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築90年の邸宅リノベに、DIY参加して変わった「仕事と暮らしへの向き合い方」(前編)~ハンディハウスプロジェクト10周年インタビュー vol.2

今年、結成から10年になる、ハンディハウスプロジェクト。

建築家やハウスメーカーが家の間取りやデザインを決めていくのではなく、住む人が自分好みで決めていけるように。「どんな家にしようか」という最初の妄想から作る過程まで、住まい手となる施主と、一緒に作業をしながら家づくりを楽しむ。「世界にひとつだけの家」が完成したときに、喜びとともに家への愛着も自然とわいてくるはず。そう信じて、私たちたちは、「妄想から打ち上げまで」を合言葉に、“施主参加型の家づくり”を提案してきました。

※ハンディはお施主さんが中心となって家づくりを進めるといった考えに基づいて、お施主さんを「プロジェクトオーナー」と呼んでいます。

ハンディ流の家づくりを行なったプロジェクトオーナーさんたちの暮らしに変化はあったのか!?オーナーさんに会いに行って直接聞いてみる本企画。第2回目は、2015年に、築90年になる逗子の邸宅を改修した塚越さんご夫婦と、担当したハンディメンバー加藤の対談です。

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塚越暁さん、園生(そのを)さん(写真左から2番目、3番目)
暁さんは、逗子の山の中を活動拠点とし、“大人も子どもも思うままに遊ぶこと”を提案し企画する「原っぱ大学」を主宰。ハンディのビジョンに共感し、原っぱ大学の子どもたちとハンディが一緒にものづくりを楽しむ企画も行ってきた。そんなとき、暁さんの曾祖父がかつて住んでいた築90年の邸宅を、自らが「住み継ぐ」ことを決断。園生さんも暁さんの思いを尊重し、2015年、ハンディ他、住宅医を含む3チームに、耐震補強を含むリノベーションを依頼する。

加藤渓一(写真 右から1番目)
ハンディハウスプロジェクトの立ち上げメンバー。意匠設計がバックグラウンドなので、作ることだけでなく、デザインやアイディアを大切にしています。自分の頭の中にあるイメージを自分の手で作るのが快感。

四ツ屋卓身(写真 左から1番目)
2020年、大学卒業。 設計/施工/クライアントの関係がフラットな家づくりのスタイルに惹かれ、ハンディハウスプロジェクトに参画。「つくること、考えること」を大切に、ていねいな暮らしの実現と手触りのある居場所づくりをしていきたい。

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暁さん:ハンディも10年なんだね。早いっすね。

加藤:おかげさまで、メンバーも21名になったんですよ。

園生さん:え?21人?それはすごい!

暁さん:初めてここに来たときのこと覚えてる?

加藤:覚えてますよ!すごく立派なおうちだなってびっくりしました。古いんですけど、家の状態はめちゃくちゃ良かった。誰が設計した建物かは初めは知らなかったんですけど、きちんと設計された建物だってことが、ディテールとか、色んなところからビシビシ感じられました。こんな家を手がけられることはなかなかないので、ワクワクしてましたよ。
(後に現在の意匠を作ったのが、清水建設や水澤工務店だということがわかった。)

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「逗子の家」
読売グループの創始者、正力松太郎(しょうりきまつたろう)氏がかつて住んだ「逗子の家」。築90年の邸宅は正力氏が亡くなった後の半世紀ほど空き家となっていた間も、関係者が代わる代わる掃除を行い丁寧に保存されていた。やがて相続問題が訪れ、解体か残すかを親族間で話し合われ、正力氏のひ孫にあたる暁さんが、「住みながら残す」という決断をした。

最初から“住む”選択はなかった 仕事と私生活で起きた違和感がきっかけに

加藤:住んでから5年ほど経ちますが、住み心地はどうですか?

暁さん:快適だよ。

園生さん:すごく気に入っていて居心地がいいですよ。特にここのキッチン。ここガラスにして正解だった。

ーー新しいような古いような、和風のようで北欧住宅のような趣もある。落ち着きますね。

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(写真)園生さんがこだわった、キッチンと廊下の間の鉄とガラスの扉

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(写真) キッチンから和室、庭に向かう眺め。和と洋が織り交ざった空間となっている。

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(写真)ハンディがリノベーションを担当したキッチン

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(写真)リノベーション前のキッチンは光がほとんど入らなかった

ーー初めはここに住む予定はなかったんですか?

