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自己肯定感。

小さな頃は、思ったことは言えるし、周りの目を気にするなんてことなく、知らない子とどんどん友達になるタイプだったはず。

でもそう言えば、
学校の先生やお店の人、大人には話しかけるのは苦手だった。要するに、人見知りではないけれど、コミニュケーションとして人と接するのは苦手だったってことなのかもしれない。


相手の気持ちを考えずに感情でモノを話すから、知らない間に相手に嫌な思いをさせてしまう。
言葉のボキャブラリーも足りないし、なんかうまく空気が読めない。
そのせいでうまくいかないことが人生で度々あった。


例えばスイミングで上のクラスに上がったばっかりのとき、ついてけないからみんなより泳ぐ回数が少なくて休んでいるくせに、ターンしていくおねーさんたちを潜って見てて嫌がられ←当たり前。
帰りの着替えで、わたしの周りから誰もいなくなってたとか。


高校の修学旅行で、先生の部屋のお酒を盗もうとして見つかり、すでに盗んだ子の名前を普通に喋って先生に言ってしまって(もう先生は知ってるもんかと思って悪気はなかったんだけど、少し考えればわかる。)
その後の旅行中仲間外れを食らうとか。


書いててもため息が出るほど空気読めてないコミ障。そして今の息子にそっくり…


小さい頃は、空気が読めないが上に傷つかなかったけれど、思春期になり、その壁に思い切りぶつかるようになり。

その度に、違和感だけは感じて、でも理由が分からなくて自分を責めて、自己肯定感が下がるの繰り返し。
そうしてどんどん自信がなくなって、おどおどするから尚更うまくいかなくて。
根本がそうじゃないから、なおさらしんどくて。


それに加えて、水泳が無駄に速かったり、
たまに微妙にモテたり(本人は気づかず)、
変に目立ち、嫌われる。



自己肯定感が低いが故に、恋愛に対しても自分を下げてしまうことがとても多かった。
わたしを好きって言ってくれることだけがただ嬉しくてなびくけど、結局そんな好きじゃないからすぐ終わっちゃうし。
たまたま、好きだった人とうまくいくことがあったけれど、一度だけ?いや、二度かな。
恋愛に自分の価値を見出したくて焦って恋をしていたなぁと、今ではよくわかる。

なので恋愛としての自信がつくわけでもなく、告白されたのに振られるとかも多くて、更に自信がなくなり。
それが表情にも出ていたから、ダメ男にもひっかかる。


そんな経験を、27歳ごろまでずっとしてました。


心理学の本を読んだり自己啓発を受けたり、母親になったりして、少しずつマシにはなってる(なってないかも)気はする。
最近では、HSP(下記参照)という特性を知り、これも持ってるわーと初めて気づき。

HSPとは(Highly Sensitive Person)つまり「過度に敏感過ぎる人」ということ。
感受性が強く繊細な神経を持つため神経が高ぶりやすく敏感。言い換えると、卑屈、恥ずかしがり、神経質、弱虫、引っ込み思案といわれてしまうこともある気質。「びっくりしやすい」「反応が過剰」ほとんど、自動的に現象の刺激に 反応し、“現象”の方に、フォーカスしてしまう。


人目が気になる。
嫌われたくない。
自信がない。
恥ずかしい。

そこらへんはまだまだわたしの中に渦巻いていて。

その中でも、「恥ずかしい」は、母とも関係するわたしの中での大きなワード。心理学のセッションしたときに、その気持ちが常に渦巻いてることを知り、気づく。


自分が好きじゃないから、平然とクールにサバサバ振る舞う方が楽だと気づき自分を作る。ときには影響のないように穏やかに笑ってる自分でいる。

どれが本当の自分なのか。
どの自分が好きなのか。
わからないまま。


取り繕ってる自分が、たまにすごく、嫌。


思うのは、そんなとき助言してもらえたら違かったのかもしれないということ。
特に、親にはそんなわたしを見て、受け止めて、理解して、そして助けて欲しかった。
だから、なんでもズバズバ指摘する旦那を選んだんだなと。


親が、わたしにそうできないのか、しなかったのかわからないけれど、その理由というか原因にも、触れていきたいと思う。
多分、わたしの人生でクリアしなければならない大きな壁。


お付き合いいただけると嬉しいです。











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