さちこ

スイミングインストラクターの傍ら、姿勢のお勉強中。 ここは自分へのフィードバックと心理…

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スイミングインストラクターの傍ら、姿勢のお勉強中。 ここは自分へのフィードバックと心理学を絡めてアウトプットの場。リアルでは言えないことを多々呟く。

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わたしはこんな人。

はじめまして。 みなさまに触発され、わたしもnoteを書いてみよう。ということで、まずは自己紹介。 生い立ち。 静岡県三島市に住むひとりっ子。5歳から水泳を始め10歳で全国大会初出場3位。11歳で日本選手権出場。12歳で日本学童新記録。 そのまま中高大とひたすら水泳を続け、結果オリンピックには出れていないレベルのわたし。 推薦で日本体育大学に入学するも、1週間で入学したことを後悔。卒業し、大して考えず地元のスイミングに就職→潰れる。妊娠出産を経て、今はパートでインストラク

    • 12年間。

      息子、本日小学校を卒業しました🌸 早生まれなので実際はまだ11歳だけど、この12年の育児を振り返るのにすごくいいタイミングかなと思い、久々のnoteです。 3782gで産まれた息子(めちゃでかかった) 発達の心配もなく、人見知りもせず、どこに行っても誰でも大丈夫な手のかからない子。 はじめてのスイミングだけは、走ってプールサイドから逃げ出そうとして捕まえられてたけど笑 なにをするにも怖気付くことなく、ひとまずやれる。だから親はあれもこれもそれもと、いろんなことをやらせまし

      • 母とわたし。最終章。

        母が認知症になってから5年が過ぎ、 わたしの不幸の理由を、母からの愛情不足のせいにして相変わらず生きてた。 わたしはこんな経験をしたから、可哀想って認めて。 わたしのせいじゃないの、原因はお母さんなの。 だからこんなわたしを慰めて!憐れんで! そのとき直接思っていたわけじゃないけど、今思うとそうやって周りに訴えてたように思う。 その特別性を求めてた。 自己を肯定するための周りに特別扱いしてもらうためだったようにさえ思う。 そんなわたしの内心を、初めてズバッと言ってくれる

        • 母とのこと。続き。

          衝撃の母の告白から2年ぐらい経ち。 別に何が変わるわけでもなく過ごした。元から好きじゃないしって思ってたし。 結婚して子供が産まれて里帰りしたけれど、お母さんと過ごすことにイライラして何一つ感謝なんてせず、泣いて帰りたいと旦那に訴えて早々に戻る。 ホルモンバランス崩れまくった初めての子育てをイライラを全部母のせいにした。 その後手伝いに来てくれる母にも冷たく当たってた。使えないなぁって。 でも、その後に娘が生まれて。 わたしを育てた感覚があるからか、もうひたすら可愛いみ

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        わたしはこんな人。

          わたしの生い立ちと母。

          久しぶりすぎるnoteです。 恋愛ネタや体育会系ネタばかり書いて、全然自己の振り返りになってなかったあの頃から半年。笑 過去を振り返って、あーだこーだ考えてばかりだったこと。過去のせいにばかりしてきたこと。 その全ては、今のわたしには関係ないことがやっとわかった今。 少し違う観点で、母とのことが振り返れると思い、久々にnoteを開いてみました。 わたしは、お母さんにちゃんと愛されてないから自己肯定感が低いんだって思って生きてきた。 小さい頃、抱きしめられた思い出がない。

          わたしの生い立ちと母。

          恋愛話。最終章

          Dragon Ashの曲を聴きながら、 恋愛話、最終章です。 心が少しずつ前を向きはじめて半年ぐらい経って、 急に彼にメールを送った。 元気にしていますか、わたしは元気です。って。 元気だったのは嘘じゃないけど、元気って知って欲しかった。返事なんて期待してなくて、もうへっちゃらな自分をただただ、彼に知って欲しかった。 あなたがいなくても大丈夫って強がりを、精一杯彼に伝えたかったんだ。 そしたら、意外とすぐ返信がきて。 たわいもない、夕飯の内容だったような気がするけど、

          恋愛話。最終章

          知らなかった世界。

          こんなに温かい世界と暖かい人たちがほんとにいるんだなって、ただただ驚く。 素直に相手を認め、受け入れて、褒めて、応援する。 そしてそんなの当たり前でしょって。何言ってるのーって。 蹴落とそうとしたり、比べたり、批判したり そんなのが当たり前の世の中で、 少し違うことをしたらへんな目で見られ ちょっと目立つと叩かれて いつのまにか自分を消してどれが自分かわからないわたしになってた。 思ったことをそのまま口にするからいけないんだ 素直すぎたらバカを見るんだ そんな経験ばっ

          知らなかった世界。

          恋愛話。part3

          大好きなだいすきなダイスキな彼の彼女に、 3年のときを経てなったわたし。 わたしは地元の部活に忙しい高校生。 彼は千葉の先端に住んでる大学生。 会えるのは、二、三ヶ月に一度。彼が夜中に車で向こうを出発して、4時間後の朝、こっちに到着。 わたしは朝、学校に行くフリをしてそのまま彼が迎えに来てくれるコンビニに向かって、学校サボってデート。 地元でのデート。近くにいたら知ってる人に会うので、熱海までドライブ。その足で、指輪を買ってくれて、右手の薬指に初めて指輪をしたわたし。指