暁さん:なかったですね。以前は、逗子駅前の新築マンションを購入して住んでいました。でも、原っぱ大学という大人も子どももどろんこになって遊ぶ活動を始めてから、段々マンション暮らしが合わないなと思い始めて。山や海で思い切り遊んだ後に帰宅するとき、オートロックの扉を開いて、3階にあるうちまでどろんこの足跡が続いていた(笑)。

園生さん:その足跡が、犬の糞だと思われて苦情が出たりとかし始めて(笑)

暁さん:当時会社員だったころに買ったマンションだったんですけど、僕が生まれ育った田舎町に住んでいるのに、オートロックのマンションに暮らすと、子どもの友達も気楽に遊びに来られなかったりして。自分の幼少の頃とか、原っぱ大学で大事にしていることとかと比べて、なんか違うなっていうのがずっとありました。

ーーなるほど。暁さんは、子どものころ、この家や近くの祖父母の家で過ごすことが多かったって言ってましたね。確かにマンションとは違う。

暁さん:そうなんです。そんなときに祖母が亡くなってこの家の相続の話になったんです。

ーーいよいよですね。

暁さん:最初はそれこそ、民泊にしたりレストランにしたりと色んな方法を検討しました。でも、生まれ育ったこの静かな地域に、お店やウェディング専門の建物を作るとかっていうのは、近隣との兼ね合いもあってありえないなと。それで、壊すか残すかを考えているうちに、ふと「住んじゃえばいいんだ」って思いついたんですね。

ずっとハンディと一緒に家を作ってみたかった

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ーーこの歴史ある邸宅のリノベーションを、なぜハンディに頼んだんですか?数多ある会社からわざわざ選んで(笑)。

加藤:それでこそ、6年前なんか、まだDIYが一般的ではなく、怪しい集団でしたよ(笑)。

暁さん:そうですよね(笑)。父にハンディとやるって言ったら、猛反対を受けましたよ。そんなよくわからん連中に任せて大丈夫なのかって。でも、どうしてもハンディとやりたかった。

園生さん:ハンディのことしか言ってなかったよね。ハンディとやりたいからこの家残すことにしたんじゃないかと思うくらい。

加藤:そうだったんですか!

ーーいったいハンディにどんな魅力を感じたんですか?

暁さん:ハンディと知り合ったのはマンション暮らしの頃でしたが、住む人が手を動かして一緒に家を作っていくっていう発想がなんて面白いんだろうと、ハンディの考え方に心惹かれていました。いつか自分の家もハンディと一緒に作りたいという思いがずっとあって。今でこそ、木加工だったら何でもできるんですけど、当時はインパクトドライバーも使えなかった。丸ノコなんて怖くて仕方なかった。でも、ハンディと一緒に手を動かして家を作るっていうことにすごいワクワクしたし、それを自分の子どもたちと一緒にできたらいいなと。息子が小学生のうちにやりたいっていう思いがすごく強かった気がする。ハンディとやることは譲れなかった。

ーーそれで、念願のハンディとの家作りができることになったんですね。

暁さん:そうなんですけど…。猛反対した父が何を一番心配していたかというと、耐震でした。残すのはいいんだけど、つぶれて死んだらシャレにならないって。父はゼネコン出身の設計士だったこともあり、とても心配してました。

ーーで、どうしたんです?

暁さん:家の状態をきちんと調べて改修の指揮を取ってくれる「住宅医」という専門領域の方にお願いすることにしました。

加藤:耐震も調べてもらったら、通常よりも大幅に下回っていましたよね。

暁さん:父も、住宅医の小柳さんの調査レポートを見て納得してくれたので、ハンディと小柳さん、数寄屋建築などを手がけ、木造建築を得意とする鯰組と、中高層木造も手がける木構造を専門領域とする桜設計集団の4チームでこのプロジェクトがスタートしたんです。

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(写真)住宅医による家の状況調査

「逗子の家」プロジェクトメンバーと役割
・小柳理恵さん(和温スタジオ):住宅医として壊さずに既存を読み解き、適切な改修方針を導き出す。
・実力派大工集団の鯰組:耐震改修と既存の復元。
・桜設計集団:構造設計者として木造中層建築も手がける。
・ハンディハウスプロジェクト:プロセスに施主を巻き込み新しい居場所を共に作る。

歴史ある建造物を自分好みの家に 祖父母との思い出を移植

ーー暁さんが気に入ってる場所はありますか?

