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母とわたし。最終章。


母が認知症になってから5年が過ぎ、
わたしの不幸の理由を、母からの愛情不足のせいにして相変わらず生きてた。

わたしはこんな経験をしたから、可哀想って認めて。
わたしのせいじゃないの、原因はお母さんなの。
だからこんなわたしを慰めて!憐れんで!
そのとき直接思っていたわけじゃないけど、今思うとそうやって周りに訴えてたように思う。

その特別性を求めてた。
自己を肯定するための周りに特別扱いしてもらうためだったようにさえ思う。



そんなわたしの内心を、初めてズバッと言ってくれる人たちと出会い。


自分を卑下して付き合う目の前の人たちに失礼だよ。
血の繋がりなんて、あってもなくても変わらないよ。
過去を許していけるよ。
ありのままの自分で、ちゃんと愛されてるよ。


全然ピンとこなくて。意識が高い系の人たちはすごいなーって思ってて、でもいつか、なんとなく、変われたらいいなぁなんてのんびりと、いつまでも過去に埋もれるわたしを、ぐいっと引っ張り上げてもらって。


そこからわたしが大きく動き始める。


わたしはじゃあどうしたかったの?
お母さんに愛されたかったんだよね。抱きしめて欲しかったって、思うんだよね。
でも、わたしの思う形で愛してはくれなかったかもしれないけれど、本当に愛されてなかった?


お母さんはわたしを愛してなかった?


ううん、お母さんはわたしを愛してくれてたと思う。
お母さんなりの愛で、わたしが欲しいものじゃなかったとしても、お母さんなりの愛をちゃんと、くれてた。

だって、わたしはちゃんと子供たちに愛を与えてる。
ちゃんと愛されてきたから、ちゃんと愛をもらって育ったから、わたしは愛をちゃんと持ってるんだと思うんだ。


わたしは、愛されてた。
わたしはわたしのままで、愛されてる。大丈夫。


そう思えるようになったら、びっくりするぐらい周りに感謝の気持ちしかなくて。もちろん、お母さんにも。


認知症で、もう、伝えても忘れちゃうけど、
今は、わたしの前で素直に笑ってくれるお母さんがいる。
なんとなく、いつも何に対しても気を遣って生きてきたお母さんの表情が今は柔らかくて、穏やかだから。


お母さんが生きてるうちに、こんな穏やかに思えるようになれたことに、心から感謝して。
きっとまだ遅くないし、お母さんとの本当の親子関係って意外と今からなのかも?


生みの親がわからなくても、もらわれてきた理由がわからなくても、今のわたしが幸せだから、きっとなんでも大丈夫。


そんな風に思って、今これを書けるようになった全てのことに感謝です。

皆様にも、心から感謝。いつもありがとう。



この章の写真であげてる部屋は、今お母さんが住んでる特養の部屋。
勝手に決めてしまった施設を引っ越し、やっと穏やかな暮らしのために落ち着いた。
母はここで、残りの生涯を過ごします。

たくさん日が当たる暖かくて明るいこの部屋で
身体はまだまだ元気なお母さんが、どうか穏やかに暮らして行けますように。
忘れちゃってても、まだ、やっぱり生きていて欲しいなぁって思うから。


今更だけど、今なら、お母さんの手を握れる気がするから!!


色々な過去や、経験で、しんどい思いをしたり今につなげて自信を無くしてる人がもしいたとしたら、

大丈夫だよって、ただただ伝わりますように。
そんなことを思っての、最終章でした。



おしまい。

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