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【 エッセイ 】 子どもの才能を伸ばすために大人がしてあげられること



昨日つぶやきで投稿した「子どもの才能を伸ばすために大人がしてあげられること」について自分の思いを書いてみたいと思う。

「子どもには無限の可能性がある」

そんな言葉をよく耳にする。親や学校の教師、周囲の大人たちはその「無限の可能性」を伸ばしてやりたいと誰もが願う。そうした大人たちが子どもにしてあげられることは何なのだろうか。

世の中には勉強が得意な子ども、スポーツが得意な子ども、はたまたピアノや将棋やゲームが上手な子どもなど様々な「才能」を持った子どもがいる。私の学生時代にも周囲にそうした友達がおり、うらやましく思っていたものだ。

しかし、生まれ持った才能だけでそうした秀でた能力を身につけた子どもは実際にはほとんどいないだろう。皆、才能の上に努力を重ねて能力を伸ばしていく。

つまり、才能というのは能力そのものというよりは、興味を持ちそれに対して努力し、能力を自ら高めていける力のことだと思うのである。
いわゆる向き不向きとも言える。
この分野が各々の子どもで異なり、それが能力の違いとして表れるのだろうと感じる。

周囲の大人たちが子どもの才能を伸ばすためにしてあげられることはまさにこの「得意な分野」を見つけてあげること、きっかけをつくってあげることではないだろうか。

成長する機会やきっかけを掴むことができれば自ら努力し、才能を伸ばしていくことができるし、逆にいくら才能があってもそうした分野に出会うことがなければそれが開花することはない。
子どもが自らそれを見つけていく手伝いを周囲の大人がしてあげること。これが重要なことだと思うのだ。

高校生の頃、担任の教師がこんなことを言っていたのを思い出す。

「勉強するのは君たち自身だ。先生は教えることを通じてそのきっかけをつくっているだけなんだ」と。

この言葉のように、大人がしてあげられることは「才能を伸ばすことそのもの」ではないと思うのである。

そして、成長する機会やきっかけを自ら掴みにいくことが大切なのは子どもに限ったことではない。大人でも生きていく上で大切なことの1つではないかと思う。

日々色々なことにアンテナを張ったり新たなことに挑戦することで、いつまでも成長していくことができる。時には子どもから何かを教えられることもあるだろう。

私がエッセイ等を書くようになったのもここ数年のことである。何か新しいことに挑戦したいと思い、とあるエッセイの公募サイトに出会ったことをきっかけに文章を書くようになった。

書くようになると今度は自分以外の人の文章を読みたくなり、このnoteに出会った。
そして、色々な文章を書いたり読んだりする中で多くの方々と文章を通じたつながりを持てるようになり、一気に自分の世界が広がった。

人や物事との「縁」とは不思議なもので、日頃から様々なものに触れ、自ら何かをやってみることで、まるでそこに自分を受け入れてくれる世界が待っていてくれたように得意な分野、好きな分野を活かせる場所に導かれることがある。

大人が子どもの才能を伸ばすためにしてあげられることは、すなわち、大人自身が自らの可能性を広げ成長していくため自分自身にしてあげられることでもあるのだ。

子どもとともに大人も成長し、社会の中にたくさんの「学び」が満ちてくる。こんな世の中を想像することもある意味で1つの「学び」なのである。

こう考えると未来が少しずつ明るくなっていく。

躊躇う必要はない。
始めるのに遅すぎることも何もない。
まだまだ出会ったことのない世界が今日も私たちを待っている。

20歳であろうが80歳であろうが学び続ける人はいつまでも若い。

ヘンリー・フォード



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