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愛すべき、ユニークな、礼儀正しい…

わたしは高校を1年で中退している。そのこと自体は何の傷にも思っていないが「『青春時代を謳歌した仲間』がいないのがハンデだ!」と高らかに言い訳しつつ「わたしは友達が少ない」と、つい最近まで思っていた。


『梨香子、友達が少ない問題』についての家族の見解はこうだ。


「お前は変わってるからなあ」と言ったのは父。
(だが父の方がずっと変わっていて、わたしは父を、実は宇宙人なのだろうと真剣に思っている)

「私の娘だからね」と言ったのは母。
(母は馴れ合いというものを嫌い、単体での行動を好むが、そこに関してはたしかに多少の血筋を感じる)

「ちょっとめんどくせえからだよ」と言ったのは兄。
(兄はオープンマインドでストレートな生き方をするので、わたしのようにいちいち手足を止めてぐつぐつと思考することがない)

「お姉ちゃんのレベルが高すぎるんだよ」と言ったのは妹。
(なぜか妹は、両親曰く、わたしを「神のように思っている」ので、いつも色眼鏡的なフォローをしてくれる)


家族の言い分はある意味で正しかったり、正しくなかったりするだろうけれど、解釈は自由なのでさておくとして、

家族もそんな風なので、わたしももはやからりと笑って「わたしは友達が少ないからなあ」と自虐的に言うことが多く、そこには元来何の深刻さもなかった。


だが、昨日のことだ。
昨年の手帳から今年の手帳へ、スケジュールを書き移しつつ整理していたとき、結構な頻度で友人らとの用事があることに気付いた。

おまけに数日前に誕生日を迎えたので、その祝福のメッセージをきっかけに食事やらなんやらのアポイントも入り、

あれよあれよと、少なくとも春先まで、友人らとの予定で埋まってしまった。すでに、夏や秋を抑えてくれている人たちもいる。



やあ、いつのまに、随分たくさんの友人ができているじゃないか!
と心底驚いた。

わたしの友人らは、
その出会いが多様なため、
10代から60代まで、
未婚も既婚も、
男も女も「どちらでもない」も、
学生から大きな会社の重鎮人物まで、ほんのすこし幅広い。


わたしはその友人らの1人1人をユニークだと思っているが、友人らもわたしをユニークだと思っていることはなんだか興味深いし、

それぞれの友人に別の友人の話をすると「エッ、そんな変わった友達がいるの!」と驚かれることもあり、それもなんとも楽しいことだ。


そんな友人らに1人1人思い馳せ、
多様な彼らの共通点の1つに、皆、とても礼儀正しい人である、ということに気が付いた。分別があり、素直に言葉を使い、ちゃんと目を見て話すので、信頼がおける。

さらに言えば、謙虚で、何事からも学び、自分がどんな人間であるかも知っているし、新たな自分を発見することにほとんどの人が恐れを抱いていない。

肝が据わり、面倒見がいい彼、彼女らだからこそ、
「変わっていて、馴れ合いを嫌い、ちょっとめんどくさく、レベルの高い(???)」わたしにも付き合ってくれるのだ。



それぞれの人たちと一緒にいるとき、あるいは離れていながらも電話で声を聞いているとき、文面でのやりとりをするとき、わたしは愉快で幸福な気持ちになる。

意味のあることないことの様々を報告しあえる相手がいること、

この世界の、時に辛辣で、残酷で、心の削れるような出来事も経験も、「戦友」として共有する相手がいること、

その事実に、心が救済される。


こうしている間にもわたしはまた、愛すべき、ユニークな、礼儀正しい、彼、彼女たちの笑顔を見たくなってきた。

ああ、愛することも、愛されることも、なんて嬉しいことだろう。

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