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何度でも読み返したいnote5

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。更新は終了しました(2024.6.10)。
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#日記

20240516 現在と十年前は違うよに十年後もまた違う世界だ

はてしない気だるさを引っ提げで出社。次の駅で降りるぞというところでなんとなく天気アプリを開いたら、現在の天気は雨となっていた。全然構えていなかった雨予報というか雨なうで、いっぺんに気だるさがふっとんだ。 しかし最寄駅に着いたら激しく曇ってはいるものの、雨は降っておらず。ものすごく曇りの日ってアニメ銀魂の主題歌だったDOESの曇天が脳内で流れる。 しかしサビの初めの「曇天の道をふんふんふんふんふんふんふん」のところしか知らないうえに歌詞もあやふやなので、そこだけが2、3回ふ

寧ろ私が聞きたいと思いながら介護の仕事のコツについて書くなどした

介護福祉士であることを公言しているからか、SNSをしていると主に匿名メッセージサービスマシュマロを経由して質問や相談を頂くことが多い。 大体は介護の世界に入りたての方から介護職において気を付けた方がいいことは何か、避けるべきことは何か、現場にこういう職員が居るがどう対応したらいいか等。 先に言っておくが、私は役職者という立場になったことはない。打診されたことは数回あったが、全てのらりくらりとかわして生きてきた。理由はただひとつ、めんどくさいからである。役職者になることによっ

無駄でいてくれてありがとう

6月16日(土) のどがやられてしまったため、病院へ。 お医者さんにいろいろと訴えたら、くすりを7種類ももらいました。ちと訴えすぎたか。訴状をつくるような勢いで訴えた。告発してやった。気に入らないことがあったらすぐ帰りの会で先生に言うもん。いや「のどが痛い」だけでよかったけれど、質問されるから……。 薬局でくすりをもらい、説明を受け、さいごに「なにか質問ありますか?」と聞かれて「あの、くすりを食べる順番は……」と言うわたしに「まず、くすりは噛まずに水で飲んでください

永福町で過ごした日々の記憶

今から約10年前、東急井の頭線の永福町駅から徒歩数分の場所で一人暮らしをしていたことがある。 渋谷にある広告代理店に勤務していた二十代後半の頃のことだ。その前は池袋に住んでいたが、通勤の利便性となんとなく縁起のいい名前の駅名に惹かれてその地を引っ越し先に選んだ。 駅前の商店街を抜けた先には「東京のへそ」という別名を持つらしい大宮八幡宮、その奥には和田堀公園があり時々健康のためにランニングをしたり休日にコーヒーとパンを持って散歩に出かけたりもしていた。言わずと知れたグルメの

愛をあらわせ

食べさせたいって、愛だなぁと思う。 食べることが好きでしょうがなくて、1日中食べ物のことばかり考えている。 母は毎朝5時に起きて6時過ぎに家を出て仕事へ向かう。そしてお昼頃帰ってくる。 去年の夏に帰省した時、わたしが到着するその日はいつもよりさらに30分も早く起きて、4年ぶりに一緒に食べるご飯の下準備をしてから仕事に向かったそう。おかげで久しぶりの実家に着いて早々のお昼ご飯は味しみしみの夏野菜マリネのお蕎麦が食べられた。あれはおいしかったなぁー。 どうして前夜に準備しないの

もう味がないガムを噛み続けるみたいに

2023年12月、今年もあと1週間ちょっとの水曜日。 仕事帰り夫にLINEをした。途中駅にいた夫から「おんなじ電車になりそう」とLINEが返ってきて、少し嬉しい。 同じ電車になったって駅からのほんの10分弱の帰り道が一緒になるだけだ。だけなのに一緒はうれしい。 毎回毎回、なぜだか突然の一緒はワクワクするのだ。 唐突に一緒の帰り道、いつもの倍は饒舌になる私は、たぶん後ろから見たらはずんでいるだろう。相手はただ、夫なのに。 夫が乗り込む駅で本当に同じだと確認しあった、電車

外国人の友達なんて一人もいなかった日本育ちの私がアメリカ滞在で体験できたこと

❏アメリカ暮らしも終盤へ 家族でアメリカ滞在を始めて2年弱。いよいよ来年明けに日本へ帰国することになった。ようやくこちらの環境にも慣れて英語でのコミュニケーションを楽しめるようになってきたところで最後はあっけない。もう頑張らなくていいんだなと思うと、ほっとする一方で少し寂しい気持ちの自分がいる。それでも日本へ帰ることのできる喜びは、それをも打ち消すくらいには大きくて。アメリカも楽しかったけれど、やっぱり日本は良い。 振り返ってみると、ものすごい勢いで色々な国の知り合いや

