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来月でアプリゲーム事業部 桑原チームは解散します。

チームメンバーのみんな

プロデューサーの桑原です。すでに全体定例の場で先に口頭でも話をさせてもらいましたが、来月末をもって、アプリゲーム事業部 桑原チームは解散となります。それとともに、わたしもこの会社を去ることになりました。

わたしの力不足で、こんな結果となり大変申し訳ありません。わたしたちの作るゲームが好きだと言ってくれるファンのみなさんにも申し訳ない気持ちでいっぱいです…。

最後に言い訳がましく聞こえる人もいるかもしれませんが、いまの想いをここにつづらせてください。全体定例の場では話せなかった、桑原 個人の話です。

いまでこそ、プロデューサーというなんだか偉そうな肩書きをつけてもらっていますが、10年前、わたしはただ純粋にゲーム制作にあこがれる1人の学生でした。マリオやポケモンのような、みんなに愛されるゲームを「自分ならつくることができる」と無知からくる無駄な自信にあふれていました。

当時もゲーム業界の倍率は高く、わたしが通っていた専門学校だけでも数十人が同じ会社に応募していて、全体の応募者数としては数千人規模という大手ゲーム会社も多かったのですが、周りの採用候補者に負ける気はしませんでした。「楽しそうだから」なんて生半可な理由でゲーム業界を目指しているやつばかりだったからです。「プロのクリエイターの世界はそんな甘いものではない」と、自分もアマチュアのただの学生にも関わらず本気で思っていました。

ゲーム業界をこころざす就活生の間でよく話題にあがる「ゲーム会社に入るとゲームが嫌いになってしまうのでは?」という話。みなさんも一度はしたことあると思うのですが、そんな話をほかの就活生がしてきたときには「そんなの、ゲームへの熱が足りなかったからだ」と本人に吐き捨てたこともあります。あのころのわたしはゲーム制作に対して信仰じみた尊さだけを感じていました。

しかし、そんな志望していた大手のゲーム会社はすべて落ちました。周りの就活生が内定を決め、焦りを感じはじめたとき、拾ってくれたのが当時まだ数人のゲーム制作ベンチャーだったこの会社です。

学生にめずらしい無駄に高いプロ意識がベンチャーの空気感にハマったのか、就活生の間で空回りしている様を面白く思ってくれたからか、プランナー職としてこの会社に入社することが決まりました。いま考えるとほんとに巡り合わせなのですが、当時は新しい会社は見る目があるなんて思っていました。

入社してからは、がむしゃらに働きました。「ゲームへの熱量なら負けません」と新人のころから言い続けていたところ、変な熱血キャラみたいになって、いまでもそのキャラが抜けてなかったりもしますが。仕事では作品のためになることはなんでもやろうと、デバック作業や仕様書の整理からはじまり、一部のスクリプトも書くようになり、広報用の記事を書いたりもしました。それから数年経ち、プロジェクト管理などもまかせてもらえるようになり、受託で担当していた作品のいくつかが人気になると、やっとうわべだけだった自信に実力がともなってきたように感じていました。

そして今から1年ほど前。みなさんご存じの通りこの会社で初めて、自社オリジナル作品としてソーシャルゲームを制作することになり、わたしがプロデューサーという大役をまかされることになりました。当初は「ついに打席がきた。やってやる」というわくわくした気持ちでいっぱいでした。

制作から半年、満を辞してリリースされたゲームはほんとにユニークで、面白いものになりました。わたしたちのチームは解散となりますが、ゲームの面白さは他社に確実に勝っているといまでも思っています。しかし、どうしても事業を続けていけるだけの売上をあげることができませんでした。ゲームを事業にできなかった、これが敗因のすべてです。

「このままだと、わたしたちのゲームが終わってしまう」「なんとかしないと…」とチームメンバーのみんなや経営陣と何度も話しました。そのすえ、コンプリートガチャ機能、月額課金のプレミアムユーザー機能など、新しいマネタイズ手段の実装を急ぎました。そうして日をおうごとに、わたしの中のゲームづくりへのわくわく感は、「作品をここで終わらせたくない」という焦燥感へと変わっていきました。

あるとき、そんなわたしの切羽詰まったこわばった表情を見て、メンバーから「こんなつらいときだからこそ、楽しく仕事しましょう」と言われました。それに対してわたしは、「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう」と強い口調でぼそりと返しました。

またあるときは、会議の場で他のメンバーから「桑原さんは儲かるものが作れたら、それでいいんですか」と言われました。ショックでした。誰よりも作品のことを考えていたはずなのに。

メンバーにそう思われていたという事実だけでなく、その言葉が嘘偽りなく。「儲かるものを作らなければいけない」という考えに強く支配されてしまっている自分を自覚させてきて、ふがいなさでいっぱいになりました。

ゲームを終了させることが決定した今だから少し冷静になって振り返ることができていますが、作品が死なないようにともがき続け、寝れずに悩み続けているときは目の前のことしか見えなくなって、精神的にもぎりぎりの状況になっていました。メンバーのみんなには、ひどいことも言っていたと思います。本当に申し訳ありません。いまはいない、辞めてしまったメンバーにも謝りたいです。

先日、採用面談の場で学生から、「ゲーム会社に入るとゲームが嫌いになってしまったりしませんか?」という質問をもらいました。そのとき、わたしはこの質問に即答することができませんでした。

自分自身はいまでもゲームが好きだと断言できます。そこへの情熱は失っていません。ただ、チームメンバーのみんなにとってはどうだったのか。「ゲームを嫌いにさせる元凶はわたしだった」のではないかと思うのです。

・ ・ ・

それでもわたしはゲームをつくることをやめることはできません。これからも作り続けていきます。夢をあきらめられないんです。退社後、まずは桑原ひとりで新しいゲームを個人開発でつくってみようと思っています。

しばらくはゲーム制作にあこがれる1人の無職になりますが、たまに一緒にご飯にでも行って、暑苦しいですねといじり倒してもらえると嬉しいです。チームのみんなにはほんとに感謝しています。これからは競い合うクリエイター仲間として、あらためてよろしくお願いします。

桑原

※この話は、実話とフィクションを含みます。

ショートショート タイトル:
「来月でアプリゲーム事業部 桑原チームは解散します。」


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