暁さん:実はこの家には思い入れはそこまでなかったんです。曾祖父の法事のときに来るくらいの家だったので。幼少の頃は、ここからすぐ近くにあった祖父母の家でよく遊んでいて、その家のほうがものすごく思い入れがあった。でも、そこ解体して売っちゃったんですよね。

ーーそれは寂しいですね。

暁さん:でも、祖父母の家の資材を、この家のあちこちに取り入れてもらったんですよ。

ーーえ?そうなんですか?

暁さん:一番大きいのは、応接の床です。もともと絨毯ばりだったものを床張りにするってなって、思いついちゃった。鯰組の親方に相談したら、じゃあやってみましょうということで、向こうの家にあった床を全部ひっぺがして、全部組み合わせて敷いてくれたんです。

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(写真) 祖父母自宅の床を移植した応接室

園生さん:かとちゃん(加藤)が作ってくれた鏡とかもそうだよね。

加藤:建具を使いました。

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(写真)鏡は、祖父母自宅の扉を利用した

ーーなんだかドラマティックなストーリーがある家ですね。

暁さん:ドラマティックなんですよ(笑)

園生さん:めんどくさいことばっかり言ったよね。

暁さん:これやりたいっていうことだけは伝えられた。

園生さん:何センチがいいとか、細かい専門的なことは素人だから言えないんだけど、感覚的にそれはやだとかあれがいいっていうのは一緒に作りながら感じたりして。そういうのはすごく言いやすかった。全部において、自分が参加してる感覚が持てたから言いやすかったのかな。そうじゃなかったら、設計士に言われたらそれでいいですってなってただろうなって思います。

暁さん:設計士の先生のこだわりと自分たちの暮らしへのこだわりのせめぎあいがあったり、どこまで要望を言っていいのかわからずすごい苦労しているって、家を建てた友人とかから聞いていたけど、それはなかったですね。

園生さん:設計士の先生に相談しているって感覚なかったよね(笑)

ーー逆に、オーナーさんの要望は何でも応えられるものなんですか?

加藤:それはちょっと違うって思うことも中にはあったりするので、一度要望を聞いてからどうしたらいいのかを考えています。すべてオーナーさんの要望を受け入れちゃうと僕がいる意味ないので。塚越さんたちの要望が明確だったので、それを一度自分のフィルターを通して良いか悪いかを判断して、変な僕のこだわりを入れないように提案するようにはしていました。

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(写真)上からネットをおろすと登れるようになっている子ども部屋。上段でくつろぐことも。

ーーこちら子ども部屋ですか?

暁さん:これおろすと、アスレチックスタイルになるんですよ。

ーーめちゃくちゃ楽しそうですね!

園生さん:これ、息子の友達、めちゃめちゃ喜んでましたよ。

加藤:上は娘さんの書斎みたいな感じで使ってます?

園生さん:そうそう、音楽聞いたり、まんが読んだりしてる。

加藤:いいっすね!

ーーこの部屋もハンディが担当したんですか?

加藤:そうです。ここもです。

暁さん:ここ、もともとは女中部屋のトイレだったみたい。

加藤:ここのペンキは全部塚越さんたちが塗りましたよね。

ーーすごいきれいに塗られてますね。

暁さん:大変だったー。でも子どもとやれてよかったし、めちゃくちゃ楽しかった!

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(写真) 家族みんなで壁塗りを

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(写真) 断熱材を一緒に貼る塚越さんの娘さんと加藤

ーー参加してみて何かその後の生活スタイルとか、考え方とか変わったことありました?

暁さん:僕は、ハンディと家づくりをしたことがきっかけで、「ものを自分で作る」っていうことが、仕事でもプライベートでも基本ベースになりました。それは僕にとってすごい大きいことだと思っていて、今でこそ何でもつくれるって思えてるのは、この経験のおかげ。

ーー原っぱ大学の活動とかやってると、ハンディと家づくりする前からDIYとかやってそうな印象もありますが。

暁さん:ハンディとの付き合いの中で、今のやり方を見つけていった感じですね。手を動かせば動かすほど、見えてくる。やり方の引き出しが増えていくから活動の幅が広がりました。

ーー家づくりのプロセスが仕事に活かされたりしてるということですかね?

