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疲弊、独り言

 人間関係全てにおいて疲れる時が多々ある。
話を聞いてほしいときに
遮られたり、『俺(私)はこうだったぞ』としょうもない武勇伝や自分論語られたり、
お前が悪いと論破されたり責められたり……。
でも言った相手は覚えていないのである。
かわせればいいんだけど、
どうしてもかわすことが出来ない。
かわせてると思ったらかわせてなくて、
気付いたら心も身体もブッ壊してた。

とくに大嫌いな言葉が
『強くなれ』『元気出せ』
『頑張れ』『頑張ろう』
『でも』『だって』『お前が悪い』『みんな同じ』
『みんな辛いのは一緒』
『みんな最初は初めて』など。
他にも数え切れないほど
嫌いな言葉がたくさんある。

なんで『みんな』って言葉を使うんだろう?
悩みは一人一人違うし、
人それぞれじゃね?
みんな辛いとかほざく人は、みんなの何を知ってるの?仲いいの?良き理解者なの?違うだろ?
なんで目の前の人の苦しみに向き合おうとしないんだろう?
なんでありきたりな言葉で無理矢理片付けてその場を丸く収めようとしてるんだろう?ずっとモヤモヤしては不完全燃焼。

何も言わず、静かに話を聞いてくれる人ってガチで少ない。
大体の人間が『あたしもそうなんだ!』とか『あたしもつらい!』と共感してるように見せかけて無意識に話をすり替えて不幸自慢してきたり、
『ああこしたら?こうしたら?』と口を出してくる。
頼むから黙って消えてくれと切に願う。

あと、
スタートが同じだとしても、発達障害や精神障害がある者と定型発達では習得の速さが変わってくる。
最初はみんな同じだと言ってくれてても、なんでみんなと同じように出来ないんだと責められて終わり。
どうしたらその子が苦手を克服出来るか、どうしたらその子が前に進めるかを考えてサポートしてくれる人は居ない。

血縁者だからといって、
分かり合えるわけではない。
そっとしてほしいときに
わざわざ深入りしては
厄介なことされたり、
人に会えないと伝えてるのに会おうとしてきたり
家族なら大丈夫だろうと考える人も居るだろう
家族なら会える人も居るだろう
でも私は、家族だから嫌な時がある。
幼少期の私にとって、実の親父からの虐待はトラウマでこの時期でも思い出す。
ずっと付き纏ってくるトラウマは消えない。
もうあなたの近くには居ませんよと言われても、記憶のフラッシュバックは止まらないまま。
絵本の中のあたたかい家族や、あたたかい笑顔を浮かべている家族を見てはよく泣いていた。

むしろ、知らない人と話す方が楽な時もある。
知ってる人に、今の弱った姿をなるべく見られたくない。
かといって、この人は大丈夫そうとか強い人とも思われたくない。心配され過ぎるのもしんどい。

初対面は一度きりだから好き。
昔から一人の空間がないと駄目なタイプだから、深入りされると窮屈。
かといって、独りは辛い。
逃げるけど追いかけられないと寂しい、そんな厄介な性格である。

精神が荒れていると全人類が敵に見えたり
どんなに心を開いている相手でも、縁を切りたいと思う時がたくさんある。

精神科に行っても精神が悪化するだけ。薬だけが頼り。
自分を救えるのは自分しかいない。
心身ともに、毎日が健康だったらいいのにと切に願う。