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何度でも読み返したいnote1

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 100作品たまったので、何度でも読み返したいnote2を作りました。
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2022年1月の記事一覧

好々爺しげさんの独り言は         かるくて深くてせつない

この世を去った後に その人の存在が さらに 大きくなるということがある。 しげさんが亡くなったのはコロナ禍真っ只中の春だった。 葬儀はひっそりと行われ、家族だけに見送られて旅立った。 あれから1年半。しげさんの言葉は生き続けている。いや、その言葉の重みは増しているのだ。 しげさんの生前の生活は平凡だった。穏やかな日々。でも、だからこそ心豊かに生きるヒントがいっぱい。 ちょっと覗いてみましょうか。 第1章 縁側でにゅうめんを      すするしげさん しげさんの好物は

天然パーマについて思うこと

僕は生まれつき、いわゆる「天然パーマ」だ。 そこまでキツいカーブではなく、「あ、少しパーマかけた?」と、たまに言われる程度のものだ。 だが自分が天然パーマだと自覚して以来、この「天然パーマ」というネーミングが腑に落ちていない。 この「天然パーマ」というネーミング、本当に適切か。 (以降、少し複雑なロジックじみたものが交錯するので、頭の中で咀嚼しながら読むことをお勧めする。うっかり適当に読むと「あ”---!うるせぇ!黙れ!」となると思うので。) まず、『パーマ』の意味

春が半分泣いている。

「彼女、美人だけどニコリともしないでしょ。だから”冷子さん”」  西藤さんは紙の左上をホチキスで留めながら言った。何も応えられずに曖昧な笑みを浮かべると、「悪い人ではないんだけどね」と控えめに付け加えてから別の話題に移っていく。  私はほっとしたのを気付かれないように相槌を打ちながら、別のデスクの島で黙々と作業をするその人を横目に見た。  清潔感のある白い壁紙に艶を消した灰色のオフィスデスクがひしめく一室。密やかな話し声と複合機が紙を吐き出す音が満ちる中、その人だけが別

愛すべき、ユニークな、礼儀正しい…

わたしは高校を1年で中退している。そのこと自体は何の傷にも思っていないが「『青春時代を謳歌した仲間』がいないのがハンデだ!」と高らかに言い訳しつつ「わたしは友達が少ない」と、つい最近まで思っていた。 『梨香子、友達が少ない問題』についての家族の見解はこうだ。 「お前は変わってるからなあ」と言ったのは父。 (だが父の方がずっと変わっていて、わたしは父を、実は宇宙人なのだろうと真剣に思っている) 「私の娘だからね」と言ったのは母。 (母は馴れ合いというものを嫌い、単体での行

むらさきの指輪の行方

「明日予定ある?ヒマなら出かけよう。」 夕食後リビングで本を読んでいると、ジン兄が声をかけてきた。 ここは母の姉である伯母の家。 母と伯母は5人兄妹の中でも仲が良く、長期休暇には母とふたりで帰省し、伯母の家でお世話になることが多かった。 従兄弟のジン兄ちゃんとゆう姉ちゃんがいて、ふたりとも昔から私を本当の妹みたいに可愛がってくれた。 「いいけど、どこ行くの?」 「友達とめし食べよう。」 当時私は高校生、兄ちゃんは大学生。冬休みを利用し2週間ほど滞在させてもらっていた

【私たちの人生は、物語ではないから】

昔、『いつみても波乱万丈』というドキュメンタリー番組があった。もしも自分がゲストなら、話す内容にはこと欠かないな――そう思いながら、画面に映るタイトルをぼうっと眺めていた。 エッセイを書くうえでも、たびたび同じようなことを思う。波乱万丈であればあるほど、エピソードは尽きない。これを外側から言われるのは我慢ならないが、自分で思うぶんには、まあ自由だろう。 * 虐待サバイバーとしての原体験を発信しはじめて、もうすぐ3年が過ぎようとしている。虐待被害やその後遺症に苦しむ人が、

全然違った!義母の「白菜と天かすの土手煮」

私からのお裾分けと義母からの正解先日の白菜大量消費記事に書いた「白菜と天かすの土手煮」。 私が作ったものを少し保存容器に移して義母にお裾分けした。 白菜の水分を搾り切らなかったから水っぽくなったかも?と思っていたんだけど、なんとそれどころじゃなくて作り方が全然違ったので載せておきます。 お裾分けからの返信とでもいうような正解の「白菜と天かすの土手煮」がこちら。義母作のもの。 こっくりしていて見た目はまるでビーフシチューの様、食べた感じは味噌おでんとか味噌煮込みうどんの雰囲

