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エリンギカレーの思い出

協議の結果、晩ごはんはカレーになった。

「何カレーがいい?」と尋ねられたので、「ジャワカレー?」と答えたら、笑いながら「そういうことじゃない」と言われた。

「豚とか、牛とかあるじゃん」

なるほど。
カレーを作る人は、そういうことを考えるのか。
カレーってなんでも美味しいから、なんでもいいんだけどな。
そういうことじゃ、ないんだろうな。

「スーパーの安いお肉カレーでいいんじゃない?」
「それだ!」と力強い返事が返ってきた。



「豚バラと、あとエリンギが安かったから」
スーパーから帰ってきた同居人は、たくさんのエリンギをザクザクと刻みながら、そう言った。

白くて、大きなエリンギを、わたしは見つめる。
そうしてひとり、笑いだしてしまった。

エリンギカレーには、思い出がある。
何度思い出しても、幸福な記憶。



もう、10年以上前のことになる。

詳細は思い出せないのだけれど、なぜか兄のように慕っていた友人が、カレーを届けてくれたことがあった。
なんで、兄とやり取りをしていたのか思い出せない。
どうせ、「カレー作った」なんて会話の最中に、わたしが「食べたい」と言ったに違いないんだけど、全然思い出せない。
兄が、手作りの料理を持ってきてくれたのは、その一度きりだった。

青い蓋のジップロックに詰め込まれたカレーが、兄と一緒に届いた。
あのときはみんな、大学の近くに住んでいて「いまから行くよ」とか、「いまいる?」とか、「ポニョを一緒に見ない?」とか、ずっとそんな感じだった。

そしてみんな、貧乏だった。

貧乏風、だっただけかもしれない。
大学生になれて、バンドもできる金銭的な余力は持ち合わせていたから、今思えば「貧乏風」という言葉のほうが、よく似合う。
ペヤングの大盛りとか、松屋の牛丼ばっかり食べていた。
兄も、漏れなく貧乏だった。

カレーのジップロックを手に持ちながら、兄はこう言った。

「お肉が買えなかったから、代わりにエリンギ入れといたよ」



いまでもときどき、その言葉を思い出す。
あの部屋と、あのときの暮らしを、なぜだかたったひとことで語ってくれているような、そんな錯覚に陥る。
肉なしの、エリンギカレー。

味は覚えていないから、とにかくフツー、”フツーに美味しかった”んだと思う。

わたしにとっては味よりも、兄が来てくれたことと、「お肉の代わりのエリンギ」が、なんだかすごく大切に思えている。



もう、肉なしのカレーは食べない。
あのときより少しだけ、金銭的に余裕ができて、わたしたちはあの頃より、ちょっと遠くまで来た。

懐かしいね。
ウィルキンソンのジンジャエールをはんぶんこした、あの頃。
駅前の花壇で朝まで話し込んだ、あの夜。
これからどうしようか、なんて。当時のわたしたちなりに、まじめに交わした言葉。
充実しながらも、何かが足りなくて、何かに怯えていた、わたしたち。

覚えているよ、大丈夫だよ。
生きているよ、あの頃のわたしも。
あのとき語った夢の形を、忘れてしまっていても。
あの日みたいに、もう朝まで語ることができなくても。

カレーの中のエリンギは、あのときの記憶を連れている。
さあっ、とあの街まで、連れて行ってくれるような気がしている。



【photo】 amano yasuhiro
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