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幸福の水曜日

子供の頃、水曜日が好きだった。
水曜日のために生きていた、と言っても過言ではない。

小学生の頃、部屋に放置されていた少年サンデーを盗み見していた。
あの頃はなんとなく「自分は読んではいけないもの」だと思っていた。
実際、”犬夜叉”に出てくる妖怪は、ちょっと怖かった。

小学校高学年とか、中学生になると、堂々と読むようになった。
なぜだか、そうなっていた。

毎週水曜日は、サンデーとマガジンの発売日。

わたしは、これを楽しみに生きていた。
毎週毎週、飽きもせず、凝りもせず、わたしはふたつの雑誌を持って部屋にこもった。
大工だった父親は、部活や生徒会をやっていたわたしより帰りが早いことが多く、水曜日ばかりはすぐに父の部屋に駆け込んだ。
「おれだってまだ読んでないのに」と文句を言われたときは、1冊ずつ借りた。

ほんとうは父が、「週刊少年マガジン・サンデー」よりも、「月刊ジャンプ」のほうが好きだったと知ったのは、ずいぶん後のことだった。
いつの頃からか、わたしのために週刊誌を買ってくれていた、と言っていた気がする。

漫画が、唯一父親との「共通の趣味」だった。
「あいつ死んじゃったよ、信じらんない!」とか、
「今週のアレすごかったよなー」とか
他愛のない話を、時々していた。

わたしの心の何割かは、いまでも少年誌で出来ていると思う。

何度も歯を食いしばって、何度も泣いた。
同年代の少年たちが戦い、葛藤し、乗り越えてゆく姿が、わたしの希望の全てだった。

大学生になって上京すると決まったとき、いちばん不安だったのは「サンデーとマガジンが読めなくなること」だった。

そのふたつは父親が買ってくれるもので、上京後のわたしは自分で買おうとは思わなかった。
仕送りでやりくりしなくてはならないし、部屋も狭いし。
当時のわたしには、いろんな理由があったんだと思う。
あれから、週刊少年誌は一度も買っていない。

それでも不思議と、
ほんとうに不思議と、今日まで生きてこられたし、10代の色濃い記憶「水曜日のために生きていたこと」は、いまでも忘れられない。

今日、本屋さんで久々に週刊誌を見て、そのことを思い出した。
ああ、そうだ、そうだった。
大好きで幸福な水曜日があった。
いまでもきちんと、心の奥に根付いている。

わたしはいまでも、探している。
幸福の水曜日の答え、を。
探し続けていたい。

わたしには、かっこいいファンタジーも、スポーツものも書けないけれど
あのとき、「水曜日があるから生きられる」と思えた幸福を、どうにかして伝え続けたい。
わたしはそう、願っている。

わたしが紡ぐのは、本当にささやかな日常だけれど
あの日、わたしの心が揺れたように、水曜日に育てられたわたしが、次の誰かの心に触れられればいい。

「そんなにたいそうなものは書けない」と、最初から諦めたりしないで。
わたりなりに、今日も明日も、言葉を紡いでいきたい。
幸福の水曜日に近づきたい、と思っている。






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