          恋愛話。part3

          恋愛話。part2

          彼の大学進学により会えなくなったわたしたち。 どこの大学かは知ってたけど、 当時のわたしにはどうすることもできなかった。 唯一の望みは、わたしの進学先が彼の卒業高だと言うこと。OBとして、関わるチャンスがあるかもしれない。 でも実際は、わたしも新しい生活や部活に必死で←競泳強豪校、それどころじゃなかったのが正直なところだけど、 入学したての頃、彼が友達と部活に顔出しに来てた気がするんだけど、なんか目も合わなくて、全く話せなくて、あれ、なんかそうゆう感じ?って、驚いて。

          恋愛話。part2

          恋愛話。

          母との話に向き合うのに、相当なパワーを用いる為…、間にコイバナ入れてみる。笑 小学生の頃、スイミングで練習が一緒になる高校生のおにーさんたちがとにかく格好良く見えて、わたしの年上好きはきっとこの影響なんだけれど←いまだに。 同い年の男子と仲良かったけど、同士というか、異性ではない、と言うか。それも今の自分に続いている気がするな。 中学になって、やっと男子の成長が追いついてきて(言い方)、その中でもちょっと大人な男子となんとなく両思い?みたいなときがあった。 けど、2人で

          恋愛話。

          自己肯定感。

          小さな頃は、思ったことは言えるし、周りの目を気にするなんてことなく、知らない子とどんどん友達になるタイプだったはず。 でもそう言えば、 学校の先生やお店の人、大人には話しかけるのは苦手だった。要するに、人見知りではないけれど、コミニュケーションとして人と接するのは苦手だったってことなのかもしれない。 相手の気持ちを考えずに感情でモノを話すから、知らない間に相手に嫌な思いをさせてしまう。 言葉のボキャブラリーも足りないし、なんかうまく空気が読めない。 そのせいでうまくいかな

          自己肯定感。

          大学の頃③

          まさかのパート3。大学の振り返り、わたしの内面にはあまり必要ないので残りをさくっとご紹介。 水泳部には、「入水式」という、新入部員への儀式があって。 飛び込み競技で使う、高さ10mの飛び込み台。スイカを底から落とすと水面で割れるヤツ。なんとそこから、自己紹介して飛び込む儀式。 もちろん回ったり頭からは一応禁止で、足から落ちてねって。いやいやそれでも死ぬほど怖い。 下では全学年の先輩たち(飛び込み、競泳、水球)がヤジを飛ばす。 毎年飛ばなくて1時間、10mのてっぺんで泣く子

          大学の頃③

          大学の頃②

          大学生なのに、入学して2週間毎日実技。 イコール毎日ジャージ。 学校に着いてから着替えるなんて甘いものじゃないよ、寮を出る瞬間からジャージなんだから。 し、か、も。 それが最初だけじゃなかったー! ほぼ4年間そうだったー! 日体大健志台キャンパスは横浜市青葉台にあるのだけれど、青葉台って閑静な住宅地。なのに駅にはジャージがうようようようよ。 田園都市線で渋谷に一本。その途中の桜新町にある世田谷キャンパスに行くときも、もちろん、ジャージ。なんならそのまま渋谷まで。 大学でジ

          大学の頃②

          大学の頃①

          日本体育大学入学。 女子は水泳部としての寮がありその名もスイムコーポ。男子は学生寮。写真がないのが残念なぐらいのボロコーポ。イメージは中華人民共和国。 コの字型の二階建ての外階段つきの建物に、中庭には学生のママチャリがわんさか止まってる。 部屋は2人で一部屋。 共用キッチンと居間が四畳半ぐらい。お風呂とトイレも付いて、居間の奥に2畳半ぐらいの個室。二段ベッド仕様になっていて、上にクローゼットを置き、下に布団を敷いてねるスタイル。そういえば部屋の写真も一枚もない。 父は、

          大学の頃①

          高校の頃。

          高校進学は、ほぼほぼ私の意見はゼロ。 地元で水泳を続けるならそこしかないと言うぐらい、選択肢はほぼなかったし当たり前のようにそこに進学。 オリンピックに出た、同い年のその子ももちろん同じ学校。 地元のスイマーたちが一斉にそこに集まる。スイミングの先輩たちもみんなが当たり前のようにそこに入ってたから、迷いも何もなかった。 今思い直してもそれ以外の選択肢はなかったように思う。 外プールがあったその高校は、夏の間は学校で練習、寒い間は自分たちが育ててもらった各スイミングに戻っ

          高校の頃。

          中学生の頃。

          わたしが入った中学は、歩いて40分かかるマンモス校。なんせひと学年20クラス以上。 誰と同じクラスかなんて考える必要ないぐらい、同じ小学校の人たちとはバラバラ。 インド人みたいな顔の濃い担任と、ものまねが得意な双子の男子のカタワレと、絵を描くのが上手い双子の女子カタワレと、病気の治療中で髪の毛がない女の子と(何の病気かはそう言えば知らない。けど後々ちゃんと髪の毛生えてきてたはず) 初めましての人ばかりのクラスになって、すぐ仲良くなって、すぐみんなで遊ぶようになった気がする

          中学生の頃。