FIREというかは別として

ないものはない。 必要ないものはなくていい。 大事なものはすべてある。 松本潤が隠岐諸島のひとつ中ノ島を訪れた、というネットニュースのなかで、印象的なことばがあった。 ♢ モーレツ社員で責任感強く働き、数年前には、都心のマンションのローンも払い終えちゃった友達、たまえちゃん(仮名)。 行きつけのお店の店長さんだった縁で知り合って、とにかく頑張り屋さんでまじめな彼女の性格にひかれて仲良しになった。 でも、その性格からか、夜も昼も働きづくめという生活が続いた果てに、燃え尽

冬は冬のままでそこに居てくれるから

冬の欠片が道端に落ちていた。それは粗大ゴミの中に『冬のはじまり』と書かれた看板で、その字のペンキは雨風に浸食されて溶けて無くなっているし、それ自体が錆びて朽ちているし、まるで原型を留めていないけれど『冬』という字は薄らと主張していた。私は少し立ち止まってその看板の由来を考えていたけれど全く思い浮かばず、風に背を押されるようにその場を離れた。 久しぶりに歩く田舎の街並みは不易を背負って呼吸をしているように思えたが、私の知らない間に根が生えたように居座っていた喫茶店が閉店してい

わたしを闇から救いあげてくれたのは、スーパーエクセレント最上級の「恩師」だった

人生を救ってくれた先生がいる。 「人生を救ってくれたなんて大袈裟な・・・」と思うかもしれない。でも事実なのだ。 タラレバを承知で書くと、その先生と出逢っていなければ、今のわたしは間違いなくいない。 ♢ 家庭環境に恵まれなかった。子ども時代は黒歴史だ。 父は日雇い職人。仕事へのプライドは高く腕のいい職人だったが、家では最悪の父親だった。 ギャンブル狂で大酒呑み。おまけにひどい酒乱だった。給料のほとんどをギャンブルに擦ることもたびたびあり、家にはお金がなくていつも困っ

5歳!500メートルの大冒険。

ついに幼稚園が休園になってしまった。 期間は、1週間ちょっと。 「外出は控えてください」と園からのメールが届いている手前、堂々と公園に遊びにいくのも気が引ける。 休園開始からの2日間は、真面目に家の中で過ごした。外の空気が吸いたくなったら、ベランダでシャボン玉をしたりして。でもついにシャボン玉液がなくなってしまった3日目、私は息子を散歩に誘った。 「りんりん!ファミマにお菓子買いに行かへん?」 「いくいくー!」 「今日はファミマまで歩いていこうや。近いしさ。」

我らの結婚前夜

「よし、忘れ物ないよね?」 「うん、大丈夫でしょ。」 2021年9月、結婚式前日。私たち夫婦は住処である田舎町を出発し、式場のある札幌市へと向かった。札幌までは高速で一時間ほどの距離。明日は午前中から挙式で集合時間が早いため、慌てることのないよう前日入りすることにしたのだ。今日は式場で最後の打ち合わせをしたあと、最終フィッティングとブライダルエステ。市内のホテルに宿泊する。 運転席に夫、助手席に私、トランクには式場へ持ち込むあれやこれやを乗せて、車は高速道路をひた走る。

時には昔の話をする

今夜の金曜ロードショーは『紅の豚』。 ジブリ映画それぞれに、今までの人生に紐づく思い出がある。 そんな日本人はたくさんいるんじゃないかな。 わたしも例に漏れない。 夕方テレビ欄に『紅の豚』を見つけ、元彼の一番好きなアニメだったなと思い出していた。 *** その元彼とは6年ほど付き合った。わたしのモラトリアム時代の傍らには彼がいた。 彼はアニメに拒否感を持つ人だった。だが、ジブリは例外。「ジブリ以外のアニメはあんまり好きじゃない」という彼の主張は、アニメ文化への偏見に

エストニアの桜は真冬に咲く

今年はよく雪が降る。 近年は度々暖冬になり、積雪が当たり前のエストニアでも雪がしっかりつもっている状態が続くことが少し稀になってきた。 私が小いさかったころは・・・ そんな子どものころの雪の思い出を義母やヨメがしてくれることも多々ある。 九州で育ったボクとしては雪をみると未だにテンションがあがる。 エストニアに住み始めて10年経つが、それでも雪をみると未だにテンションがあがる。 なぜなら雪が積もると世界が明るくなるからだ。 冬至は過ぎ、日に日に日照時間は長くなっ