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【2020.11.15】「勉強しない。」子どもに対して「勉強しなさい!」ということは、本当に有効なのか。

これは、もやもや研究所行きの記事です。

ということは、何の明確な根拠もないということ。確かなのは、僕の日々の実践の中にある事実だけということです。気を付けて読んでいただきたいのは、事実なんだけど、僕のバイアスがかかった見方だということ。

正しいとか正しくないとかではなく、「きっとこうするのが良さそう。」という思考錯誤段階です。
#もったいぶって有料記事にするなよ
#いつ答えが出るのかが謎

▶「勉強しない。」子どもに「勉強しなさい!」と言う必要があるのか。

いつかの記事にも書きましたが、教師が病む理由は、

「子どもの無関心。」

です。

危うく退職しかけた数年前。退職動機は、まさにそれでした。

スタート①問いかけても誰も反応してくれない。
    ②必然的に自分が話す時間が増える。
    ③「良い授業」は、子どもが「主体的・対話的」な授業だと実感。
    ④「できていない。」という思いをしっかりと心に刻む。
    ➄「何とかしたい!」と思い必死に授業づくり。
    ⑥対策を講じて授業実践。
    ⑦スタートへ戻る。

ひたすら、これの繰り返し。ゴールは、「療休」そして「退職」です。
#自分は 、ぎりぎりセーフ。
#退職を願い出たのは 、実は2回目。
#1回目は 、教師になって3年目。
#結構 、辞めようとしているんだね。

最初は、「日々、授業改善していけば必ず!」と気丈に振る舞っていたのですが、さすがに「無関心フィードバック」を受け続けることはきつかった。何がきついかというと、「子どもとのやりとりがない授業。」を続けるということです。
#教室に1人かと思ったよ
#座っている子どもたちは幻なのかと思ったよ

最初から、講義型であれば話は違ってきたのでしょうが、僕は、「子どもに話をふって、そこから始めていくタイプ。」の人間です。何も言葉が返ってこないということは、授業が始まらないということと同義です。
#「授業を始めない。」という方策も実験済み。
#「始めないなら始めないで良い。」という反応で自爆。
#自分でやっておいて傷つくガラスのハート

しかし!しかし! 僕も人間。どんな状況に置かれても何かしらの学びをしてくものです。

「この1年間の経験があるからこそ今がある。」

のです。

のほほんと過ごしていた教員生活から一転。

顔面をぼこぼこに殴られ、瀕死の状態から何とか目を開けた先に、

「このままでいいのか。」

という問題意識が光り輝いていたのです!!

それからというもの、ありとあらゆる「価値観」が見直されました。その1つとして、本記事では、

「勉強をやらない子どもに、『勉強しなさい!』と言うべきか。」

という話題を記録として残しておこうと思います。

▶大切なのは「子ども」であり、教師の一時的な感情ではない。

いっつも、本当にいっっつも。これは、教員になったときから、そう。右も左も分からないときから、生意気なことにこう思っていました!!

言うまでもなく、

「教育は人。」

です。

「どのような教師と出会うか。」で子どもは変化します。

理想とか綺麗ごと無しで言うと、

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