暁さん:もちろんそうですね。原っぱ大学の現場には、マキタのインパクトドライバーが必ず置いてあります。普通は子どもと大工仕事をやるって言ったら、初めはトンカチから始めるんだけど、原っぱ大学では、インパクトからみたいな(笑)それは、ハンディの血が入ってるなと感じています。

セイシュンラボ第2期_Day4-12-2

(写真)ハンディと原っぱ大学が一緒に行っている秘密基地プロジェクト「セイシュンラボ」

暁さん:建物って、構造づくりが一番大変だけど重要。でも、ワークショップなんかで子どもにやらせてみてもすぐに飽きちゃうってことがわかってきた。だから大人がまず構造を作っちゃって、子どもが喜びそうな作業をやらせています。例えばドアを作るとか。ハンディと家づくりや色んなプロジェクトをやる中で、どこが大事でどこが楽しいかっていう勘所は押さえられたので、活動に活かしています。

新しいやり方をベテラン職人たちにも受け入れてもらえた

ーー加藤さんは、他チームのベテランの職人の方たちと一緒の現場で、DIYを取り入れるのって、不安とかなかったんですか?

加藤:すげー不安でしたよ(笑)。僕は、腕のある棟梁みたいに、何年間も修業期間を経て自分の腕でやってきた職人ではないので、DIYでオーナーさんと一緒に家づくりを楽しむっていう考えに対して、何て言われるんだろうと。お前らなんだその仕事ぶりは!みたいに思われていないだろうかとか、恐怖感はずっとありましたよね。

ーーそんなベテラン勢がいる中、楽しくDIYしちゃったわけですね?

加藤:そうなんです。でも、その境界を埋めてくれたのが、オーナーである塚越さん家族でしたね。現場に、暁さんがふらっと覗きに来たりとか、子どもたちが放課後に寄ってくれたりとかしてくれたおかげで、塚越さん家族を中心にみんながコミュニケーションを取るようになっていきました。他のチームとの境界が少しずつなくなっていって打ち解けていったというか。その感覚はほんと面白かったですね。

ーー一緒にDIYしている現場は、職人さんたちはどんな風に感じていたんですかね?

加藤:普段子どもたちが建築現場に来るなんて、あまりないことだと思うので、親方とか職人さんたちも気になってる様子でしたね。僕たちが工具の使い方を教えたり、一緒にDIYしたりしていると、職人さんたちもちょっと覗きに来たり。鯰組の左官屋さんと子どもたち、一緒に壁の漆喰塗りまでしたんですよ!

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(写真)左官職人の大橋左官・大橋さんと予定外で行われた漆喰塗り

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(写真)鯰組のベテラン職人さんがDIYの現場を覗きに来てくれた

ーーハンディ以外のチームともDIYしたってことですか!それ、生の現場ならではですね。

加藤:ほんとそう。ある日、僕たちが少し残って作業をやってたとき、ベテランの職人さんから、「良いことしてるね」って言われたんですよ。同じ業界の大先輩たちに、自分たちが目指してることを良いって言ってもらえてすごく嬉しかった。

暁さん:現場の雰囲気も、すごく良かったよね。ハンディがいるからなのかわからないけど、現場の皆さんと直接つながってる感覚はあった。

加藤:近頃は施主が建築現場に来ないことが多いと思うのですが、それは、今の管理側の問題だと思うんです。ケガさせたら怖いとか、壊されたらどうするんだっていうのがあるから、お客さんが現場に入れないようにしてしまった。大工さんもきっと、誰のために作ってるのかが目で見えたり、自分の仕事を住む人に見てもらえるのって絶対嬉しいはずです。腕のいい職人さんに、僕たちがやってることを「楽しそうだよね」って言ってもらえたのはかなり嬉しくて、作り手の感覚って年齢や経験に関係なく、変わらないんだなって気づかされましたね。


後編では、実際に住んでみてから、塚越さん家族はどう感じ、その後の暮らしに変化や影響があったのかを聞いてみました。
近日中に配信しますのでお楽しみに。

※逗子の家の詳細はこちら
※塚越さんが運営する、原っぱ大学についてはこちら
※原っぱ大学とハンディのコラボ「セイシュンラボ」についてはこちら

取材・文 石垣藍子

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