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【Twitterまとめ】自分自身の過剰な不機嫌や二極思考との向き合い方

私、育った毒実家が「不機嫌を用いて他者をコントロールしようとする家庭」だった。毒実家からは逃げたわけだけど、自分自身にもその性質は染み付いてしまっていて、今もその傾向がストレスを強く感じると出る。今は自覚がある。

自分でも気を付けてるけれど『私が不機嫌なのは私の心の問題なので、あなたは責められていると感じなくていい』と一番被害を受ける可能性のある身近な人に話しておくしかない、距離を取って下さいと。それが改善のとっかかりかと考えている。

特に我が子には「大人も間違えることがある。」という点を教えてきた。外の世界でも理不尽はあるから、そんな時に自分を責めすぎないで欲しいと。現在は母親である私に対しておかしいと思った時には、子供が『おかしいよ』と話して良い。それは正しいことだし、お互いに話し合った方がいいと。子供のプライバシーをネット上で明かさないようにしてるんで細かく書かないけど、もう大きくて子供自身の人間関係の悩みもあるので、よく話す時間を持っている。

人の特性を改善するのは、一筋縄ではいかない。残念だし情けないけれど。そういう環境で育った人は、今までの経験で身に付いた間違った手法=コミュニケーションだと信じて気付けないタイプも居る。

その特性に自ら気付いたとて、パッとは変われないからトレーニングを積むしかなくて。「不機嫌コントローラー」みたいなタイプは、感情の調整が出来ないうちは相手との物理的距離を上手に使うのがいいという結論に達した。

自分がおかしくなってる感覚が分かるようになったら、自分から相手と距離を置く。黙る。いまおかしくなってるから黙りますと周囲に説明をする。周囲の人間も、そういう生物なので不機嫌にあてられた時に自分を責めることをせず、合わせ過ぎず、落ち着くのを少し待つ。

冷静になれた時に、何がトリガーで、不機嫌の元となる一次感情が何だったかの模索と、それを未然防止することが可能なら関わる人も交えてのルール決め。これを日常で繰り返していくことで、身近な人との関係性は改善していくと思って今取り組んでいるところ。これが正解かどうかはまだ分からないけれど、昔より風通しはいいよ。

こうして、自分が不機嫌を過剰に醸してしまう特性もある反面、周囲に不機嫌な人が居る場合に『自分が何かしてしまったのか?』と強く怯える面もある。周囲の不機嫌は自分の責任ではないか?と反射的に感じてしまうのだ。「人間が持つ不機嫌の発生源は何処なのか」を正しく理解していない。不機嫌は、トリガーになった事象があったにせよ、本人の心の問題だという事実を、長いこと知らずに生きてしまった。そのことには色々と後悔もある。今は他人の不機嫌も昔ほど、怯えなくはなってきた。内側も外側も、不機嫌を正しく扱うことを目指している。

昔、毒実家で育んでしまったものの中に「二極思考」という厄介なものもある。私の毒実母はこれが強烈だった。

心理学の分野では「分裂」と呼ばれるらしい。

もっと分かりやすいのはこの有名な漫画。

毒実母がどう考えても、境界性パーソナリティー障害の特徴に当てはまりすぎる人間だったが、精神科の受診はこの世で最高の屈辱という差別的思考を持っている人間だったので診断を受けてもらうことは不可能だった。実際どうなのか分からないけれど、境界性パーソナリティー障害の特徴が服着てそのまま歩いているような人間だった。人間じゃないかもしれない。怪物みたいに思ってる。

毒実母の二極思考はすさまじく、人間関係も常にどこかでクラッシュさせて何時でも孤立していく人だった。理想化とこき下ろし。背景も知らないのに少し自分の好みだったり優しくされると、相手を理想化して異常に褒めちぎる。そうかと思えば少しでも不愉快なことが発生すると、一気に態度を斑点させて、こき下ろしと攻撃が始まる。周囲を巻き込んで相手を潰そうとする。しなくてもいい「自己正当化」をし始めて、周囲がこの人ヤバイと気づく。そして誰も居なくなる。そんな人間が自分の親なものだから、私の身にもそれは常に降り注いだ。理想化とこき下ろしの連続、褒められた数分後には同じ内容を罵倒の材料にされている。毒実母のこんな他人との境界線がズブズブな面に生まれた時から振り回されて、これが世界の常識と誤解して途中まで育ってしまったのだから、私の今の認知の歪みもなるべくしてなってしまって仕方ないなぁと、最近は受け入れて理性で修正することを目標にしている。