長い長いトンネルの先。

県境の長いトンネルを抜けると豪雨であった。 川端康成氏の『雪国』の冒頭をもじった文章が頭の中で浮かんだ。車外では稲妻が走り曇天の水平線へゴロゴロゴロどっしゃあああん!と落ちた。そして、そのできた閃光の道をかき消すように雨の束が降っていた。少し坂道を走ると、その喫茶店は地域にしんしんと根を張り建っていた。 私と母は、久しぶりに県を跨いでその喫茶店のピラフを食べに行くことになったのだ。しかし、途中から遠雷が聴こえて「これ、雨降るで。」とか言いながら車を走らせたら、案の定、長い

美容院が苦手な人に伝えたい、3つのメソッド

みなさんこんばんは。 今日も美容院に苦手意識を感じていますか? かくいう私はバリバリに感じています。街中で美容院を見ると目を逸らして念仏を唱えるくらいには苦手です。 「美容院への苦手意識」を電子マネーに変換できる世の中が来たら不労所得で暮らしていけるのになあ、と毎夜星空を眺めてぼんやりと思いを馳せる日々…… さて、そんな風に「美容院が苦手」、という人は少なくないのではと思います。 そこで今日は、美容院苦手歴十数年の私が見出したいくつかのメソッドをお伝えしたいと思います

夜を、息子と歩いた。

長かったコロナ禍がようやく明けて、ぼちぼちと以前の日常生活を取り戻しつつある今日このごろ。 わが夫は、元来の陽キャっぷりをずいぶんと発揮するようになってきた。 学生時代の友人たちと飲みに行き、当時のバイト仲間がオープンした店を訪れ、上司とその家族を自宅に招き、今度は前職の友人たちとオクトーバーフェストに出かけるという。 日比谷のオクトーバーフェスト。ジュライだっつーのに、オクトーバーフェスト。初夏だっつーのにオクトーバーフェスト。どこのドイツだ、オクトーバーフェスト。 好き

サイゼリヤのミラノ風ドリア

 人は、他の人と関係を持ちながら生きているので、死ぬと、自分の意志と関係なく理不尽にその関係性が終わってしまう。  その、理不尽さや唐突さになんとか理由をつけて納得しようと思うのだが、理由をつけてもさみしいものはさみしい。  そしてそのさみしさはだんだん小さくなっていくように見えて、ある日唐突に、嵐のようにやってきてしまうのだ。  母が亡くなってしばらくして、ひとりでサイゼリヤに行った日に、恥ずかしいほどに泣いてしまった。  外食が好きな母は「サイゼリヤのミラノ風ドリアを食

06.17

最近ハマっていること。商談で隣町まで足を運ぶことが多くなり、その度にその街の好きなところを一つ持ち帰るようにしている。 それは何かを買って持ち帰るんじゃなくて、この街角いいな、ここいい匂いするなとか単純に頭の中で思ったことを持ち帰るようにしていて、それを一つ一つ集めていけばその街に住む誰よりもその街のことが詳しくなれるんじゃないかと思っている。 これが仕事の時間をせっかくだから楽しんじゃおうと1人で考えだした最近ハマっている小さな"遊び"だ。 そして今日。 街を歩いてい

「イケメン」はもうおしまい

「イケメンの時代は終わった。これからは○○だ!」みたいな記事ではない。 「彼はイケメンだよね」と外見をジャッジメントをする時代は終わった、という話である。 そもそも、日本人は他人の外見についてコメントしすぎていると言われている。久しぶりに会って「太った?」「痩せた?」を口火にして会話を始めることも、めずらしくはなかっただろう。わたしも「ちょっと痩せた?」ぐらいのことは言っていたかもしれない。でも、これからは、おそらく言わないだろうと思う。 数か月前、「イケメン」という表

そして、バトンは渡された

週末に購入したロース肉のパックが、本日消費期限を迎えていた。 「6月5日」という字面を見て、小学生の頃から付き合いのある友人の誕生日だったことを思い出した。 あの子がもう31か。 1ヶ月後には自分もその土俵に上がるというのに、しみじみと思った。 大型パックの肉を、少量ずつラップに包んで冷凍する手法は、社会人になってから行いはじめた。学生の時は毎日買い物に行けたし、それほど肉を食べていなかったからだ。 1つ塊を作ったところで、ラップがきれた。 そうだった。サランラップ