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日本サッカーは衰退するのか ~安彦氏の記事に寄せて~

水戸ホーリーホック、YSCC横浜と在籍した異色の120円Jリーガ安彦選手が、引退にあたって下記のような記事をしたためている。
以下、記事の内容を引用する形で検証(というほど偉そうな内容ではないのだが)を加えてみたい。

誤解を恐れず伝える 日本サッカー界は衰退していく

では具体的に、日本サッカー界の衰退とは何だろうか。

①競技人口(率)の減少
②Jリーグの観客減少
③日本代表の弱化

①に関しては日本全体の人口が減少に転じる中で、単純に総数で比較するだけは統計的に有用なデータは得られないので、率という概念も併記した。

これらは複雑に相関しあっており一面だけ切り取って論ずることはできないが、安彦氏がスポットを当てているのは主に②に関してである。

これからの日本サッカー界は衰退していく。それは今まであぐらをかいてきた協会関係者やクラブ関係者、そしてサッカーさえできていればいいと考える選手とテクニカルスタッフ。

表には出さないだろうが、少なくとも協会関係者は焦っているのではないだろうか。最近の代表人気低迷傾向に加え、国際試合そのものがコロナ禍でままならなくなり、収益面に大きな影響を来していると想像される。

もちろん代表強化だけが協会の仕事ではなく、グラスルーツにおける普及活動という地道な役割も欠かせない。先日私が取得したD級コーチライセンスも、グラスルーツにおける指導者の育成を主眼としている。この点においても現状のままでいいのか、絶えず検証が必要である。

クラブ経営は厳しくなり、お願い営業ばかりのスポンサー集めは限界を迎えた。そして、選手の意識はプロフェッショナルと思えないところまで沈んでいった。一連の不祥事は日本サッカー界そのものを表していると思う。

お願い営業というのは、スポンサーに対してメリットを定量的に提示できないことを指す。
安彦氏は水戸→YSCCと渡り歩いてきたから、少なくともこの2クラブに対して抱いた感想なのであろう。
ただ、最近の水戸の営業姿勢を見ると、きちんとクラブの価値というものを提示していて、少なくとも一方的なお願いに終始しているようには見えない。

選手の意識については…まあ心当たりはあるかな。

以前、研修で訪れたドルトムントでは、10歳で人生のABCプランを立てさせる。そのうちのひとつにサッカーではない仕事を想像させる。
(中略)
人生のABCプランを立てさせることで、サッカー選手ではない自分を想像し、その結果ドルトムントのスポンサーになるという流れができているようだ。

ここまで先のことを考えて育成に投資しているとしたら慧眼というほかはない。日本でもそういう事例は皆無ではないだろうが、あくまで偶発的なものでクラブがそこまで狙っているところはごく少なかろう。

イタリアなどもそうなのであるが、プレーヤーの多くは割と早い段階でプロになれるかどうかの見切りをつけ、他の手段で生計を立てていくことを決心する傾向があるという。
だからといって、そこでプレーをやめてしまうかと言ったら決してそうではないところがポイントで、そこに「サッカーのすそ野の広さ」の鍵が隠されていると思う。

人生設計とはまた異なるが、日本でも人間形成を売りにしているクラブ・部活は多い。部活の場合は学校教育の一環で行われている建前があるから尚更である。大多数のプロになれない選手を、サッカー馬鹿のまま世に放つわけにはいかないからである。

しかし中には単なる宣伝文句で終わっていたり、甚だしい場合には理不尽な指導の正当化の口実として利用されている面もあり、決して額面通りに受け取れない。

日本では「夢は大きく持つべきだ」という価値観が幅を利かせており、可能不可能はさておいてとにかく限界まで夢に挑むのが美徳とされる。実際にプロになれるのはほんの一握りであることは知識として分かっていてもである。

したがって、プロになるのをあきらめた途端に競技に対するモチベーションが低下し、そうした人間に対する受け皿も十分とはいいがたい。こうした選手のサッカーに対するモチベーションをいかに維持し、受け皿を作るかが、日本サッカーのすそ野を広げるための課題なのではないか。あくまでトップレベルの選手を輩出するのに最適化し、それ以外の現場が置き去りにされている(ように見える)のが日本の、特に2種あたりにおける育成の実態ではないだろうか。


サポーターが増えないのはサポーターの問題。ファンが増えないのは選手の問題。スポンサーが増えないのはクラブの問題。チームが勝てないのは監督の問題。

綺麗に一対一の構図が出来上がっているが、果たしてその通りなのだろうか。

特に勝てない理由についてはクラブのサポート体制も重要で、例えば(時にはメディアまでも巻き込んで)背後から監督の足を引っ張るようなクラブはいつまでたってもタイトルに縁がない。そういうクラブの監督はお気の毒というほかはない。(某クラブでは「〇〇の敵は○○」などという至言もある。○○にはクラブ名が入る)

サポータにしてもそうだ。コアな人間とクラブの中の人の癒着が腐敗の原因となっているクラブもある。集客にマイナスと判断するのなら、クラブの側から癒着の手を断ち切ればよいのだ。

そう考えると、やはり第一義的にはクラブのあり方にかかっているのだと思う。


サッカーはメジャースポーツだが、日本サッカーは本当にメジャースポーツなのだろうか。

4種(小学生)あたりのサッカー人口が他の種目を凌駕している現状は変わりはない。
しかしプロであるJリーグになると、興行面でプロ野球などに水をあけられている。
地域差はある。ごくまれに、後発のバスケに凌駕されている地域も散見される。

何が原因なのだろうか。
Jリーグの在り方もさることながら、初めてサッカーと触れ合う4種から大人に至るまでの間である2種(高校)や3種(中学)の在り方にも何か重大な問題点が潜んでいるのではないか。
そういう幅広い視点からのアプローチが必要かと思う。


サポーターはもっとサポーターが増えるためにコミュニティーのあり方を学ぶべき時代となっている。

この「学ぶべき~」って、Jリーグ特有の面倒くささだと思う。
非日常を求めて発散しに行くだけの存在のために、いろいろ学ばなきゃならないのか。
それこそが一見さんを遠ざけている大きな原因なのではないか。
もちろん、古参サポのマウント取りも「学ぶべき~」に含まれることは肝に銘じなければならない。
来るものは拒まず、去る者は追わずでいいんじゃないかな。

サポーター同士濃密につながっていなければならない、的な価値観に(たぶん)コミュ障の私は鬱陶しさを感じる。


まとめ

いろいろ散発的に記してきたが、日本サッカー衰退を食い止めるために取り組むべきことは、Jクラブだけでなく、その下のすそ野を支える育成も含めて考えなければならない課題であることは間違いない。

最後に私事で恐縮だが、私のようなサッカーに関して特殊な経緯(経歴ではない)を持った人間でも、日本サッカーを支える一員としての実感が持てる環境が、今後の日本サッカー界に醸成されれば本望である。

年齢を厭わず新たなことにチャレンジするという点では、私自身、安彦氏に学ばなければならない点も多いのではないかと思っている。


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