お金の使い方に文句を言われたら。
「表現の自由」だと説明しよう。
人のお金の使い方に文句をいうことは多い。
日本人に限ったことではないが「卑しいもの」という感性が強い文化だと顕著ではないだろうか。
今回はいわゆる浪費とか散財についてではなく、投資・資産運用・寄附に限定している。投資・資産運用についてはNISAの普及によって20代~30代は感覚が急激に変わってきている。私も資産運用も投資もして、友人らも同じだ。
しかし、寄附はどうだろうか。
例えば芸能人が寄附・ボランティアを行う記事を見れば「偽善者」「売名行為」と罵るコメントは必ずある。その光景は日本文化圏で育てば察するとは思える。
私は少額だが近隣の児童関連施設に寄附をしている。いつも「何故?」と聞かれるので書くと、ボランティア精神のような感性が自分には全くない。だから逆に関心が湧いて寄附しているに過ぎない。それでいいと思うし、少なくとも文句だけで何もしない方々よりは。
お金とは表現だ。
私と違い目的意識を持って活動をする人々もいる。海外だと団体も設立する人もいる。その文化圏を調べてみると、特に米国ではお金をどう使うかは個人の自由でありアートの様に「表現の自由」だという。
「表現の自由」がお金に結びつくという感覚は日本人にはほぼないハズ。でも、これによって偽善だのいう話を跳ね除けられる。私自身の行動も「分からないというものを寄附ということで表現した」とも言える。
自身の表現に他人が文句をいうのは、個人の信条を侵害するものでしかない。
お金をどう使うかで自分をぜひ表現して頂きたい。
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