがいにはいえないが、まあ常識的には、十万円の人であれば少なくとも三十万円の働きをしなくてはならないだろうし、願わくは百万円やってほしい。

そういうふうに自分の働きを評価し、自問自答して自分の働きを高め、さらに新しい境地をひらいていってもらいたい。そういう姿が全部の社員に及んでいけば、そこに非常に力強いものが生まれてくると思うのだ…

このことは私は、きわめて大事なことだと思います。お互いに毎日一生懸命に仕事をしている。しかし、ただなんとなく一生懸命やっていればそれでよい、というわけではありません。やはりその働きの結果が、何らかの成果として現われ、会社にプラスし、さらに進んでは、社会に貢献しているということであってはじめて、その働きが働きとしての価値をもつのだと思います。

もちろん世の中にはいろいろな仕事があり、実際は仕事によっては具体的な金額で評価しにくいという場合もあるでしょう。しかし、やはりそういうことを自問自答しつつ、またときには他人にも教えを請うて、そうした評価の目安を求め、自分の働きを高めていく努力を、日々心がけていきたいものだと思います。
(松下幸之助著「人生心得帖/社員心得帖」より)

最後に、月給をもらう全ての人にとって不可欠となる仕事に対する意識について、松下翁は著書「道をひらく」にて以下のように述べています。

プロとは、その道をわが職業としている専門家のことである。職業専門家とは、つまりその道において、一人前にメシが食えるということである。いいかえれば、いかなる職業であれ、その道において他人様からお金をいただくということは、すでにプロになったということである。アマチュアではない。

芸能やスポーツにおいては、プロとアマとの区別はきびしい。真にプロに値するものでなければ、お客はたやすくお金を払ってはくれない。お客は慈善の心で払いはしないのである。だから、プロを志すことは容易でないし、プロを保持するための努力もなみたいていではない。

甘えてはいられない。学校を出て会社や官庁にはいる。はいれば月給がもらえる。月給をもらうということは、いいかえればその道において自立したということであり、つまりはプロの仲間入りをしたということである。もはやアマチュアではない。そうとすれば、芸能界やスポーツ界の人びとと同じく、またプロとしてのきびしい自覚と自己練磨が必要となってくるはずである。 おたがいにプロとしての自覚があるかどうか。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

月給の3倍の仕事をするプロとしての立場で考えるならば、会社という看板があるかないかによって、社会から得られる信用は大きく変わってきます。社会の中には、残念ながら会社を私物化している経営者というのも少なからずいるのは事実ですが、反対に会社を私物化せずに社員や社会の共有財産であるという意識を持っている経営者も沢山いるのもまた事実です。労働者の立場であるならば、どの会社の社員になるかの見極めが重要になりますが、基本的には会社を私物化していれば社会への貢献も少なく、利益は社会から還ってこなくなりますので、その会社は次第に存続が難しくなることでしょう。経営者の立場であるならば、社員たちが誇りを持てる看板づくりや、仕事をする上で看板として使いやすい会社を作ることもまた重要であると私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

頂いたサポートは、書籍化に向けての応援メッセージとして受け取らせていただき、準備資金等に使用させていただきます。