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重さって、何で決まると思う?

「理科が、U先生の担当になったら、すぐおいでね」

中学入学前、塾の春期講習に通ったときだった。
小学校6年生と、中学生のあいだの春休み。
確か、兄がそのタイミングで通っていたので、なんとなくわたしも行くことにした。

U先生というのは、変わったおじいちゃん先生だという。
採点や評価の仕方が独特で、塾の生徒でもU先生に困った先輩が多かったらしい。

まだ見ぬU先生、そして中学校への期待と不安を募らせて、わたしは春休みを終えて、塾も辞めた。

中学1年のとき、理科の担当はU先生になった

黒縁メガネのおじいちゃんで、ニヤッと笑うのが特徴的だった。
確かに、変わっていると言われる雰囲気を醸し出していたと思う。

まず、理科のノートの外側数センチの部分に縦線を引かされる。
そして、何か「正解した」ときには、先生からハンコがもらえるという制度だったと記憶している。

理科の成績がどうだったかは覚えていないけど、わたしはその後、同じ塾にお世話になることはなく、U先生のこともなんだか嫌いになれずにいた。

「重さってのは、何で決まると思う?」

ある授業で、U先生はみんなに尋ねた。
クラスが一瞬、しんとなる。
そして、わたしは答えた。
なぜだか圧倒的に「これだ!」と思う回答が浮かんだ。

「重さは、”見た目”で決まると思います。
 見た目で感じた重さより、実際に持ったときに重ければ、重たいと感じるはずです」

その逆も然りである、とわたしは説明した。
いま思えば、「”重そう”と思ったものが、”想像より重い”」という回答もあるので、これは正解ではないだろう。
なにより、理科の授業で正解になる答えではない。

U先生は「違う」と、ニヤッと笑った。
いつもみたいに。
そして、少しだけ驚きながらも、楽しそうに。

このときのU先生の回答を、わたしは覚えていない。
質量がなんとかで、「なるほど」と思ったような記憶はあるけれど、わたしはいまでも、わたしの回答が「ある意味に於いては正解である」と信じている。

持ってもいないのに、「重い」と決めつけて、持ち上げていないものがある。

おとなになったわたしは、そのことを噛みしめる。
「行動を起こす前がいちばん不安で苦しい」ことを、もう理解している。
もちろん、やってみたら「けっこう大変だった」と思うこともあるけれど、やっぱりそれは持つ前に感じていた、ずっしりとした重さとは違う。
行動を起こせば、手を動かせば、いずれ解決する。または、解決に向かっているという事実の重みは、すこやかなような気がしている。

とりあえず持ち上げてみよう。
無理なら、触って形を確かめよう。

「未知への恐怖」は、かんたんに人を支配する。
または、「形ない未来への不安」とか。
自分の中に「恐怖や不安を解消するソース」みたいなものがないので、未解決の暗闇が積み重なるばっかりだ。

持ち上げてみようと触れることで、形がわかる。
思ったより、ざらっとしてるとか、案外やわらかいな、と知る。
そして持ち上げてみる。
無理だと思っていたのに、ちょっと浮いたりする。
あるいは、いけるような気がしたのに、ちっとも持ち上がらないこともある。そんなときは、ショックというか、笑ってしまう。

そして、どんな回答であっても「持ち上げようとする前」より、ちょっとすこやかな気持ちになる。
わたしは、そんなふうに思っている。


「未知への恐怖」は当然ある。
でも、不貞寝にも飽きたそのときには、ちょっとだけ触ってみよう。重さを確かめてみよう。

きっと、脳内で膨れ上がった重さとは、違う回答がある。
わたしはもう、自分の思い込みに騙されすぎない。

確かめるまで、重さっていうのはきっと、わからないものなんだ。




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