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高校の頃。

高校進学は、ほぼほぼ私の意見はゼロ。
地元で水泳を続けるならそこしかないと言うぐらい、選択肢はほぼなかったし当たり前のようにそこに進学。

オリンピックに出た、同い年のその子ももちろん同じ学校。

地元のスイマーたちが一斉にそこに集まる。スイミングの先輩たちもみんなが当たり前のようにそこに入ってたから、迷いも何もなかった。
今思い直してもそれ以外の選択肢はなかったように思う。

外プールがあったその高校は、夏の間は学校で練習、寒い間は自分たちが育ててもらった各スイミングに戻って練習するスタイル。
春、ゴールデンウィーク、夏と合宿。4月のばかみたいに寒い時期から外での練習スタートだったけれど、日本選手権に出場するわたしたちは、そこまではスイミング練習。
だから新一年生になったときは、みんなが入学前に合宿してるのに参加できず、みんなから言わせるとズルイらしいけど、わたしだって参加したかったよ!

県大会10連勝するような高校だったけれど、速い子が集まるから強いだけで、その高校に入って伸びるイメージは全くなく。
ただ、中学まで地元の小さなスイミングだと全国大会に出れても1人か2人で、わたしもだいたいコーチとマンツーでの出場だったので、部活という団体で全国大会に行ける、応援してもらえるという嬉しさは本当に大きかった。その勢いでみんな新一年生はだいたい成績がいい。で、二年で中だるみして、三年最後の夏で焦って返り咲く。っていうのがうちの高校の有名なジンクス。

入学してからは、お昼休みにプールサイドの掃除をしなければならない一年生は早弁して昼休みになったら猛ダッシュ。部室は上級生より早く着替えなければならないから、超早着替え。練習後の片付け、大会の荷物など、先輩がやっていたらすぐ変わる。
先生がとおーくに見えても、挨拶して一礼。
夏のシーズン中は女子は耳が全部出るショートカットにしなければならない。
合宿で出てくるばかみたいに大量なご飯は残したらならず、泣きながら食べる子もいて、意味なく合宿で太る。
超体育会系。

衝撃的だったのが、初めてののインターハイ。
オリンピックのあの子と一緒に決勝進出したレース後、優勝した彼女は表彰やインタビューがあるので、わたしは一足先にみんなの元へ。みんなはもう荷物を運び始めていたのだけれど、わたしは泳いできたばかりだし、コーチと話をしたりなんだかんだと片付けに入れていなかったそのとき。
「さちこ。荷物。」
二年生の先輩が、荷物を持ちながら言い放った。
「!!」
初めてのインターハイ、決勝の喜びなんか一気に吹っ飛んだよね…。
忘れられない。あのときの先輩の冷たい顔。わかるよ、わかるんだけどね。

そんな毎日部活の日々。授業が終わるとプールまでローファーで走る。外プールで泳ぐから当時流行のガングロ(ゴーグルで目の周りだけ白い)のいかついショートカットの三年間。
おしゃれなんて無縁の日々。

それでも、高校のときにわたしの恋愛史上No.1の人と何故か付き合えることになる奇跡が。
恋愛の話もまた色々あるのでここでは割愛するけれど、あんなに真っ直ぐに大好きだった恋は最初で最後だと思う。
でも当時、恋愛すると速くなれないという意識を指導者から植え付けられていた女子たちは、高校最後の夏に焦り、恋愛しているからじゃないかと勘違いをし、最後の夏に結果を残さなければならないプレッシャーから、別れを選んで。わたしだけじゃなく、他の子も。強迫観念てすごいなってこのこと。

わたしはそれ以前から水泳に対してのプレッシャーは半端なくて、県大会連覇がかかっている我が校は高得点を狙わなければならず、日本代表選手でだいたい海外にいる彼女の代わりに、わたしが優勝しなければならない責任を背負わされてた。勝手に背負ってたのかもしれないけれど。

そのときの県大会っておかしいぐらいレベルが高くて、県大会決勝メンバー全員がインターハイ出場タイム突破(普通は1人か2人)、うちの県からインターハイ決勝に4人出場するレベル。全国大会の決勝メンバー半分を我が県が埋める強さ。
そんな簡単に県大会だからって優勝できない。

インターハイより県大会のほうが無駄にプレッシャー大きくて、三年間県大会で勝ったことがない。インターハイではその子たちに勝って泳ぐのに。
高校最後の県大会も、そんな感じで終わったから不安で怖くて。恋愛から離れたら、わたしなにかが変わるのかなって本気で思った。
恋愛に逃げるのではなく、恋愛をパワーに変えたら良かったのに。恋愛からも逃げた。

そんなこんなで、どうにか決勝には残った最後のインターハイ。しかも1種目目で決勝進出出来たから気を抜いて、2種目は予選落ち。
初めて国体にも選ばれず、引退が早くなったと喜んで悔しくもなかったわたし。
別れた彼が忘れられないから、シーズン終えて電話したら彼女がいるし←当たり前。
勝手にやり切った感感じてたけど、思い出せば思い出すほど、中途半端な最後の夏だった。

放課後の部活がなくなって、ルーズソックス履いて、下校で初めてメイクが出来て、そのまま街に繰り出して←と言っても田舎。
開放感でいっぱいだったけど、部活がないとなんのために学校に行っているのかわからなくなるときがあった。

大学進学も、行きたいところの推薦が取れず、第二志望は推薦で50%の合格率。そんなとき、たまたま声をかけてくれたのが日本体育大学。
悩むことと、進学先が決まらない不安からまたもや逃げ、あっさり100%合格と言ってくれた日体大へと進学を決めたのでした。
このときも、父親なにも言わず。お金もそこそこかかるのに、受け入れて行かせてくれた。友達からは、「は!?絶対合わないよ。やめときなよ!」と。だよね、わたしもそう思う。笑

いろんなことから逃げて楽を選んで、
わたしは大学進学のために初めて実家を出るのでした。
親元から離れたかったのと、関東に出れるって理由をくっつけ、一応水泳をやるためにという言い訳で、1%も検討していなかったところへの進学。
附属高校だったから、そのまま大学に行けたのに、水泳をやりたかったわけでもなかったのに、なんでその選択だったんだろう。
もうそのときのわたしは、逃げるのみの人生だったな…


大学編へと続く。


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