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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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#記憶

いつつの灯火

「もうすぐ、40だから…」 そう言った本人も慌てていたし、わたしもびっくりした。 だから、「もうすぐ」なのか、「次」または「春で」と言ったのか、わたしももう覚えていない。 ただ、目の前の人は「もうすぐ訪れる春、次の誕生日で40歳」になるらしい。 彼女とわたしの年齢差は、5。 わたしが彼女の年齢を何度忘れても、この数だけは覚えている。 あれ、あなたこのあいだまで35とか、6じゃなかったっけ? いや、おかしいな。 ああ、わたしはこのあいだ、そう、34になったんだ。 うん、そ

わたしの未来を生きていて

メッセージを開いたら、写真が届いていた。 誰かの顔のアップで、それが送り主でないことだけはすぐにわかった。 「誰だよォ」と思いながら、タップした3秒後には泣いていた。 顔を見た瞬間、ほんとうに、じわりと涙が滲んできた。 ほんとうに、久し振りに見る顔だった。 仲間内で話題になっても、「最近会った」という人はいつもいなかった。 それでも、懲りずに名前は挙がり、「元気かなあ」とか、「元気だろうね」とか、思い出話に花が咲いたりしていた。 久し振りの集まりに顔を出したということは

ある日、夕方の記憶

歩き始めて数分経ったら、チャイムが聞こえてきた。 平日、夕方5時の音。 この平日は、わたしにとって休日で、「散歩にでも行こうかな」と思っていたら、こんな時間になってしまった。 梅雨の湿気も、夏の暑さも得意ではなく、憎らしいと思ってしまうのに、日が長いのはちょっぴりありがたいと思う。 夕方5時でも、明るい世界。 だらりと過ごしてしまった日中の罪悪感は、かんたんに打ち砕かれてしまう。 夏至は、もうすぐだ。 * チャイムの音が鳴り終わった頃、ジャージ姿の中学生をすれ違った。 背

いつか、遠くへ行ってしまっても

昨日眠ってしまったのは、まくらのせいだ。と思っている。 実際のところは怠惰なわたしのせい、というのはわかっているんだけれど まくらの吸引力というか、新しいこのまくらは、もふもふしている。 使い古して、べたんとなったアイツとは、ぜんぜん違う。 包まれている、と思う。 それは、許されることに似ている気がした。 買ってよかった、と思う。 長年の付き合いのまくらを手放して、IKEAで500円のまくらを買ったのは、数日前の出来事だった。 ずいぶんと悩んだ。 いや、悩んでいた。

幸福の水曜日

子供の頃、水曜日が好きだった。 水曜日のために生きていた、と言っても過言ではない。 小学生の頃、部屋に放置されていた少年サンデーを盗み見していた。 あの頃はなんとなく「自分は読んではいけないもの」だと思っていた。 実際、”犬夜叉”に出てくる妖怪は、ちょっと怖かった。 小学校高学年とか、中学生になると、堂々と読むようになった。 なぜだか、そうなっていた。 毎週水曜日は、サンデーとマガジンの発売日。 わたしは、これを楽しみに生きていた。 毎週毎週、飽きもせず、凝りもせず、

2014年からの贈り物

「散歩をするといいよ。日のひかりを浴びるの」 そう言われたことを、いまでも覚えている。 そしてそのときのわたしが、ほとんど散歩をできなかったことも。 あのとき住んでいた中野の風景を思い出すと、いつも曇り空だってことも。 * 骨が折れていたときの話だ。 折れていた、というのは実際のところ比喩で、わたしの骨は”剥がれて”いた。 剥離骨折、というやつらしい。 ひどい打撲だなあ、と思っていたら、骨折していた。 1度目の病院のときに、骨折を見つけてもらえなかったのか、実際に骨

真空パックの呪い

音楽をやってきた、という言い方はしっくりこないのだけれど 誰かに経歴を伝えるときには、どうしてもこの言い方になってしまう。 実際、音楽をやってきたのだとも、うすぼんやり思っている。 大学では軽音部、 卒業してからはライブハウスに入り浸った。 そんなわたしのiTunesや、iPhoneの「ミュージック」アプリには、”友達の曲”というものが、存在する。 数はきっと、少なくない。 わたしの世代は、「CDを焼く」ことができるようになり、簡単にデモCDの配布もできるようになった。

