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「当たり前」と「憧れ」でまとった服は、 あなたに適切なものですか?

「疲れちゃったんだって」

それは、同居人がつぶやいた”友達の近況”だった。
そうか、ちょっと様子がおかしいと思っていたんだ。
そういうことだったんだね。


疲れちゃった、っていうのは
「頑張った」ってことだと思う。

別に身体をすごく動かしたわけじゃなくても、
毎日を繰り返して「何もしてないよ」と自分では思っていても
何も思考しない日なんて訪れなくて、思考や発信、選択は時としてわたしたちから奪ってゆく。
時間、体力、気力、
名称や事象は様々だけど、わたしたちは何かを消耗しながら生きてゆく。

何もしてない、と思っても
日々起きて食べて、生きることだって疲れる。
わたしは「食べることは疲れるから苦手」と、いまでもどこかで思っている。
おひるごはんを食べすぎると眠くなってしまうし、ばんごはんを食べるときには基本的にすべてのタスクを片付けたあとにしている。



疲れちゃった、と思うそんなときには
あなたがまとっている、服の大きさを確認してみたらいいかもね。
そういう、チャンスやきっかけが、訪れたんだと思う。


わたしのまわりは時給で働いている友達も多いから、「月に●●万は稼がなきゃ!」とか、「お金はあったほうがいい」とか、
あと、みんないいやつだから「頼まれちゃったから」とかね。
結局、たくさん働いて疲れちゃったりするよね。
もしかしたら、不謹慎かもしれないけれど「風邪でもひいて休みたい」って思ってしまったことも、あったかもしれない。

自分自身も不自由なく、
そして、他人への思いやりも大切にして生きているとしたら
それは、簡単なことではない。
やさしいあなたの心は、ちょっとずつ疲れてゆくのだと思う。


もしかしたら、「こんなふうになりたい」と思って、頑張っているときかもしれないね。
あれもこれもやってみて、「まだ足りない」とか「まだぜんぜん」って、思っているかもしれないね。
「あのひとには遠く及ばない」、とかね。
あと「あのひとはもっと平気な顔して頑張っている」とか、比べちゃったりね。

理想のあの人は、もっとズタボロになっているかもしれないし、あなたより多くの睡眠時間を確保しているかもしれない。
平気な顔をしているように見えるのは、そういうふうに装っているのか、あなたよりもっと前から頑張り続けていることで、「頑張ることへの労力」を、少しずつ減らせているのかもしれない。
作業は繰り返してゆくほど、重みが少しずつ減ってゆくものだと思う。


あなたが「当たり前」とか「憧れ」でまとった服は、
ほんとうに、あなたに適切は大きさですか?


わたしのnoteの連続更新は、もうすぐ300日。
「書くこと」そのものが苦しいことはあったけれど、「書いたから疲れすぎてしまった」ってことは、なかったと思う。

それよりも、「月に4回動画を載せよう」と思っているYouTubeのほうが、苦戦しちゃう。
4回だけでいいんだ、と思ったら
じゃあ、作業は明日でいいや。と思う。
それを毎日繰り返して、先に進めない。

「毎日」のほうが、わたしには合っているかもしれない。
ここ数ヶ月、ずっとそんなふうに思っている。


ツイートやリプライをたくさんしている人を見て「わたしは足りないなあ」ってずっと思っていた。
憧れのあなたに、足並みを揃えようと思ったら、とたんに苦しくなった。
あなたみたいになりたいわたしもいるけれど、
わたしが着る服は、あなたに少しだけ似ていて、でもぜんぜん違う大きさで、それでいいんだと思う。
だってあなたとわたしは、起きている時間も寝ている時間も、食べるものも、大切にしているものも違うんだから。



あなたがまとった服は、「理想のあなた」に近づけてくれていますか?


わたしもね、何度でも問い正すよ。
「毎日noteを書いてるだけで、いい気になってるだけかもしれない」とか、何度も思った。
それでも、きっと書きたいわたしがいて、
すなおに「書きたいわたし」を大事にしてあげただけ。
もし、「絶対に書きたくないわたし」が顔を出したら、そのときはそのわたしを大切にするよ。


休みとサボるの線引きが、ずっと難しいね。


あなたの洋服が、あなたを守り
あるときはサボったっていい。
ずっと走り続けられない人生だから。


それでも、あなたが「頑張りたい」と願うときに
やさしい何かが、あなたを後押ししてくれますように。
あたたかくてやさしい服が、あなたをまとってくれますように。


今日もお疲れさま。
深く息をいてね。


あなたの行く先を、祈っているよ。





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