みきりかこ|三喜梨香子

20代.山羊座. よく笑い、よく学び、よく愛する   ◎note:2021.10〜(2…

みきりかこ|三喜梨香子

20代.山羊座. よく笑い、よく学び、よく愛する   ◎note:2021.10〜(2024年から執筆再開します)

マガジン

  • 夜もすがら

    気になること,考えたこと,気付いたこと,ふと語りたくなったこと。

  • 人、生き物

    心に残っている、愛おしい、あるいは憎らしい者たちについて。

  • 場所

    「知れば知るほど、知らない世界がまだまだあることを知るね」という話をする時の躍動感は、死ぬまで持っていたい。

  • 食事

    「生きる為の食事でなく、食事の為に生きよう」そう言って、大好きな人たちがモリモリと頬張る姿が、あってこその美味しさだ。

最近の記事

  • 固定された記事

美しき女体と、心の在り方

わたしは女性が好きなので(男性も好きだが)、銭湯に行った時には正直、(あまり卑猥に聞こえる発言はアレなので、控えめに言って)かなり興奮して見入ってしまう。 バレない程度に、不躾にならない程度に、それとなく、だけど、しっかり盗み見をしてる。 ただ、決していやらしい意味ではなく、動く「おんなのカラダ博物館」に訪れたような、静粛な、厳かな気持ちで。 眺めていると、いろんなカラダがあるなあ、と、大変しみじみするのだ。 カラダ全体の薄さや厚さも、乳房の大きさや輪郭も、腰回りから下

    • 抱きしめよう、この夜を。

      ある夜。 最愛の彼女に浮気されたと傷心する男友達を家へ招いた。涙ながらに彼女の思いがとうとうと語られるのへ耳を傾ける。お互いに言葉を重ね、話し疲れた頃に、ベッドは別に、穏やかに眠る。 ある夜。 住み込みで働いていた旅館からそっと抜け出す。旅館近くの、下に長い線路が敷かれた小さな太鼓橋の上で大の字で寝転んだ。真夏でも随分涼しい軽井沢の、ひっそりとした星空を眺める。 ある夜。 交際していた随分歳の離れた彼が、遠方から2時間かけて車を走らせてきてくれた。愛の熱で膿み、苦しそうな

      • 清潔さ、を重んじる

        喧嘩をしたときに、しかめつらで、ふてくされる女の子。あれはなかなか可愛い。 当事者としてその状況に身を置いたことはないけれど、女友達から彼との諍いの話を聞くとき、映画やドラマの一悶着のシーン、飲食店で修羅場に出くわしたときなんかに、わたしは膨れる女の子たちの様子を、ほとんど愛玩動物に向けるような気持ちで微笑ましく眺める。 ただ、そんなときに、 「もういいよ!」 という発言が力強くされて、 「好きにすればいいじゃん!」 などが続くとなると、ちょっと違う。 あいにく、その

        • 愛すべき、ユニークな、礼儀正しい…

          わたしは高校を1年で中退している。そのこと自体は何の傷にも思っていないが「『青春時代を謳歌した仲間』がいないのがハンデだ!」と高らかに言い訳しつつ「わたしは友達が少ない」と、つい最近まで思っていた。 『梨香子、友達が少ない問題』についての家族の見解はこうだ。 「お前は変わってるからなあ」と言ったのは父。 (だが父の方がずっと変わっていて、わたしは父を、実は宇宙人なのだろうと真剣に思っている) 「私の娘だからね」と言ったのは母。 (母は馴れ合いというものを嫌い、単体での行