思うこと、感じる事はなかなか治せないけれど、反射的に行動に移す部分は理性で抑制出来るから。まず取り組むべきは、歪んだ感情を言葉にしなことだ。

白黒思考、二極思考の人ってのは、会話の中でも常々「それは正しい/間違っている」とジャッジしてくる。私の毒実母は常にこれ。批判の嵐。私はそれが人とのコミュニケーションなんだと子供の頃は思っていたから、たびたび人を批判し過ぎて周囲に咎められた。〇か×かで物事を見る癖は、高校時代に先輩から強く指摘されたのがきっかけで、考えを改めるようになった。これは今の日常でも気を付けている。0か100で物事を測らないこと、間の1~99の範囲を認める事。

過度に否定されると思考より先に心拍数が跳ね上がる。言動行動に出さないようしばらく黙る。そこで言葉を発すると、自分が戦闘態勢に入ってしまって防御のための攻撃をしてしまうからだ。無益な怒りの感情の源は、自分の場合はこれだと確信している。その場に必要のない規模の「怒り」はパニック状態なのだ。他人に否定され続けて生きた人は、否定されることへのストレスが飽和状態で『認められたい』欲求が強すぎて壊れてる。ほんの一滴の批判や否定で、ストレスが溢れてしまう。思考より先に身体的になんか出るパニック状態を認識できたら、私は必ず情報を遮断する。

当たり前の事だけど。

当たり前の事が出来なくなるのがパニックなのよ。

暫く別の事してじっとしてる。意思とリンク出来ない身体症状が落ち着かないと考えるの無理っすよ。内側の感覚に耳をすます時間。種類は違うけど、人様の毒親エピソード見ると、フラッシュバックがキツすぎる時なんかも、対処はそれ。パニックだから。

この感じ方はおかしい。

私は大丈夫。

今はこう考えましょう。

現実はこれです。

空想の世界の不安に取り込まれるな。

という感覚を大切に。

批判的なツイートに心理的に引っ掛かりすぎる人は、自分の傾向に気を付けた方がいいと思う。ここも気を付けてる。自分に向けられた文章で、多少ミスリードを誘うような意味の分からんものを読むと、自分が悪く言われているのではないかと思ってしまって、後から何度も読み直して真意を確認してそうではないな?ということは結構ある。日常の小さな小さな、ごみのような間違った怒りの感情を少しづつ外に出さないトレーニング。反射的にものを書いては大体失敗する。(後からちゃんと訂正して謝るけど、出来ているかな?)

二極思考の人は世界の全てにおいて「自分」という意識が強いのではないだろうか。相手にも感情があること、相手は感情を自由に表に出すこと、という概念が抜け落ちてる。驚くほど。常に頭の中の主語が「自分」で支配されてるから、相手の感情を勝手に想像で補ってキレて憎んで襲ってくるとか、普通にある。何で?てなる。貴方の感情は、一体どこから湧いているのか。

THE BOOMの「おりこうさん」が頭に鳴り響いてしまって。YES NO YES NOいつも答えはYES NO。ハイかイイエで答えなさいって育つとこうなったりしない?中庸を認めてもらえない育ち方。

人間は育てられたように作られるから、感じ方がおかしいことを矯正しようとしても、正直無理だと思うんだよね。出来たとしても、いきなりそこ切り込むのはハードル高すぎる。まずは「歪んだ認知起因の間違った感情と、行動をリンクさせないようにする」だと、私は思ってます。これは、頑張れば出来るよ。擬態するんだ。黙っとけ、動くな。この行為をクールダウンっていうんだ。

反響の多かった自分のツイートを読みやすいよう、繋げてテキストとして残しています。(誤字脱字の修正と文章の微調整をしますのでオリジナルを改変しています。)

投げ銭を頂いたりしたら、嬉しさと興奮のあまりワタクシの鼻毛が伸びる速度が上がって大変な事になることでしょうね…。