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道徳の読み物「あじさい」(中学校:生命の尊さ) 創作教材

  • 対象学年:中学校(2・3年)

  • 内容項目:生命の尊さ (19)生命の尊さについて、その連続性や有限性なども含めて理解し、かけがえのない生命を尊重すること。

  • 教材の種類:創作


あじさい

「今日も雨かあ」
 朝の庭先でどんよりした空を見上げながら、僕は誰にともなく呟いた。
 もうすぐ夏休みが始まるというのに、なかなか梅雨は明けそうにない。
 木造平屋の僕の家には、家の四方を囲むように庭が広がっていて、その周りを、数え切れない程のあじさいが埋め尽くしている。五十年以上も前に、じいちゃんとばあちゃんが結婚してこの家を建てたとき、二人の好きだったあじさいを植えたのだそうだ。
 じいちゃんが亡くなってから、ちょうど一年が経った。

 じいちゃんとばあちゃんは同じ町の出身で、その町はあじさいの名所だったのだそうだ。町のあじさい通りと呼ばれる通りは、梅雨時になるとうすい赤色の花弁をつけたあじさいが咲き誇って、若かった頃のじいちゃんとばあちゃんは、その通りを並んで歩いた。ふるさとの思い出が二人にとってすごく印象深いものだったから、この町に越してきて新しく家を建てたとき、じいちゃんとばあちゃんは、家の周りをあじさいで埋めようと決めたのだそうだ。そして、夏になって、庭に植えたたくさんのあじさいがうす赤色の花を咲かせたのを見て、じいちゃんとばあちゃんは手を取り合って喜んだ。それからは長いこと、夏になるとじいちゃんとばあちゃんは縁側に並んで、うす赤色のあじさいを眺めながら暮らしてきた。それが夏の風物詩だった。
 けれども、十五年ほど前のある日のこと、町にたくさんの白い灰が降ってきた。ずっと遠くの山が噴火して、大量の火山灰が風に乗って、この町まで運ばれてきたのだ。僕はまだ生まれていなかったから人から聞いた話にすぎないのだけど、その時は、町全体が真っ白になって、農作物が壊滅的な被害を受けたらしい。
 その翌年から、じいちゃんとばあちゃんのあじさいは、突然色を変えてしまった。庭の全部のあじさいが、うす赤色から、くすんだ紫に近い青色に変わってしまった。じいちゃんは、そのことをとても残念がった。毎年、あじさいが花を開く度に、「今年も青いあじさいかあ」と言っていたそうだ。
 そんなじいちゃんが、急に背中の痛みを訴え始めたのは二年前の冬だった。背中が痛くてまともに歩けないと言って、父さんに連れられて近所のかかりつけの医院に行ったじいちゃんは、そこのお医者さんから大きな病院を紹介され、大学病院で検査を受けた。その結果、かなり進行した膵臓のがんだと診断された。
 じいちゃんは、その場でお医者さんから今後についての説明をされた。入院して抗がん剤や放射線の治療を受ければ来年まで生きられるが、このままだとあと半年程度しか生きられない。そう言われて、父さんは、お医者さんに入院治療を頼んだ。けれどもじいちゃんは、入院を拒んだ。
「八十年近く生きたんだ。半年も一年もたいして変わらんから」
 じいちゃんはそう言っていたらしい。
「ちゃんと治療も受けるし、薬も飲むけれど、入院して、たくさんの管につながれながら、無理に生きながらえるようなことはしたくない」
 それがじいちゃんの意志だった。じいちゃんとばあちゃん、それに父さんと母さんと僕の家族五人がそろった話し合いの場で、じいちゃんははっきりとそう言って、入院はせず、この家で最期を迎えることを選択した。父さんと母さんは、最新の医療を受けて、一日でも長く生きてほしいとじいちゃんにすがった。ばあちゃんは何も言わなかった。僕はじいちゃんに少しでも長く生きていてほしかったけれど、何と言えばいいのかわからなくて黙っていた。じいちゃんは、僕をちらりと見ると、僕たち家族に、「辛い思いをさせてごめんな」と謝った。きっと、僕が言葉に詰まっているのを、じいちゃんはわかってくれていたんだと思う。
 それから、奥の客間がじいちゃんの部屋になった。朝日が差す窓のすぐそばに新しくベッドをしつらえて、じいちゃんがベッドに横になると、窓越しに庭がよく見えるようにした。じいちゃんはそのベッドがお気に入りで、よく「王さまみたいな気分だ」と言って、僕らを笑わせた。
 春が過ぎると、じいちゃんはあまり動けなくなった。ずいぶん体重が減って、顔や体が黄色くなり、頻繁に下痢をするようになった。じいちゃんが動けなくなるのと反対に、ばあちゃんはしばしば外に出かけるようになった。昼過ぎに出かけて行っては、夕方になると、キャリーバッグに大きな袋を一つ載せて帰ってくる。何度かそんな外出が続いた後のある朝のこと、僕は、庭先にばあちゃんが立っているのを見かけた。
 ばあちゃんは、たくさんの麻袋を前に、畑仕事の格好をして立っていた。
 何日もかけてばあちゃんが運んでいたのは、麻袋いっぱいの腐葉土だった。近所を歩き回って、農家の人に頼んだり、雑木林の持ち主に頼んだりして、この土を集めたのだと言う。
 ばあちゃんがはさみを入れると、袋からは、あったかそうなふかふかの土があふれ出した。ばあちゃんは、庭の土を掘り返しては、腐葉土と丁寧に入れ替えていった。あじさいの根を傷つけないように慎重に土を掘って、新しい土をそこに入れていく。朝に始めた作業は、昼が過ぎても、夕方になっても終わらなくて、腐葉土がなくなると、ばあちゃんは翌日また出かけて行った。いくら、僕が手伝いたいと言っても、ばあちゃんは首を縦に振らなかった。
 だから僕は、ばあちゃんの作業を縁側に座ってずっと見ていた。