まぶたの裏に、住む記憶

もうむりだ、と思ってベッドに潜り込む日がある。 眠い、と自分では思っている。 もう、身体も思考回路も限界だ、と思っているはずなのに、寝付けない夜がある。 身体は、もうなにもできない、と言っている。 それなのに、思考に火をがついたように、ぐるぐるする。 バランスを失っている。 だからもう、眠りたい。 眠るのが好きなのに、寝付きが悪い夜があるなんて、笑ってしまう、と思うわたしもいるのに 頭の中はなんだか一生懸命で、いろんなことが浮かんでくる。 必要なことはメモに残して、わ

エリンギカレーの思い出

協議の結果、晩ごはんはカレーになった。 「何カレーがいい?」と尋ねられたので、「ジャワカレー?」と答えたら、笑いながら「そういうことじゃない」と言われた。 「豚とか、牛とかあるじゃん」 なるほど。 カレーを作る人は、そういうことを考えるのか。 カレーってなんでも美味しいから、なんでもいいんだけどな。 そういうことじゃ、ないんだろうな。 「スーパーの安いお肉カレーでいいんじゃない?」 「それだ!」と力強い返事が返ってきた。 * 「豚バラと、あとエリンギが安かったから

重さって、何で決まると思う?

「理科が、U先生の担当になったら、すぐおいでね」 中学入学前、塾の春期講習に通ったときだった。 小学校6年生と、中学生のあいだの春休み。 確か、兄がそのタイミングで通っていたので、なんとなくわたしも行くことにした。 U先生というのは、変わったおじいちゃん先生だという。 採点や評価の仕方が独特で、塾の生徒でもU先生に困った先輩が多かったらしい。 まだ見ぬU先生、そして中学校への期待と不安を募らせて、わたしは春休みを終えて、塾も辞めた。 * 中学1年のとき、理科の担当は

「タイムカプセル」、そして「思い出」

座る場所を、探していたのだと思う。 それは「どうぞ」と、”用意された”席で、誰かに与えられるものだった。 誰かに、与えて欲しかった。 そこに座っていていいよ、と言われたかった。 あなただけの席、わたしだけの席。 わたしは、誰かに必要とされたかった。 わたしは、誰かに裏切られたわけではない。 でも、ずっと同じ席に座り続けることは、できなかった。 環境も変われば、あなたもわたしも変わった。 居心地が良い、と信じたーーー信じたかったその椅子は、気づいたら堅く、凍りついていた。

音が連ねる記憶

今日はもうダメだ なーんて思うことは、よくある。 度合いは違えど、めずらしくない。 そんな夜 同居人がいないときは、大音量で好きな曲を流す。 今日は、アニメ「うたわれるもの」の歌集を選んだ。 なんとなく、Suaraさんの声が聞きたくなって アニメ「うたわれるもの」は、最近になって履修した。 親友、と呼んでくれる男が、勧めてくれたアニメだ。 「これは、人生で影響を与えてくれたアニメのひとつだ」 「君に、ぜひ見て欲しい」と強く推された。 この男は、軽音部の先輩で、いまとな

わたしの一部をあなたに、預けます。

わたしは、すぐに忘れる。 上澄みをかすめるように、生きているような気がしている。 物事を、深く咀嚼できないような ふわふわとかるい、その代わりにほんの少しの明るさで、足先を照らしている。 そうして、なんとか呼吸をする。 「無職のあいだにはアニメを見ている」と話したのに、 「なにを見ていたの?」と訊かれて、答えられるタイトルは少なかった。 たぶん、実際に見たものの3分の1くらいだと思う。 そんなふうにわたしは、すぐに忘れてゆく。 むかし、母親が「読んだ小説の内容を忘れる」

「希望というのは、過去とか未来じゃない。いまここにあるんだ」

ちょっと昔のことを調べなきゃいけなくなって 過去のTwitterとか、LINEをチェックしていた。 もう、恥ずかしくて死にたい… 2012年とか、2013年とか、なんかもう別人… 昔使ってた鍵付きのTwitterアカウントとか恥ずかしすぎる… (もう何年も使ってないです。いまは、NintendoSwitchのスクリーンショットを受け取る専用で利用してます) なんであんなに、中二病まっさかりだったの? 20代だったのに… いまとは、人物相関図みたいなのも違っていて、ちょっ