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        美しき女体と、心の在り方

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        記事

          闇夜と静寂に生きていた

          前職の教育会社に勤めていた頃、わたしが1日の中で最も好きな時間は、あまり大きな声では言えないが、帰り道の15分だった。 退社時刻はだいたい23時過ぎなので、 会社を出て自転車にまたがれば、外はもう真っ暗だった。 駅構内に続く階段からの光が眩しかったり、駅前の24時間営業の松屋が煌々としていたり、タクシープールに連なる「空車」の赤文字以外はすべて、夜の闇にのみ込まれていた。 それも過ぎて駅裏を通るときは、 ロータリーと呼ぶには小さすぎるその場所で、若い男の子たちが4,5人

          闇夜と静寂に生きていた

          未来のだんなさん

          小学4年生のときに見た夢を、今でも鮮明に覚えていて、思い出す度に、なんだか泣いてしまいそうになる。見知らぬ、あの男性への愛おしさに。 夢の中で、わたしはリビング(今実際に住んでいる家ではない間取りの)にいて、あたたかな外の光がいっぱいに注いだテーブルに向かって座っている。そうしてパソコンを開き、静かにキーボードを叩いている。 すると後方から「ただいまー」と男性の声が聞こえる。 わたしは振り返らないままに「おかえりー」と声だけで迎える。 突然、後ろからがばりと覆いかぶさ

          恋と興味

          恋をしたことがない…と引け目を感じている友人に「恋ってどんな気持ち」と聞かれた。だから「そんなのは、しなくっても大丈夫」と返した。わたしにとり、それは未熟で、孤独で、耐えがたいものだ。 いい、と思う人との出会いは確かにあるし、いい、と思う人がいるときというのは確かに楽しい。 道端で一瞬すれ違うとか 毎朝乗る電車で一緒になるとか 気に入りのカフェで働いてるとか 近所の本屋でよく鉢合わせるとか まったく素性を知らなくても、その雰囲気や姿勢に、いいな、と感じることもあると思う

          彼女は「分かってる」

          「分かってる」と言われ、本当に分かっているの?と、思う間は一瞬もないままに、彼女の表情を見て、ああ本当に分かってくれているんだと安心して、涙が出た。 とてもとても、 本当にとても悲しいことがあり、 それを吐露していた時、 はじめ、彼女は微笑みながら話を聞いてくれていた。 そしてわたしが話し終えてから 「感じたことがあるんだけど、言ってもいい?」 と言われた。 「うん、お願い」 とわたしは答えた。 そうしたら、彼女は微笑みながら、穏やかな口調で、だけど芯の強さを表す発声

          彼女は「分かってる」

          「あばずれ」の美しい先生

          彼女に最大限の悪態をつきたくて、どうにか絞り出したのが「この、あばずれめ」という言葉だった。 「あばずれ」は中学3年の時の、担任の先生だった。 美しくて、声が大きくて、よく笑う、生徒たちから人気のある先生だった。 みんな、先生に名前を呼ばれるのを喜んでいたし、 男の子たちが先生をからかい、先生が顔を真っ赤にして照れながら笑ってツッコむ、というコントのような流れに一同がワッと笑うものだから、わたし達の教室からはいつも笑い声が聞こえる、と他クラスの子達が羨ましがった。 先生

          「あばずれ」の美しい先生

          お尻があれば揉む

          わたしの愛情表現の1つは、スキンシップだ。とにかく触れる。基本的にいつもどこかに触れていたいと思っているし、隙あらばくっつきたいと思っている。 例えば、交際している彼が洗面所で歯磨きをしている。 わたしはひそりひそりと忍び寄り、後ろからガバリと抱きつく(わ、なんか来た、と言われる)。 例えば、彼がソファに座ってテレビを見ている。 スタスタと歩み寄り、向かい合う形になるよう、前から彼の膝に座ってグンと抱きつく(ウーン見にくいなあ、と言われる)。 例えば、電車で並んで座って

          あなたにとっての「バナナジュース」は?