 やがて梅雨に入ると、庭のあじさいの緑色のつぼみはしだいに大きくなってきた。じいちゃんはいよいよ動けなくなって、ベッドに横になったまま、痛みに顔をゆがめて、額に汗をびっしりと浮かべていた。お医者さんが、楽になる注射を打とうとしても、じいちゃんはそれを断った。
 見舞いにやってくる人が急に増えた。顔も知らないような遠くの親戚がやってきたり、じいちゃんとばあちゃんの故郷の知り合いが、わざわざ列車に乗ってやってきたりした。ばあちゃんはずっとじいちゃんのそばにいた。じいちゃんがうまくしゃべれないときには、ばあちゃんがじいちゃんの口になった。
 理科の先生に聞いたことがあるから僕は知っていた。あじさいは、土の性質で花の色が変わる。
 ばあちゃんは、じいちゃんにうす赤色のあじさいを見せたかったのだ。
 じいちゃんとばあちゃんは、窓からいつも、あじさいを見ていた。
 最初の花弁が開くとき、僕は天に祈るような気持ちでいた。うすい赤色であってくれと願っていた。
 だけど、しとしとと雨の降る六月末の朝。縁側で僕が見た今年のあじさいは、青だった。

 じいちゃんの部屋に行くと、じいちゃんはベッドの上で、ばあちゃんはじいちゃんの隣で、二人は、窓からあじさいを見ていた。
 二人がどんなに気を落としているだろうと思って、僕は二人の後ろに立った。じいちゃんとばあちゃんを何とかして元気付けようと、僕は二人にかけるべき言葉を必死になって探していた。
「ああ。咲いたなあ」
 まだ言葉が見つからないうちに、じいちゃんの呟きが聞こえた。僕は、じいちゃんとばあちゃんの背中越しに、窓の外のあじさいに目をやった。
 咲き誇る青いあじさいの群れの中に、ひとかたまりのうす赤色の花が見えた。青い花束の中に、赤色の花を一輪挿したように、窓の中のあじさいは、そこだけぽっかりと赤かった。
 ほんの一株だけだったけれど、うす赤色のあじさいは咲いていた。

 その日の夜に、じいちゃんは息を引き取った。
 お通夜には近所の人や、じいちゃんや父さんの知り合いが大勢集まり、なんだか賑やかなくらいだった。お葬式には、僕はもちろん、父さん、母さんも知らない人が大勢やってきて、ばあちゃんがずっとその人たちと話をしていた。火葬場では、待っている時間に父さんが言っていた。
「苦しかっただろうけど……。じいちゃんは、いい死に方だったんじゃないかなと思うよ」
 その場にいる人たちは、誰も何も言わなかったけれど、みんないろいろな思いを抱えているみたいだった。

 僕は、庭に咲いているあじさいに目をやった。
 今年も、青いあじさいの群れの中で、そこだけぽっかりライトでも当てられたみたいに、うすい赤色のあじさいが光っている。


※涌井の創作教材です。著作権は放棄しませんが、もし授業でご使用いただく場合はご連絡等は不要です。


「生命の尊さ」についての「考えてみよう」はこちら


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