          「梨香子ってどうしてそんなに楽しそうに生きれるの?」と友人が聞いてきた。 そして、諦念、を貼り付けたような笑顔で言う。 「俺はそこまで人生楽しめないわ。したいことも向上心も、ない人間だし」 その言葉は、わたしを悲しい気持ちにさせた。 その友人は、よく笑い、人当たりも良く、彼なりの楽しさを日常の中で大切にして生きている人だ。わたしから見れば十二分に魅力的、なのに、なんて悲しい言葉を自分に向けているのだろう。 確かに「人生を謳歌している度合い」で言えば、わたしの方が強いのか

          あなたにとっての「バナナジュース」は?

          前職の同僚や後輩たちと淡路島へ行った。10人集まり、みんなの素敵な個性に、とても愛しい人たちだと改めて思った。美味しいお酒、笑い声、真剣な未来の話、たまに涙。辞職後もこれまでのように「隊長」と呼んでくれるみんなに、また春、と約束をした。淡路たまねぎをお土産にたくさん買って帰った。

          前職の同僚や後輩たちと淡路島へ行った。10人集まり、みんなの素敵な個性に、とても愛しい人たちだと改めて思った。美味しいお酒、笑い声、真剣な未来の話、たまに涙。辞職後もこれまでのように「隊長」と呼んでくれるみんなに、また春、と約束をした。淡路たまねぎをお土産にたくさん買って帰った。

          世界一安全な場所

          風が吹き、さわさわと擦れる。まっしろいオーロラのように揺らめく視界の中、わたしは心地良い気持ちで目を瞑る。 誰かが笑い、それにまた誰かの笑い声も重なる。 楽しそうだ。楽しそうだけれど、ただ、そこへは行かなくてよかったと思う。 「梨香子ちゃんも、ドッジボール行こうよ」 友人の誘いを断ったら、その子は大変心配そうな顔で、 「せっかく誘ってくれてるんだから、行こうよ。ずっと断ってたら、梨香子ちゃん、一人ぼっちになっちゃうよ」 と言った。 わたしは笑う。そんなことにはなら

          「別れたいの」を言った日

          交際4年半の彼へ別れ話をすると決めた時は、第一志望の大学入試と同じくらいに緊張して(もう昔の話)前の晩から眠れなかったし、朝目覚めてからもしばらく声が出なかった。 別れ話というのは、言われる方のダメージはもちろん相当だろうけれど(された経験はないが想像しただけでもう胸が苦しい)、言う方にもなかなかのダメージがあると思う。 不思議なのは、 「別れたいの」の一言、これが、すべてを変えてしまうことだ。 ひとたび口にしてしまえば、4年半のわたし達の関係に呆気なくピリオドが打たれ

          「別れたいの」を言った日

          秘書としての愛?…だけではない

          以前、イタリアンのレストランで「こちらのペペロンチーノを」と注文したら、サーブしてくれた方に「かしこまりました、アーリオ・オーリオですね」と繰り返され、頭に「?」が浮かんだ。 繰り返してくれたそれが、わたしの頼んだそれで合っているのか瞬時にはわからず不安にもなったし、なんだか間違いを訂正されたようで恥ずかしい気持ちにもなった。 困惑はしたけれど、全然怒りはしない。 アーリオ・オーリオって言い直されたなんて、些細なことで! ただ、わたしにとっては些細なことでも、アレ?今の

          秘書としての愛?…だけではない

          天邪鬼な、海への気持ち

          海に対しての心持ち、それは「まだ心の準備ができていないの!」。初めて憧れの男性宅へ赴き、玄関を上がったその瞬間に、相手がカラダを熱くさせ突然抱きしめでもしてきた時のような、激しい動揺と緊張。 もはや、海に対してそんなちょっとしたアレルギー反応を起こしてしまうこともあり、海派か山派か、と聞かれれば、わたしはこれまで「山」一択だった。 例えば、山の良さは、とにかく静かなところだ。 いろいろな音とか、光とか、空気の流れを味わうための余白があり、何を感じてもいいし、何を考えても

          天邪鬼な、海への気持ち